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結局は、相乗積、交叉比率、OTB(open to Buy)、そして52週と商品構成(クラシフィケーションマトリックス)。基本は限られている。

このホームページには、コラムという形で多くの原稿を載せている。その中でもPV(ページヴュー)が集中するのが相乗積、交叉比率、そしてOTB(open to Buy)である。
長年、このような業界で仕事をしてきて思うのは、何と雑音が多く、本質を外すことの多い業界であるのかということである。
いろいろと目新しいモノがアメリカから紹介され、マスコミはそれをあたかも素晴らしいモノであるかのごとく取り上げる。しかし、この何十年の小売業の歴史を見ても、コンサルタントと称する人達がアメリカから持ち込み、マスコミが騒いで企業が取り組んだテーマで、まともに完成し、残っているモノは一つもないと言ってよいだろう。
ワークスケジュールと称して作業計画もどきが入ってきた時も、作業が標準化されておらず、負荷もコントロールされていない状況で、アメリカでは….とやって大騒ぎしたが、結局成し遂げた企業はなかった。
製造業におけるスケジューリングの基本と照らし合わせれば、おかしいことはすぐに分かるのだが、そうはならないところが小売業の小売業たるゆえんなのかもしれない。
ワークサンプリングという標準時間設定に際して余裕率を算定するための稼働分析手法で要員計画をやりたいという企業に対して、それではできないというプレゼンをやりに大阪まで行ったこともあるが、その後その企画は白紙撤回されたから、その程度のものでしかなかったということだろう。3つの団体に声を掛けてあったというが、一番初めのプレゼンで白紙撤回になったから、まだ良かったと言うべきだろう。
ミニキャリーとコンテナシステムも流行ったが、何段にもコンテナを重ねれば必ず取り置きが発生するし、少ない数では腰を曲げて押さなければならず、挙句の果てに中が見えないから不都合が多い。
ある企業で青果のバックヤード改善をやった時には、真っ先にミニキャリーとコンテナを排除し、大型の多段トレーに全て置き換えた。加工作業、ストック、品出しの全てが多段トレーで済むし、トレー1枚にコンテナ1つ分が入るから多段トレーは数台もあれば済む。使わない時にはトレーを重ねておけばよい空コンテナのようにかさばることもない。
バックヤードのスペースを広く使えるから、生産性も大きく改善し、人件費1万円当りの粗利高は4万円超まではね上がった。
メーカーが取り組んでいたIE(Industrial Engineering)の初歩的な考え方で簡単に解決する問題である。
「開店時100%品揃え」といって騒いだ時も、早出残業し、朝早くから刺身のお造りをたくさん並べて鮮度を落していたが、イトーヨーカ堂が「売れる時に売れる商品を売れるだけ品揃えするのか100%」と言っただけで終わってしまった。
一時のブームで終わるようなモノの多くは、概念だけで結局は実践では役に立たない、使えないモノでしかないから、誰かが「王様は裸だ」と言ってしまえば、そ個で終わってしまう。
日本にセルフサービス、チェーンストアという形態が紹介されてから60年以上が経つ。商品を仕入れて在庫を持ち、店舗に並べて販売するという小売の本質は変わっていないから、その本質をつかめば普遍的な理論と技術、仕組みが確立していてもおかしくはない。
様々な分野でITが当たり前になっても、デジタルで対応するのは表層だけで、小売というものの本質は何ら変わっていない。(ただし実店舗以外は多くの点で違ってきているが….)
実際にデジタルマーケティングなどの情報収集のために様々なセミナーや展示会などに顔を出しても、進んでいるのはデジタル技術だけであり、対象とする基本的な中身については「如何に顧客に注目させるか」「ストレスなく買い物をさせるか」など昔から大きく変わってはいない。
どんなに最先端を行っているように見えても、はじめは「技術」だけ進んで、その技術の応用しやすい分野で普及していくが、やっていることは試行錯誤で、どこまで本当に使えるのかはやっている本人でさえ、よく分かっていないというケースも多い。
そのように考えるとどんなに技術が発展したとしても「相乗積、交叉比率、そしてOTB(open to Buy)」など最も基本的なことが理解できていないと地に足の着いたことができないということなのだろう。
デジタルの時代だから、このような計算はブラックボックス化してしまい、なかなか触れることがなくなる可能性も高いが、このような時代であるからこそ、基本的な理屈をキチンと身につけることが重要になる。
どんどん機械化されて人的要素が関与するところが減ってくれば、ポイントとして押さえる必要のあるところは、非常に限られてくる。そこさえ押さえてしまえばあとは単純な世界である。
アマゾンが商品・サイトと押さえた後、物流を押さえにかかったことを見れば大枠で向かう方向は想像がつく。
それと比べると、実店舗の向かう方向は全く見えてこないから、実店舗を数多く展開する企業にとって本質、ポイントは何処にあるのか、未だ試行錯誤の状況にあるということなのだろう。
Amazon Goのような店舗ができてくると、買い物からレジというモノ(レジスター、人員、工程)が全て消え去ってしまう。一方、無店舗販売側からのアプローチであるにもかかわらず、店舗、売場、現品商品、什器と棚割りというモノは残っているから、実店舗を展開する企業がどのように対応するのかも見ものである。
基本として最後に何が残るのか、楽しみである。

 

自動運転で地図の意味、要求される機能、要件が変わった

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ロボット化で装置工業化する社会、産業

Amazon Goが話題になっているが、動画を見ると何年か前にIBMがメトロと実験したフューチャーストアをイメージさせる。この時は非接触型技術を使って商品価格を積算し、店を出る時に事前に登録したクレジットカードで自動的にチェックアウトを完了していた。
レジ精算という工程が買い物から削除された点が画期的だったが、クレジットカードの読み取り、商品価格を読み取るショッピングカートが必要だった。
Amazon Goでは認証技術とAI技術を使って、全てがフリーになっている。
顔と一緒にピースマークをした写真をSNSにアップすると3m離れて撮った写真でも指紋が読み取れるから危険という警告が盛んに行われているように、認証技術の発展にAI技術が加わってこのようなシステムを可能にしたということらしい。
お客は店に来たら好きな商品を手に取り、そのまま店から出ていけば買物は完了する。棚からとった商品も元に戻せば買物金額からマイナスされるというから、自由気ままに店内を動き回り、好きな商品を手に取って、必要なものを持ってそのまま店を出ることができる。
事前にクレジットカードを登録しておく必要はあるが、あとは勝手気まま、自由に行動できるから、「買い物をする」という概念、行為そのものが大きく変わるだろう。
慣れるまでは多少違和感があるだろうが、お客側、店舗側双方にとってのメリットははかり知れない。
お客はレジに並ぶ必要がないから非常に大きな時間の節約、ストレスからの会報が期待できる。一方、店側は設備投資の問題は残るが、レジと人員が不要になり、現金を扱う必要がないためにセキュリティの問題が大きく改善される。
何よりも個別精算がないことで買い物の感覚が薄れるから使う金額が膨らむ可能性もある。
すでにアマゾンは、Amazon Dash Buttonによって日常生活のシーンの中に入り込んで特定商品の注文を受けることを始めている

クラシフィケーションという考え方 その本質

1.類似の特性のものをまとめることの本質と効用
(1)類似する『もの』をまとめる
我々が何気なく過している毎日の生活も,よく観ると実にさまざまな工夫がなされている。例えば,洗面所では歯磨き,歯ブラシなど毎日使う使用頻度の高いものを一箇所にまとめ,取り出しやすく,戻しやすいよう置き方にも工夫している。
ハンカチ,靴下,腕時計,財布,携帯電話など毎日使う小物類は,まとめて取り出しやすい高さに置けば短時間で準備ができるし,忘れることの予防にもなる。
使用場面・用途・目的などの類似性によって『ものをまとめる』ことは,昔から生活の知恵として日常的に行われている。
同様に仕事の場面でも,使用頻度,目的,進捗状況,納期,手続きなどの類似性に着目し,『ひとつのまとまり単位』として管理することは一般的によく行われている。
改めて意識することは少ないが,『一定の秩序』に従って類似するものをまとめることは,我々の思考や行動にとってとても便利である。
物事の仕組みや法則性を見出すための科学的方法として『分類概念の適用』『グルーピングとモデル化』という手順が非常に重要な意味を持つことは、さまざまな形で指摘されている通りである。
種々雑多なものが混在し,相互に干渉することで一見無秩序で分かりにくく思えるものも,適切な分類概念によって上手いグルーピングができれば,内包する秩序や仕組み,メカニズムなどの他,表面からは見えにくい法則性を見出すことも容易になる。
日常的な生活,仕事の処理,製品や製造工程の設計・改善,情報システムの設計・改善,それらに関するマネジメント,さまざまな物事に関する認識・思考,・・・総て同様である。
類似するものをまとめること=分類・層別の効用は,物事を一定の秩序に基いてスクリーニングし,体系的に整理して見やすくすることである。分類・層別することによって得られるメリットは計り知れない。
(2)類似するものをまとめたGT(Group Technology;グループ・テクノロジー)
生産分野では,1963年以降,多品種少量生産・個別生産などの生産性向上,コストダウンを目的として 西ドイツ アーヘン工業大学のH.オーピッツ教授らによる『部品グループ加工』に関する実践的研究が行われている。
少品種大量生産の時代から多品種少量生産の時代に変わり,従来の生産方式(生産のやり方に関する思想,具体化する上での考え方,具体的方法)に代わる新たな生産方式開発の必要性が高まっていた。
少品種大量生産を支えた3S(①Simplification;単純化,②Standardization;標準化,③Specialization;専門化)は,T型フォードの生産に代表される流れ作業方式のベースにある思想,考え方,手法である。100年近く経つ現在も,マネジメントをはじめ,さまざまな分野に深く影響を与え続けるほど普遍性の高い思想でもある。(もっとも時代は大きく変わり,根底にあるこの思想から抜け出せずに喘いでいるケースも多々見られるが……)。
①製造工程を細かく分けて一つ一つの工程を単純化し,単純化した工程に対して②最もよいと考えられる方法を標準として採用する。誰でもできるほどに単純化したそれぞれの工程に③作業者を専門的に配置することで習熟性を高め,全体の効率化を図る。品種を絞って生産量を集中させ,専用工程を採用することで高い効果を発揮する。
一方,多品種少量生産や個別生産では,専用工程を採用する程の生産量はない。
品種によって製造工程・加工方法が異なるため,ラインを組み替える段取り替えが頻繁に発生する。原材料・部品の種類は増え,発注,在庫管理,工程管理などあらゆる面で少品種大量生産とは比べものにならないほどの手間が掛かる。しかも生産量が少ないために管理コストの占める割合が増大し,利益を圧迫する。
H.オーピッツ教授らは,製品を品種毎に個別管理するのを止め,複数の品種をまとめて製品を群単位で捉えるようにした。製品群の加工ロットは,加工工程,加工方法,素材,部品形状など類似する特性によってフレキシブルに編成し直し,部分的に『擬似 少品種大量生産』に変換することで3Sのメリットが得られるようにした。
このやり方は,煩雑で効率が悪いとされていた多品種少量生産・個別生産に対して有効な考え方,手法として数多くの実績を上げ,研究成果はGT(Group Technologyグループ・テクノロジー)として広く一般に知られるようなになった。
その後,GTはヨーロッパ中心に普及し,我国でも数多くの企業が導入している。
しかし,残念なことにGTに関する考え方,手法の普及は製造分野だけにとどまり,それ以上の発展,広がりを見るには至っていない。
(3)現在のように煩雑な時代にこそ必要な『類似するものをまとめる=分類・層別』
物事を構成する要素,影響を与える要因は,製造業が多品種少量生産へ移行した時代とは比べものにならないほど増え,さらにIT化によって情報量は級数的に増え続けている。我々を取り巻く環境,対象として捉えなければならない状況は,はるかに複雑化している。
このような環境下で正しい認識,正しい判断をするためには,増え続ける情報,表層で複雑に絡み合う要素をそのままの形で見るのではなく,類似する要素をまとめる=分類・層別することで体系的に整理し,その裏に隠れた本質を的確に読み取る必要がある。
例えば,『ある物事に関して何らかの可能性を探りたい』のであれば,物事を構成する個々の要素を,目的である『可能性』に対してプラス(直接的・間接的),マイナス(直接的・間接的),中立,その他(条件によって変動,あるいは無関係)というように分類・層別すると分かりやすい。
分類・層別することの効用は次のように整理できる。
①目的に応じて特性の似たまとまり単位をつくることで,個別要素に惑わされることなく,プラス,マイナス,中立,その他のウエイトがどうなっているかなど,マクロ的な視点から物事を観ることができる。構成要素を分類・層別するために一度個別に識別する必要はあるが,特性の似たまとまり単位に集約することで,全体的な状況・本質を見極める作業効率が飛躍的に高まる。
②『マイナス要素をどうにかしたい』といった場合では,対策を打ちやすくするために原因別,あるいはコントロール可能/不能というようにまとめ直すことで,まとまり単位に対して共通する管理方式,対応策などを当てはめることが可能となる。
個別要素毎に対応する煩雑さから開放され,効率は飛躍的に高まる。
③煩雑な状況下では,機械的に総て画一か,効率を無視して個別対応という二者択一の対応になりがちである。類似する特性のまとまり単位をつくることで,それぞれのまとまり単位の性質に応じて的確,かつ効果的な対応が可能となる。

2.クラシフィケーション(Classification;有形・無形のものが持つさまざまな特性に着目して適切なグルーピングを探し出し,物事の状況・本質を的確に読み取るための分類・層別に関する考え方・方法)
GTでは,製造工程に『擬似 少品種大量生産』をつくり出すことを目的として,さまざまな特性の類似性に着目してグルーピングをした。
一方,クラシフィケーション(Classification)は,一見複雑で無秩序に見える物事の全体的状況,内包する秩序,仕組み,法則性,メカニズム,問題点などを見出すことを目的として,さまざまなグルーピング=分類・層別を行う。
『ものの特性に着目して類似するものをまとめる』という点で両者は共通するが,その目的は基本的に異なる。
GTが工場内の製品を対象とするのに対し,クラシフィケーションは有形,無形の『もの』総てを対象とする。目的は,『秩序,仕組み,法則性,メカニズム,問題点などを見出すこと』であるから,例えGTと同じ製品を対象とした場合でも検討する特性の範囲は異なる。有形なものでは素材,二次加工品,製品など形あるさまざまな物を対象とするが,グルーピングのために用いる特性は,素材の調達エリア・調達方法・調達の容易性から製品の使用場面・使用方法・購買対象・購買動機・リサイクルの仕方など多岐に渡る。
目的に応じて有効と考えられるあらゆる特性についてさまざまな角度から検討する。
(1)クラシフィケーションの考え方と適用の手順
物事を的確に認識することが,総ての原点である。
クラシフィケーションでは,まとまり単位が持つ秩序,仕組み,法則性,メカニズム,問題点などを見出すために,次のような手順を採る。
①対象とする物事が持つ特性の整理と理解
物事の本質を理解するためには,表面的な理解ではなく,物事を構成するさまざまな要素が持つ特性に対して理解することからはじめる必要がある。
図表-1 は,『有形なもの(例;製品)』と『無形なもの(例;業務)』を対象として通常考え得る特性を整理したものである。特性は,図表‐1に示すように実にさまざまであるが,目的に対して総ての特性が有効であるわけではない。通常であれば2~3の特性が重要な意味を持ち,他の特性は目的に対してほとんど意味を持たない。
したがって,特性を整理すると同時にそれぞれの特性がどのような目的に対して重要な特性であるかということも同時に理解する必要がある。
②目的と特性
多くの場合,『目的』は煩雑で混沌とした状況に対して適切な対応策を策定することである。そのためには,物事の持つさまざまな側面を特性によってスクリーニングし,ノイズを排除した状態でその特徴・性質を見出していく必要がある。
重要なことは,目的とスクリーニングに用いる特性との関連付けである。
例えば,製品の場合,物理的特性として素材・成分,構造・機構などの特性がある。
素材は,製品の強度や加工方法を決める上で重要であり,構造は,加工工程や製品の機能・性能を決める上で重要な特性である。しかし,設計や製造段階で重要となるこれらの特性も,使用段階では必ずしも重要な特性とは限らない。むしろ,使い勝手や耐久性・保守性が重要なケースも考えられる。
また,業務では,業務設計などマクロで見る場合には業務目的・業務機能が重要な特性になるが,日常の業務遂行では,『実施』に直接関係する手続き上の特性,人的特性,時間的特性などが重要になる。
このようにさまざまな特性も,目的によって重要度が変わり,場合によっては全く意味をなさないケースもある。
したがって,クラシフィケーションでは目的と特性の関連付けは欠かせない。
③目的と特性の関連付け
クラシフィケーションに限らず,GTでも同様であるが,最も難しいのが,目的に応じて特性を特定することである。
同じ目的であっても,企業や職場の状況によって全く同じ特性を使えないケースは多い。例え使えたとしても,個別の構成要素を識別する際に固有の状況や制約条件などにより,修正する必要がある。
目的と特性の関係を抽象化・一般化して表現することは可能であるが,上記のような理由で具体的な適用にはほとんど意味をなさない。
したがって,実際に適用する際には,仮設を立て,さまざまなケースについて個々にシミュレーションで確認しながら進める必要がある。
(2)クラシフィケーションによるものの見方
クラシフィケーションの訓練には,『有形なもの』を対象にした方が分かりやすい。
図表-2は,製品ライフサイクルによって重要な特性が変化していく様子を表したものである。重要なことは,『生産』では『物としての製品・製品の基本機能に関する特性』が中心であるが,その前後の段階では『中間的な特性』『製品の意味・価値など二次機能に関する特性』のウエイトが高まっている点である。全く同じ製品でありながら,ライフサイクルの各段階で捉え方が異なり,製品の『意味・価値』が変わることを表している。
このように,物事には有形・無形を問わず『絶対』いうことがなく,視点を変えることで意味・価値は変わる。一つの限定された視点だけで物事を観ていては見えないことも,さまざまな角度から視点を変えて観ることで物事の持つ別な側面を見出すことができる。
クラシフィケーションは,そのために『ものの持つさまざまな特性』に着目している。
基本は,物事をただ漠然と捉えるのではなく,さまざまな特性に着目して分類・層別し,限られた視点から見直してみることである。
おそらく,漠然と捉えていた時とは全く違った側面が観えてくるはずである。
このようにして,それまで見えなかった秩序,仕組み,法則性,メカニズム,問題点などが見えてくれば対応は比較的容易である。
物事を特性という視点から見る訓練をすることで,それまで機械的・画一的に処理されていたことの乱暴さや一々個別に対応していたムダも見えてくるだろう。
クラシフィケーションを用いることで,物事の本質が明確に見えてくるはずである。

情報系総合大学が必要! 義務教育をパスする権利も必要⁉

◆情報系総合大学が必要
いま、情報工学科でマーケティングを教えている。実業の世界ではAIを含めたデジタル、IT関連の進化がすさまじい勢いで起こっており、狭い世界に閉じこもっていたのでは、すぐに浦島太郎状態になってしまう。
進化は、専門分野の分化と再統合を繰り返しており、中途半端な知識、教育ではどう考えてもついていくことは難しい。
そのような状況を前提として改めて大学を考えると、すでに情報工学は一つの学科という位置づけで存在するものではなくなっているように思えてならない。
一般教養も、大学に入ってまで英語を勉強するなどということではなく、英語は空気のような存在で当たり前、改めて大学に入ってから勉強するものではないという位置づけにならないと次のステージには進めない。
情報、デジタル系の総合大学ができ、その中にさまざまなジャンルの学部、学科が存在するというようにならないと対応できないのだろう。
現在の情報工学科でやっているようなカリキュラムは一般教養という位置づけで、全ての学科、学部に共通して身につけるような状況に変わると考えた方が分かりやすい。
たくさんある全ての大学がそうである必要はないが、少なくとも複数の大学がそのように変わっていかないと、時代の進化についていける人材が育たない。
◆大学までの12年間をどう変えるのか
中高一貫が盛んに言われていたが、最近は高大一貫が言われるように変わってきた。
下から積み上げれば中高なのかもしれないが、大学から逆算すると高大になる。そして、必然的にその下の中小となっていくことは自然なことである。
言い換えれば、積み上げ方式のいまの義務教育を大学から高校、中学、小学というようにゴールから逆算して整理していくと、優先順位が明確になる。
積み上げ式である限り、どんなに積み残しがあっても時間だけが過ぎてしまえば取り返しがつかなくなる。一方、ゴールから落し込んでいけば無駄なモノ・コトも必要なモノ・コトも明確になる。
一般教養も時代とともに変わるから、何をもって一般教養とするのか、再定義しないとズルズル行ってしまう。
あちこちで改革、改革と言われるが、ゆとり教育が間違いだったからといって、授業日数、時間を増やしても、中身、思想が変わっていなければ、ただ無駄な知識、それを詰め込む時間が増えるだけで本質は何も変わらない。
何よりも「勉強とは何か」「何を目的として勉強するのか」「教育・人材育成とは何か」という最も基本的なことが明確にならないまま、ただ知識を詰め込むことを強化しても何も変わることはない。
知識、情報はインターネット上に溢れており、いくらでも手に入れることができる。それを前提として学校では何を教えるのか、教育するのか。答えを持たないまま「教育」の名を借りて子供を拘束することは避けるべきだろう。

手乗り錦鯉を創ろう

泳ぐ宝石、錦鯉は海外で人気があり、37億円が輸出されている。実に9割が輸出というから、国内に流通する魚は一握りでしかない。実際に身の回りを見ても、ペット・ショップはあるが錦鯉を売る店はほとんどない。また、大きな錦鯉が泳いでいる池を探しても一部の料亭や公園など限られているから、日常的に眼にすることもほとんどなくなっている。
住宅事情もあるが、残念ながら昔のように金魚屋さんで金魚や鯉を買ってきて、自宅の庭にある池で飼うという身近な存在ではなくなってしまった。
流通ルートも店からヤフオクへと移り、すっかり表舞台から消えているから、余計に一般の人からは見えない存在になっている。産地も海外から買付けに来るバイヤーに顔が向いているから、改めて国内のマーケットを開拓するという発想にはならないのだろう。しかし、美しく、一匹一匹の色柄が違い、しかも長生きして、人に慣れて手から餌を食べるという特性を考えれば、ペットとして脚光を浴びてもおかしくない。様々なマーケット環境を考えても大きな可能性を秘めているペットと考えてよいだろう。
最近では、「アートアクアリウム」という形で金魚が注目されるようになっているが、いくら注目されても日常生活の中に金魚を飼うという習慣が浸透するわけではない。
江戸川区の金魚祭りに行くと、多くの家族連れが金魚すくいに興じており、金魚を飼い求める人も多い。産地という地域特性もあるのだろうが、金魚が「特別なモノとして見る対象」ではなく、生活の中の一部としてしっかりと居場所を確保しているように思える。
文化の違いと言ってもよいのだろう。
ポイントは、日本の住宅事情でも十分飼えるような条件を揃えること、表舞台で「錦鯉は良いものだ」と機会あるたびに数多く露出することだろう。
そのためには、錦鯉の小型化は欠かせない。池で飼う魚から、水槽でも飼えるというように範囲を広げても、錦鯉のポジションがただ鑑賞するだけでは限界がある。
犬が小型犬中心に室内飼育が主流となり、日常生活の中で触れ合う機会、時間が増えたことからコンパニオン化していったように、錦鯉も餌を手からもらって食べながら、人との距離を近づけることができれば、従来の観賞魚というポジションとはまた違ったポジションで受け入れられることも可能である。
多くの商品がブレークする、一度去ったブームが再燃する時には必ずポジションが変わっている。かつての園芸ブームはマニアの趣味からグリーンインテリアとして一般に広く普及し、さらにクラフト的なイングリッシュガーデニングとなって何度も蘇っている。アクアリウムブームもインテリア水槽や水草ができたことで、従来の品種改良や品評会という一部のマニアのものから、リビングのインテリアに意味を変え、多くの人に受け入れられた。
錦鯉も同じである。鑑賞という意味、ポジションから、もっと人との距離を縮めて生活空間に入り込んだ存在になれば、再び文化として多くの人に受け入れられる可能性もある。
現在の状況を考えると、日本全体が高齢化し、しかも単独世帯が増えたことで、一人で生活する人が増えている。しかも地縁、血縁も疎遠になっていることから、犬・猫などのペットが家族として重要な位置づけになっている。集合住宅でも飼いやすいということから爬虫類を買う若い女性も増えている。ただし、動物愛護法改正の関係から高齢者が改めて10年以上生きる犬・猫などを飼い始めるにはハードルが高くなっている。
そのような環境変化を含めて、動物ではなく人工知能に相手を求める傾向も見られるようになっており、ロボット掃除機や電子レンジなど言葉で反応する機械に名前を付けて会話をする独り暮らしの高齢者も増えているという。
このような現在の環境与件を考えると、心の拠り所となるような話し相手や世話をする対象を求める傾向は益々強まっていくだろう。まして高齢者の一人暮らしの多くは女性であるからなおさらである。
ペットを飼い、世話をすることが認知症予防に良いことも分かっているから、多くの点で意味のある方法ということになる。
錦鯉は、個体の識別ができ、色・柄も美しく、人に慣れるというペットとしての多くの特徴を備えている。YouTubeを見れば犬・猫や言葉をしゃべるインコなど飼い主が多くの人に見てもらい、自慢したい動画が溢れている。同様に数は少ないが飼い主の手からエサをもらい、手のひらに載ってくる金魚や錦鯉どの動画もアップされている。
もし、錦鯉が「手乗り錦鯉」というようなペットとしてのポジションを確立することができれば、従来の錦鯉とは異なるもう一つ別のマーケットを確立する可能性は高い。それが実現すれば、日本の新しい文化を生み出す、あるいは回復させると言うこともできるだろう。それだけの可能性を秘めたテーマだと考えている。

住民投票、国民投票は民主主義の基本?それとも単なる責任放棄・責任転嫁?

2016年6月24日、イギリス国民がEUからの離脱を選択したことによって、たった一日で世界中から3.3兆ドル≒330兆円の富が消えたという。その後の混乱を見れば、「オウンゴール」と表現されるようにイギリスという国は何とつまらないことをしてしまったのかと思えてしまう。
webニュースを見れば「16、7歳の若者が、何故90歳の人に自分達の将来を決められなければならないのか、という不満、怒りが渦巻いている」「離脱に投票したが、まさか本当に離脱するとは思わなかった」「離脱に投票したが、こんな事態になるとは考えなかった。こんなことになるのなら離脱に投票しなかったのに…。」「後になって離脱推進派の言っていたことが事実と違っていた」…..等々、次から次へと不満、怒り、戸惑いが出てきている。
ポンドの暴落、株式の暴落、投票のやり直し要求やスコットランド独立の住民投票、EU離脱を煽っていた人達の離脱、…等々、軽い気持ち、その場の雰囲気で投票した人達が戸惑い、焦っているのも分からないでもないが、改めて民主主義というもの恐さが見えたような気がする。

投票状況についての分析結果が出てくると、規模や全世界に対する影響度合いなど桁違いではあるが、大阪都構想の住民投票とどこか構造が似ている。
年齢別の投票結果を見ると新しい取り組みに賛成するのが若い年齢層であるのに対し、保守的、過去への回帰を望むのが高齢者に多く見られる。
教育レベルや職業・収入などによる投票行動に関するの分析結果も同様に出ているが、いずれにせよ、国の将来に関する意思決定を住民・国民に委ねたことは、最も民主的な選択だったのか、単に政治家が責任放棄・責任転嫁しただけだったのか、分からなくなってくる。

自らの責任において投票した人が、歴史的に大きな犠牲を払うだけならよいのかもしれないが、巻き添えを食った形の人達はたまったものではない、ということだろう。
このようなことは、今後も起こる可能性があるから、そのメカニズム・論理が整理されないと、何度でも同じ過ちが繰り返されることになる。
意思決定にかかわる要素をどのように設定、表現し、どのように判断するべきなのか、シミュレーションを含め、メリット/デメリット/リスクなどを整理するような機関が必要なのかもしれない。

今回のイギリスのようにインプットされる情報が間違っていれば、判断も変わるし、情報を処理するプログラム、メカニズムが違えは、アウトプットされる内容も大きく変わる。
テレビのニュースの中で何回も繰り返し言われていたことが、「離脱に賛成した人はEUというよりも現在の状況を否定した人達」という表現であった。
現状を回避できることとEU離脱を結びつけたのは、意図してそのように仕向けた人がいたからだろうが、冷静に考えれば必ずしも、その二つがイコールで結ばれるとは思えない。

一方、大阪都構想は、完ぺきとは思えないが、2010年~2040年までの30年間に、日本で最も多くの人口が減少するのが大阪府と推計されていることを知っている人がいったいどのくらいいたのか、はなはだ疑問である。
既に大阪府は人口減少が始まっているが、推計値では2010年886.5万人から2040年には745.4万人まで約140万人(47都道府県の中堅規模の県の人口に相当)の人口が減少するとされている。市区町村別に見れば、また見え方が変わるが、一つ言えることはすでに現状の市区町村の形、自治体の仕組みを維持することは難しくなっているということである。

随分前に「道州制」の議論がなされたことがあるが、今回の大阪都構想も近い将来の国を維持する新しい試みとして期待すべきものがあったはずである。単純なYES/NOという結論の出し方ではなく、もっと議論を重ね、よりよい形に修正することを望んでいた人達も少なからずいたはずである。少なくとも政府はそのように見ていたように思う。
いずれにせよ、反対した人達がわずかに上回ったことで、この話がたち切れになってしまった。

問題は、この結果に対して誰も責任を取らないことである。イギリスのEU離脱も全く同じ構造である。EU離脱を煽っていた人達は、結果を見て、誰も責任を取らず、さっさと逃げ出してしまった。(一部は次の政権に指名されたが…)
大阪府のその後談の詳細は分からないが、現在の行政の仕組みを根底からつくり直すエネルギーを考えれば、千載一遇のチャンスを失ってしまったということだろう。強力なリーダーと多少の強引さがないと、このような状況は変わらない。
見えない不安が現状維持を選択させる。実は、どちらにもリスクはあるのだが、現状は見えるが、結果が見えない変化には不安が残る。不安を煽るのは簡単だが、リスクを科学的、現実的に解消するには多くのエネルギーが必要になる。

これらの状況を見ると、住民投票、国民投票、…民主主義の最も基本的な形が必ずしも最善の策を選択するわけではないのだろう。いずれ何年か後にその結果が確認できる。
特に大阪の場合は、いろいろな意味(国内の他の自治体に対する影響を含め)で手遅れにならなければよいのだが….。

現在は、みんなの目が東京都、2020年東京オリンピックに向いているから目立たないが、人口減少・高齢化は8割を超える市区町村で確実に進んでおり、年齢構成の変化は特にこの10年が極端である。
宴の後が心配である。

 

 

 

 

 

 

 

総合スーパー(GMS)大量閉店の後、特に衣料品をどうするのか?

久しぶりに総合スーパー(GMS)の大型店、特に衣料品をゆっくり見た。大量閉店の話も具体的になっているが、全ての店舗をなくすわけではないから、残る店舗は何らかの形で生き残れるような仕組みを確立する必要がある。
売場を見て残念なのは、主体性のなさや妥協の産物のような商品、売場づくりが至る所に見られることである。
ユニクロが先行するヒートテック、ウルトラライトダウン、暖かパンツ、….。いっそのことユニクロから商品提供を受けた方が早いのでは….と思えるようなピット商品のコピーからは大手企業のプライドは感じられない。
補充が間に合わないのか、発注の手間を省いているのか、3000~4000円代のネクタイも全く同じ色柄の商品が4~5本一緒に陳列されている。価格に関係なく、たくさん商品を積み込み、商品整理もできていないから、1,000円以下の特価かプロパー商品かの違いも、ちょっと見ただけでは分からない。
昔、高額商品は、商品密度を低くしてディスプレーし、価格表示も小さくする。一方、低価格商品は密度高くボリューム陳列して、価格表示も大きくすると習ったものだが、ファッション商品、実用商品、GMSが扱う商品の中でも高価格帯の商品、特価品、…すべて扱いは同じなのだろう。
大量閉店した後の残った店舗に何らかのビジョンがあるのであれば、戦線縮小も意味があるかもしれないが、このままいくと、第1次大量閉店の後に第2次、第3次、..と続くような気がしてならない。
少なくとも、たくさんのアイテムを、大量に作って、価格で強引に販売するという時代ではなくなっていることを考えれば、全く異なるビジネスモデルへ転換することを考えるべきだろう。
しかも、どんなに大型の総合スーパー(GMS)を作っても、昔と違って食品の商圏よりも広い商圏を衣料品、住関連商品など非食品で確保することは難しくなっている。逆に生鮮食品や特徴的なレストランを強化した方が商圏が広がることも考えられるから、昔の感覚で商品のポジションを考えていたのでは、いつまで経っても答えは見つからないだろう。
すでに20年も前から総合スーパー(GMS)の中心は衣料品ではなく、食品に移っている。社員のモチベーションも稼ぎ頭の主役からお荷物部門へと変わっていれば、再生はさらに難しくなる。
経営は、救世主を待つのではなく、明確なビジョンを示すべきだろう。少なくとも何十年もかけて今の状況が出来上がったことを考えれば、再生が一朝一夕にはいかないことは分かっている。そのような前提で取り組むテーマであれば、既存の経営での対応は難しい。全く別の感覚を持ち合わせたクリエイターに任せるなど、思い切った対応が必要だろう。
たとえば、CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社)が、現在の店舗網、システム、ビジネスモデルを活用して、アパレルのシェアビジネスをフランチャイズ展開したら、従来アパレル業界が発想しなかったようなさまざまな手法を展開するだろう。かつてメーカーから新発売されるDVDをまとめて安く提供してもらい、消費者ニーズの高いホットなうちにレンタルの稼働率を確保した方法は、多くのファッションアパレルのシェアビジネスに応用できる有効な手法である。メーカーは一定の生産量を確保でき、一定の収益を確保した後に中古流通、海外に販売するような仕組みを確立すれば、いまの固定的なアパレル流通は崩壊する。視点を変えれば、形を変えて生き返ることも可能になる。
Tポイントカードを活用したビッグデータの強みは、商品開発、生産、在庫コントロールなどに幅広く活用でき、従来のアパレルとは比べものにならない精度を実現するだろう。
シェアビジネスに切り替えることで、ファッションアパレルを着こなすコストは著しく低下し、利用者=マーケットのすそ野を大きく広げる可能性もある。
Advanced Style(http://www.advanced.style/)の日本版が実現するかも知れない。
「高齢者に化粧をしよう」という運動もあるようだが、化粧をし、綺麗にすることはいろいろな意味で若返りにつながるという。着るものを含めて、もっとトータルな運動になれば、高齢化社会にマーケットが活性化する可能性はある。

ポイントは、すでに「必需品ではない、余剰の商品(タンスの中に衣料品は溢れ、中古流通にも多くの商品が溢れている)」を販売しようとしている点にある。
不要なモノを買うには、「買う理由」が必要になるし、動機づけが必要になる。
オシャレを一つのカルチャーとして定着し、高齢者でもオシャレをして出かける場所・機会をつくれば、多くのモノ・コトが変わる。
衣料品という「物」を売りたいのであれば、買う理由から創っていく必要があるが、長年、物売りしかやってこなかった人にはそれができない。
クリエイターであれば、即物的に物を売りつけようとせず、着ていく場所・機会という「ファッションアパレルを着てオシャレする『場』創り」からスタートするだろう。
巨大な物売りの箱物をクリエイティブな「場」に転換できるか否かが総合スーパー(GMS)再生のポイントになるのではないだろうか。

 

大学定員増で、ますます東京一極集中が進む

文部科学省は6月28日、「平成29年度からの私立大学等の収容定員の増加に係る学則変更予定一覧」を公表した。認可申請に伴う増減は、合計44大学で7,354人増。近畿大学920人、立教大学454人、東京理科大学325人、青山学院大学318人など、東京が2500人以上増加、2番目に多い大阪が1100人増。3番目が愛知というように三大都市圏に定員増が集中する。
東京一極集中が言われ、しかもそれがあたかも悪いことのように盛んに言われたこともあったが、一方では東京に人口が集まるような施策が盛んに行われている。特に若者を東京に集めるという点では、大学の定員増は非常に大きな施策と言ってよいだろう。
片方で地方から若者が東京に出ていってしまうのが問題だと言い、もう片方では若者が東京に出ていく、あるいは東京に出てこざるを得ない理由をつくる。
他にも、羽田の国際線増便、鉄道の延線や乗り入れ、道路の整備など、様々な形で交通アクセスの改善が行われているし、1棟当たり300~500世帯、中には800~1000世帯という超高層マンションの開発など、人が集まる環境が着々と整っている。
一方で地方の山、水源、自衛隊基地周辺の土地などが外国資本に変われるという安全上の問題も指摘されているが、明確な方向性は示されていない

ハッキリしていることは、2015年の国勢調査結果(2010年~2015年の5年間の1年平均)よりも住民基本台帳から見た2015年1年間の東京都の人口増加の方がはるかに増えていることである。
2010年~2015年の5年間で東京都35.6万人増(うち特別区32.7万人増)であったものが、2015年1年間で東京都11.8万人増(うち特別区10.3万人増)、5年間に換算すると東京都約60万人、特別区約50万人にもなる。まして2020年東京オリンピックに向けてさらに人口集中が進むと考えられるし、若い人達が多いIT系ベンチャー企業もその数を増している。そこへ大学の定員増まで加わればさらに人口集中は加速する。
地震などの災害を考えれば、人口集中に十分な対応ができるとは思わないが、非常事態がなければ、さらに多くの人が集中できるキャパシティ、インフラは持ち合わせている。
問題は、現在の過疎地域よりも、人口が中途半端に多い地方都市が急激な人口減少に対して、どう対処するか、できるかだろう。1000人が800人になるよりは、50万人が40万人、40万人が30万人、20万人が15万人になる衝撃の方がはるかに大きい。

 

 

 

次世代型アパレル流通へビジネスモデルをシフトしよう!


様々なマクロデータを分析してみると、マーケットの変化から、各種商業施設が今後どのような状況になるのか、おおよその見当はつく。
港北ニュータウンの人口推計など、別項で具体的なデータを挙げて解説しているが、現在のビジネスモデルのままでは、人口減少・高齢化という最も重要なマーケットの変化に多くの商業施設が対応することが難しくなるだろう。大量閉店が発表された総合スーパーと似た構造にあるショッピングセンターは、いずれ同じような状況に陥ることは容易に想像がつく。しかもシェアリング・エコノミーなど、デジタル化の急速な進展が消費のあり方、ビジネスモデル=産業の在り方を根底から変えていけば、なおさらである。

ポイントはいくつかある。
一つは物理的な商圏概念だけでは成り立たなくなった商品流通構造である。多くのケースで商圏は道路や競合店などを参考に半径◯kmというようにして設定される。商圏内の世帯数、人口、年齢構成、産業別就業人口などからおおよその売上可能な数値をはじき出す。しかし、出店に当たって将来の推計人口、マーケットの変化などネガティヴな要素はあまり考えない。考えれば出店できなくなるというのが本当のところかもしれないが、撤退を想定して出店することはほぼないから、将来のマイナス要因よりもプラス要因を中心に考える。広域商圏を前提とする商業施設と足元商圏を前提とする商業施設で条件は異なるが、特に足元商圏の誤算は日常的にベースとなる売上に直接影響する。

もう一つは現在の小売業が抱える「損益分岐点が高く、経費が固定費的に発生する」という経費・利益構造、そして日本という国全体の高齢化に伴う消費構造の変化である。
特に都市部では広域型の大型ショッピングセンターが多いため、テナントもアパレル中心のテナント構成になっている。しかも日経ビジネス2016年10月3日号に「買いたい服がない」と特集されたようにマーケットに業界(構造)がついていけていない。さらにどのショッピングセンターもテナント構成は似通っているから、差別化を図ることは難しい。また、インターネット通販を強化している商品ラインとも被るから、対象年齢層の人口が減少しているにもかかわらず、競争はより激化する。
マクロデータからは、高齢化によって衣料品の消費支出が半減することが分かっている。さらに高齢化によってクルマという移動手段を失えば広域型ショッピングセンターの集客力は確実に低下する。

シェアリングエコノミーなど消費概念の変化は販売以外のチャネルの多様化を促す。すでに店に在庫を持って販売するだけが商品供給の手段ではなくなっている。物の充足によるソリューションから機能充足、状況改善のソリューションへと大きく変化していることは重要なポイントである。
このようなマーケット構造の大きな変化に対して、商品を供給するメーカー、卸、小売、全ての段階で対応ができているとは思えない。
場合によっては、TUTAYAや蔦屋書店を経営するCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社)が、現在の店舗網、システム、ビジネスモデルを活用して、アパレルのシェアビジネスをフランチャイズ展開したら、いまのアパレル小売は消滅してしまうかもしれない。
コンビニエンスストアを見れば分かるが、一つのシステムを構築したことは、一つの業態の物販店舗網を構築したのとは全く意味が違う。システムには、物販を含む様々なサービスを提供する柔軟性と汎用性がある。システムは様々な商品・サービス、ビジネスを載せることができるプラットフォームである。それに対し、固定的な商品を、固定店舗で販売する小売業には、店舗/立地/商圏、商品在庫、販売方法などの組合せが固定化されており、変化に対応できる柔軟性は持ち合わせていない。
CCCが、メーカーから新発売されるDVDをまとめて提供してもらい、消費者ニーズの高いホットなうちにレンタルの稼働率を確保した方法(商品代金ではなくレンタルによって得た収益を分配)は、多くのファッションアパレルのシェアビジネスに応用できる有効な手法である。メーカーは一定量の生産を確保でき、一定の収益を確保した後に中古流通、海外に販売するような仕組みを確立すれば、いまの固定的なアパレル流通は崩壊する(領域は限られる)。ただし、視点を変え、上手く活用すれば、いまの流通形態も形を変えて生き返ることが可能になる。
Tポイントカードを活用したビッグデータの強みは、商品開発、生産、在庫コントロールなどに幅広く活用でき、従来のアパレルとは比べものにならない精度を実現するだろう。(理屈通り上手く活用すればという条件付きだが、、、)