住民投票、国民投票は民主主義の基本?それとも単なる責任放棄・責任転嫁?

2016年6月24日、イギリス国民がEUからの離脱を選択したことによって、たった一日で世界中から3.3兆ドル≒330兆円の富が消えたという。その後の混乱を見れば、「オウンゴール」と表現されるようにイギリスという国は何とつまらないことをしてしまったのかと思えてしまう。
webニュースを見れば「16、7歳の若者が、何故90歳の人に自分達の将来を決められなければならないのか、という不満、怒りが渦巻いている」「離脱に投票したが、まさか本当に離脱するとは思わなかった」「離脱に投票したが、こんな事態になるとは考えなかった。こんなことになるのなら離脱に投票しなかったのに…。」「後になって離脱推進派の言っていたことが事実と違っていた」…..等々、次から次へと不満、怒り、戸惑いが出てきている。
ポンドの暴落、株式の暴落、投票のやり直し要求やスコットランド独立の住民投票、EU離脱を煽っていた人達の離脱、…等々、軽い気持ち、その場の雰囲気で投票した人達が戸惑い、焦っているのも分からないでもないが、改めて民主主義というもの恐さが見えたような気がする。

投票状況についての分析結果が出てくると、規模や全世界に対する影響度合いなど桁違いではあるが、大阪都構想の住民投票とどこか構造が似ている。
年齢別の投票結果を見ると新しい取り組みに賛成するのが若い年齢層であるのに対し、保守的、過去への回帰を望むのが高齢者に多く見られる。
教育レベルや職業・収入などによる投票行動に関するの分析結果も同様に出ているが、いずれにせよ、国の将来に関する意思決定を住民・国民に委ねたことは、最も民主的な選択だったのか、単に政治家が責任放棄・責任転嫁しただけだったのか、分からなくなってくる。

自らの責任において投票した人が、歴史的に大きな犠牲を払うだけならよいのかもしれないが、巻き添えを食った形の人達はたまったものではない、ということだろう。
このようなことは、今後も起こる可能性があるから、そのメカニズム・論理が整理されないと、何度でも同じ過ちが繰り返されることになる。
意思決定にかかわる要素をどのように設定、表現し、どのように判断するべきなのか、シミュレーションを含め、メリット/デメリット/リスクなどを整理するような機関が必要なのかもしれない。

今回のイギリスのようにインプットされる情報が間違っていれば、判断も変わるし、情報を処理するプログラム、メカニズムが違えは、アウトプットされる内容も大きく変わる。
テレビのニュースの中で何回も繰り返し言われていたことが、「離脱に賛成した人はEUというよりも現在の状況を否定した人達」という表現であった。
現状を回避できることとEU離脱を結びつけたのは、意図してそのように仕向けた人がいたからだろうが、冷静に考えれば必ずしも、その二つがイコールで結ばれるとは思えない。

一方、大阪都構想は、完ぺきとは思えないが、2010年~2040年までの30年間に、日本で最も多くの人口が減少するのが大阪府と推計されていることを知っている人がいったいどのくらいいたのか、はなはだ疑問である。
既に大阪府は人口減少が始まっているが、推計値では2010年886.5万人から2040年には745.4万人まで約140万人(47都道府県の中堅規模の県の人口に相当)の人口が減少するとされている。市区町村別に見れば、また見え方が変わるが、一つ言えることはすでに現状の市区町村の形、自治体の仕組みを維持することは難しくなっているということである。

随分前に「道州制」の議論がなされたことがあるが、今回の大阪都構想も近い将来の国を維持する新しい試みとして期待すべきものがあったはずである。単純なYES/NOという結論の出し方ではなく、もっと議論を重ね、よりよい形に修正することを望んでいた人達も少なからずいたはずである。少なくとも政府はそのように見ていたように思う。
いずれにせよ、反対した人達がわずかに上回ったことで、この話がたち切れになってしまった。

問題は、この結果に対して誰も責任を取らないことである。イギリスのEU離脱も全く同じ構造である。EU離脱を煽っていた人達は、結果を見て、誰も責任を取らず、さっさと逃げ出してしまった。(一部は次の政権に指名されたが…)
大阪府のその後談の詳細は分からないが、現在の行政の仕組みを根底からつくり直すエネルギーを考えれば、千載一遇のチャンスを失ってしまったということだろう。強力なリーダーと多少の強引さがないと、このような状況は変わらない。
見えない不安が現状維持を選択させる。実は、どちらにもリスクはあるのだが、現状は見えるが、結果が見えない変化には不安が残る。不安を煽るのは簡単だが、リスクを科学的、現実的に解消するには多くのエネルギーが必要になる。

これらの状況を見ると、住民投票、国民投票、…民主主義の最も基本的な形が必ずしも最善の策を選択するわけではないのだろう。いずれ何年か後にその結果が確認できる。
特に大阪の場合は、いろいろな意味(国内の他の自治体に対する影響を含め)で手遅れにならなければよいのだが….。

現在は、みんなの目が東京都、2020年東京オリンピックに向いているから目立たないが、人口減少・高齢化は8割を超える市区町村で確実に進んでおり、年齢構成の変化は特にこの10年が極端である。
宴の後が心配である。

 

 

 

 

 

 

 

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