情報系総合大学が必要! 義務教育をパスする権利も必要⁉

◆情報系総合大学が必要
いま、情報工学科でマーケティングを教えている。実業の世界ではAIを含めたデジタル、IT関連の進化がすさまじい勢いで起こっており、狭い世界に閉じこもっていたのでは、すぐに浦島太郎状態になってしまう。
進化は、専門分野の分化と再統合を繰り返しており、中途半端な知識、教育ではどう考えてもついていくことは難しい。
そのような状況を前提として改めて大学を考えると、すでに情報工学は一つの学科という位置づけで存在するものではなくなっているように思えてならない。
一般教養も、大学に入ってまで英語を勉強するなどということではなく、英語は空気のような存在で当たり前、改めて大学に入ってから勉強するものではないという位置づけにならないと次のステージには進めない。
情報、デジタル系の総合大学ができ、その中にさまざまなジャンルの学部、学科が存在するというようにならないと対応できないのだろう。
現在の情報工学科でやっているようなカリキュラムは一般教養という位置づけで、全ての学科、学部に共通して身につけるような状況に変わると考えた方が分かりやすい。
たくさんある全ての大学がそうである必要はないが、少なくとも複数の大学がそのように変わっていかないと、時代の進化についていける人材が育たない。
◆大学までの12年間をどう変えるのか
中高一貫が盛んに言われていたが、最近は高大一貫が言われるように変わってきた。
下から積み上げれば中高なのかもしれないが、大学から逆算すると高大になる。そして、必然的にその下の中小となっていくことは自然なことである。
言い換えれば、積み上げ方式のいまの義務教育を大学から高校、中学、小学というようにゴールから逆算して整理していくと、優先順位が明確になる。
積み上げ式である限り、どんなに積み残しがあっても時間だけが過ぎてしまえば取り返しがつかなくなる。一方、ゴールから落し込んでいけば無駄なモノ・コトも必要なモノ・コトも明確になる。
一般教養も時代とともに変わるから、何をもって一般教養とするのか、再定義しないとズルズル行ってしまう。
あちこちで改革、改革と言われるが、ゆとり教育が間違いだったからといって、授業日数、時間を増やしても、中身、思想が変わっていなければ、ただ無駄な知識、それを詰め込む時間が増えるだけで本質は何も変わらない。
何よりも「勉強とは何か」「何を目的として勉強するのか」「教育・人材育成とは何か」という最も基本的なことが明確にならないまま、ただ知識を詰め込むことを強化しても何も変わることはない。
知識、情報はインターネット上に溢れており、いくらでも手に入れることができる。それを前提として学校では何を教えるのか、教育するのか。答えを持たないまま「教育」の名を借りて子供を拘束することは避けるべきだろう。

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