自ら自閉症であることの特徴を生かし、動物学者としてだけではなく、多くの新しい視点から提唱をしているテンプル・グランディン(Temple Grandin)氏の「TEDカンファレンス」をEテレ「スーパープレゼンテーション」で見る機会があった。 氏は思考方法のタイプを①映像タイプ、②音声タイプ、③文字タイプ、④操作タイプの4つのパターン分けて説明している。 これらをバランスよく身につけている人(当り前の人)に対し、発達障害(この言葉、表現には違和感を覚えるが)をもつ人(当り前ではない人)は、どれかに極端に偏る傾向にあるという。 一度見れば、どんな風景でも詳細に模写できる、一度聞いた曲はすぐにピアノで弾ける、....等々、特異な能力は時として我々の想像をはるかに超える。 キーワードは、これらのことを前提として「世界はあらゆる頭脳を必要としている」という氏からのメッセージである。 特にITが高度に進化し、人工知能が当り前になる時代には、これら特異な才能が進化に大きく貢献することが期待される。 その時には「発達障害」という言葉が「超発達」と変わっているのかもしれない。 ただし、それには、それらの能力の有用さを認め、見出し、開花させるというバックアップが必要となる。 既に人工知能の進化によって取って代わられる職業などということが話題になっているが、これからの時代を考えれば、当り前を超えられる発想、当り前を超えられる能力が重要になるだろう。
「当り前」を超える
なぜ、いま論理なのか
「論理」「ロジック」という言葉をよく使う。ある結論に導く・行き着くためのプロセスであり、一定の法則に基づいてテーマから結論に行き着くプロセスに理屈としての正しさ、矛盾がないことが重要になる。 ただし、論理的な正しさがあっても、世の中、全てその通りに動いているかといえば、実際にはそうでない方が多い。単純に好きか、嫌いかという心情的・感情的な問題や正しく論理を理解しないまま、物事が決まリ、動いていくケースの方がはるかに多いからである。誰が考えてもおかしいと思うような論理の矛盾があったとしても、指摘されるまで誰も気づかず、何事も起こらず、何十年も過ぎることもあれば、取り返しがつかないような重大な事態を引き起こすこともある。多くの場合、前者の比率が圧倒的に高く、何かあったとしても影響が軽微であるために、論理はあまり重要視されない。あるいは、何か起こったとしても国民性、文化と言って済ませてしまうことが多いのかもしれない。
ある安保法案に関するTV番組で有名な評論家が「日本の平和主義は、安全保障のことを考えないことが平和主義だから…」という発言をしていた。反対はするが、その後「…だからどうする」という具体論、方法論の提示がない。おそらく、莫大な赤字を抱える財政問題も、年金問題、高齢化問題、人口減少問題、原発問題、…などもみな同じだろう。
一見すると、理屈の正しさがあるようでも、現実問題として、それでは具体的にどう実現するのかというと方法論が付いてこないから解決にはならない。国民投票までして、すったもんだした挙句に、結局はEU案とほとんど同じ案を選択したギリシャを見ても分かるが、具体論(特に費用・資金の裏付け)がないままに心情論に突き動かされるとかえって事態をこじらせる。日本では歴史的に見て、学校教育でも家庭教育でも論理的に物事をとらえるトレーニングをしてきていない。 何でも理屈で考えろとは言わないが、どこかでバックボーンとして一本筋が通った論理を確保しておかないと、大変なことが起こる。
財政問題、年金問題、高齢化問題、人口減少問題、原発問題、…など、どれをとっても冷静に考えれば、どこかで理屈の通らないおかしなことが放置された結果、今になって取り返しのつかないことが起こっている。
すでに70年以上も前に2000年以降日本は高齢化して人口は減少することが推計されていた。ヨーロッパでは日本に先駆けて少子高齢化に陥った国があるからも日本もどうすべきか、議論をし、対策をとる時間は十分あったはずである。
原発問題も素人から見ても「何で....?!」と思われる稚拙なことがアチコチに放置されたまま現在に至っている。おそらく片道切符のような状況でここまで進んできてしまったのだろうから、反対と言ってみても簡単には逆戻りができない。福島一つとっても今後どのように処理をし、その期間とコストがどのくらいかかるかも想像がつかないのに、はるかに規模の大きな核のゴミをどうするのか、廃炉の費用はどうするのか、…といったことについては誰も答えを持っていないのだろう。論理の正しさよりは、その時々の状況や利害に流された結果である。
そのような意味では、人口が減り、ますます難しい時代になることを考えれば、再度「論理的であること」の重要性を見直す必要がある。
物事が正しい論理とかけ離れた所で決まり、進んでいけば、結論を先送りするだけで状況はどんどん難しくなっていく。
勉強を遊ぶ、仕事を遊ぶ
誰が「勉強は良いことで、遊びは悪いこと」と決めたのだろうか? 勉強は良いこと、遊びは悪いことという価値観は、あらゆるモノ・コトをおかしくしてしまう。(厳密に言えば、勉強も遊びも、明確な定義なしで、いきなり良い悪いと決めつける思考、論理=何故そう結論付けるのかという根拠が理解できない) 筆者が知る経営者の中には「仕事を遊んでいる」人達が何人もいる。まさに仕事が遊びという点では筆者とよく似ている。 好きで魚を飼って一時期は10本も水槽を持っていたし、クレマチスは100鉢、バラも50鉢ほど持っていたことがある。好きでやっているから、インターネットで調べたり、本や雑誌を読み漁ることは苦ではない。育てる過程で遭遇するさまざまなトラブルに対して、必死で調べ、試し、工夫する。そんなことを何年も続けていれば自然と詳しくなるから、辞令をもらって仕事でバイヤーをやっている人よりははるかに詳しくなる。バイヤー教育をするにはもってこいである。 学生も、与えられた課題を自分のものとして遊べるようになった子はあらゆる点で飛躍的に変わる。 課題に取り組むことを義務、あるいは勉強などと変に堅苦しく考えないで、創造性を働かせ、楽しく遊べるようになれば、従来とは異なるステージで課題に取り組むことができる。問題意識も、調べ方も、考察の仕方も一皮むけるから、通り一遍ではなく、本質により近付くし、従来には無かった全く新しい視点から物事を見るように変わる。 残念なことは、「遊び」を「勉強」や「仕事」の対立概念というように刷り込まれている人達は、あたかもそれが悪いこと、不謹慎なことででもあるかのような価値観で物事を見る。 「学校の成績がよくて頭もいい子」「学校の成績はいいけど決して頭の回転が速いとは言えない子」「学校の成績は悪いけど頭の回転が速く、賢い子」というとらえ方をすれば、日本で一番割を食っているのは賢くても学校の成績が悪い子である。 学校の勉強が合わなくて嫌いだからやらないだけのことなのだが、成績が悪いと全てにおいて評価されない。認められないから、本人も自信を持てないし、せっかく優れた才能があったとしても生かされるチャンスに恵まれることが少ない。誰かそれなりの人に見いだされるというチャンスに恵まれなければ、才能は開花されずに埋もれたまま一生を終わらせてしまう。本人にとっても社会にとってももったいないことである。 一時期、モチベーション3.0というものが注目されたことがある。 モチベーション1.0が生理的動機付け(生きるため、生き残るため)、モチベーション2.0がアメとムチという外発的動機付け、それに対し、モチベーション3.0は興味や好奇心、向上心など内発的動機付けだという。 マズローの欲求階層とも似ているが、要するにやらされたり、仕方なくやるのではなく、自己実現、自らを高めたいという欲求が人を動かす源になるという。「好きこそものの上手なれ」という諺があるから、自分を高めるなどという難しいことを考えなくても、単純に好きで好きでたまらずに、ただ夢中になっているだけというだけで十分だろう。 仕事や勉強を遊ぶというのも全く同じである。モチベーション3.0やマズローの欲求階層など、表現は違っても、人間を動かす根源にあるものが何なのかという点では本質的に同じことを言っている。 筆者は常々「勉強とは工夫すること」と学生には言い聞かせている。工夫するには、変に堅苦しくするよりは、自由に発想を解き放つ方がよいに決まっている。難しい話をするよりは、好きなことをとことん突き詰めて得た結果から経験的に法則性を見出していく方がはるかに得るものは多い。 限られた人材、限られた時間を有効活用し、大きく成長させるには勉強も仕事も遊べるようにすることが大切である。 そのための環境整備=教育できる人材の育成、社会的な価値観の変革が必要である。
「劇場型ショッピングセンター」を創ろう‼
子供に職業体験をさせるキッザニアが人気である。
人気の理由はいろいろ考えられるが、何といっても仕事をして収入も得られる、自治もあるなど、そこに子供たちが主役になれる一つの世界があることが何とも言えないくらいによいのだろう。
筆者が提案する「劇場型ショッピングセンター」は大人版キッザニア、あるいは以前話題になった「セカンドライフ」のリアル版である。
アバターや別名を付けるかどうかは別にして、たとえ限られた短い時間であっても、全く異なる人生を演じられることは、いろいろな意味で価値がある。
いじめにあって心に傷を持つ人が別の人間になれるかもしれないし、すでに一回りしてきた高齢者が全く異なる人生体験をすることが可能になるかもしれない。
コスプレの生活版、セカンドライフのリアル版、言い方はいろいろあるかもしれないが、現代のような社会には必要な空間になることだろう。
大きなコンクリートの空間をテナントで埋め、商品で溢れさせても損益分岐点をクリアできない時代が来る前に、全く新しいビジネスモデルに切り替える企業が現れてもよいだろう。
いつの時代も人が喜ぶビジネスが支持されると考えれば、有効なビジネスモデルになり得るだろう。
田園都市型ショッピングセンターを創ろう‼
いろいろな原稿に書いているように、2015年から2025年までの10年間、人口減少はもちろんであるが、急激な高齢化によりマーケットの状況は様変わりする。
特に高齢化が顕著なのが現在多くの人口を抱えるターミナル駅周辺のベッドタウン=都市部であり、多くの商業施設が集中するエリアである。
高齢化による消費の減少は費目により極端であり、衣料品を中心にしたショッピングセンターに大きな影響が出ると考えられる。
低迷するGMSの衣料品と似た構造にあることはすでに指摘した通りであるが、現在の状態を維持していては新たな方向を見いだせないまま、衰退していくしかないだろう。
一つの提言として「田園都市型ショッピングセンター」への転換はどうだろうか。
単なる思い付きでも何でもなく、様々なマクロデータをベースにした消去法から行き着く一つの結論であり、それなりの根拠がある提言である。
ショッピングセンターは、広い敷地内に店舗が分散して成り立つオープン型と一つの建物の中にあるクローズ型がある。海外ではアミューズメントやホテルまで持ち、滞在できるような大規模なショッピングセンターもある。
ただし、いずれも日本的ではない。
「里山資本主義」なる提案がされたこともあるが、いっそのことへ「田園都市(あるいは里山)」=町、あるいは村という生活が完結できるような「地域を一つのショッピングセンター」として創り上げてしまうのはどうだろうか。
もちろん、滞在型がいいし、リゾートやレジャーばかりでなく、仕事をしながら1週間でも1か月でも過ごせるのがいいだろう。
理由はいろいろとある。
①空き地、空き家、廃校、耕作放棄地などがたくさんあるから放っておけば荒れ果てるだけだが、短期や中期で他人が入ってきて生活すれば、少なくとも荒れ果てることに歯止めがかかるし、経済的にも動きが出る。人口、住民をシェアすると考えれば、これからの時代には非常にあった仕組みである。
②高齢化することで、これまでに経験ができなかったような、ハレ型、あるいは参加・体験型消費のニーズが高まっている。物消費よりは、新たな経験の方に価値を見出す人が増えているから、自然を相手にしたり、伝統工芸や地域産業に触れることに意義を見出すケースも増えている。
③いろいろな理由(主に介護)から地方への人口移動を後押しするような動きもあるが、都市部から人がいなくなることも大きなリスクになる。理想的には、高齢化しても元気で働けることが一番である。人が動き、お金も動く状況を創りだすには、都市部で買い物をするよりは、アチコチ元気に動き回ってお金を動かす方が医療費もかからないし、地方の荒廃の歯止めにもなる。上手い具合に海外からの人も呼び込めれば、こんなにいいことはないだろう。
ある年齢になると、子供の頃を懐かしく思うようになる。小川でメダカを取ったり、小鮒でも釣ることができれば、そんな時間も大切である。
高齢化すると言っても残された時間は長いし、身体も昔と比べれば実年齢より5~10歳は若いと言われるように元気である。
やりたいことが明確になっている人は、すでにアチコチ動き回っているが、どうして良いか分からずに動けない、動かない人も大勢いる。そういう人達がいろいろな体験をしながら、これまでと全く異なる生活時間を過ごせる町、村がアチコチにあってもよいだろう。
せっかく四季があり、海も山も川もある国であるから、百貨店での買い物や海外でのブランド品の買物、クルージングとはまた違った楽しみ方があってもよいだろう。
団塊の世代にとっては、なかなか手に入ることが難しい貴重な時間、体験であるような気がしている。
2025年、2035年にも人口が減らない都市の見分け方
将来の推計人口について、いろいろな分析を繰り返してきたが、ここへ来てやっと一つの法則が見えてきた。(詳細は一般社団法人公開経営指導協会会報「公開経営」9月号に掲載)
詳細は省くが、一般に理解されているような「現在、人口の多い大都市は将来も人口の減り方が少なく、人口の少ない小さな都市は人口の減り方が大きい」というのは、半分は合っているが、半分は違っている。実際に2015年30万人を超える秋田市、旭川市は2025年総人口指数(2010年=100)は88.2と90を切るのに対し、三重県の朝日町は11千人規模なのに116.5、埼玉県滑川町も18千人規模なのに111.8と二桁伸びると推計されている。
いろいろな指標を使って様々な角度から検討した結果、分かったのは、2015年の65歳以上人口率(総人口に対する老年人口の比率)が20%前半まで、かつ2025年25%以下、2035年30%未満と推計されている都市は、現在の人口規模に関係なく、2025年、あるいは2035年の総人口指数(2010年=100)がほぼ100を超えると推計されている。つまり、これらの条件に該当する都市は、人口規模に関係なく2010年よりも人口が増えるということになる。
大都市を除いてこの条件をクリアし、2025年総人口指数が100を超える都市は、30~35万人17都市中6都市、25~30万人31都市中6都市、20~25万人53都市中23都市、15~20万人76都市中19都市、10~15万人138都市中25都市、5~10万人280都市中25都市、3~5万人236都市中28都市、1~3万人435都市中24都市、1万人以下477都市中9都市である。
総人口が減るにしたがって、確率は減るが、1万人以下の規模でも川北町、舟橋村、宜野座村、御蔵島村、日吉津村など、確実に人口が増えると推計されている都市はある。
重要なことは、このように人口が増えると推計されている都市を如何に大事に育てるかであり、そのノウハウをその次に位置する都市にどのように波及させるかである。
小売業にとって重要になるのは、まず自分が店舗展開する市区町村の2015年65歳以上人口率を調べることである。この数値が前述の範囲にあれば、その都市は人口が増えるし、すでに2015年時点で30%を超えるようであれば、確実に30%台後半から40%へ向かうだけでなく、総人口指数も80台、70台、60台と減っていく。
店舗立地に対して、撤退するのか、地域と協力していくのか、早急に意思決定する必要がある。立ち位置を明確にせず、現状のままズルズルいくことだけは避けるべきだろう。
経営者が考える必要があるのは、いま30歳のスタッフは無事に定年を迎えることができるのか、また、今年入った新入社員は無事に定年を迎えることができるのか、ということである。
現在から将来を見るのではなく、将来から逆算していま何をするべきかを明確にする必要がある。
2020年東京オリンピックを考えても、2025年までの10年間はアッという間に過ぎるだろう。ただし、現在65歳にのった団塊の世代が75歳=健康寿命を迎えるのも2025年である。その後、5~10年、長くても20年で寿命を迎え、日本にとっての大きな一つの時代が終わる。
都市を見分けることで、やらなければならないことが明らかになるはずである。
「論理」にこだわると真理が分かる
東日本大震災によって福島第2原発の電源が停止したということに関し、様々な議論が巻き起こった。
不思議なのは、偉い学者やあれだけ危険なものを扱っている人達が何の疑問も持たずにおかしなことを平気でやっていたことである。
「電源が命」ということから、主電源がダメになった時の予備電源をどこに置くべきだったのか、なぜ同じ建屋の中になかったのか、….等々、マスコミも大騒ぎし、評論家という人達も好き勝手なことを言っていたが、いずれも「論理」が違っているのではないか、というのが率直な感想である。
「冷却するための電源」というものがワンセットになっているから、皆一様に「電源」の話しかしないが、本来の目的は「冷却」であったはずである。
おそらく、IE(Industrial Engineering)、QC(Quality Control)・QM(Quality Management)・QA(Quality Assurance)、VE(Value Engineering)などをやっていた人であれば、常識的に「冷却」と「電源」は切り離して考えるだろう。
本来的な目的=上位目的は冷却であり、電気を使って冷やすというのはその手段、つまり下位目的でしかないから、一緒に考えること自体が理解できない。まして、そんなに「冷却」が重要であるなら尚更である。
皆が電源にこだわった議論をしていたが、結局は海水で冷やすという手段を採用していることを考えれば、電源がダメになった時の対処法として電源以外の「冷却」手段を予備に持つというのが、当り前だろう。
ある目的を達成することが絶対条件であれば、目的を達成するために採用する原理を1つに限定して、装置の予備を複数持つよりは、目的を達成できる異なる原理を複数持つ方がカバーできる確率は高くなるはずである。別に予備電源を否定しているのではなく、今回のように電源、排水管など、要するに電気を使って冷やすという原理を実現するための構造物が使えなくなった場合、別の原理でないと対応ができなくなるという、至って単純な話である。
圧力を下げるためのベントも同様だろう。「いざとなった時の非常手段」として減圧するために外に排気するのであれば、「当然、排気は汚染されているはず」だから、少なくとも除染装置と一体化させるということは誰が考えても常識以前の話だと思う。
知れば知るほど怖くなるのは、原子力や地震の専門家がたくさん集まっているのかもしれないが、どうやら信頼性工学やIE、QC・QM(品質管理)・QA(品質保証)、VEなど、経営工学の専門家は全くと言ってよいほど関与していないのかもしれない。
これらの例は、個々の詳細な現象や経緯をいろいろ議論するより、その大元にある「論理」を見れば、簡単にその本質が判断できるという典型的な事例である。
物事、多少理屈っぽく見えても「論理」にこだわり続けていれば、確実に本質を見極めることができるようになる。思考を整理する上でも非常に重要なことである。
強い組織をつくろう
チームプレーで成り立つスポーツを見ていると、組織として強いチームとそうでないチームがはっきりと見て取れる。
面白いのは、スポーツの世界では単に年齢や経験ではなく、能力が重要視されることである。たとえ中高生でもワールドクラスであれば、インタビューに答える内容、話し方、態度は下手な大人よりもよほどしっかりしているし、高校を出たばかりの20歳の選手が物怖じすることもなく、チームの中心となってタクトを振ることも珍しくはない。
能力を認められ、それなりの仕事を任せられると、早くから能力は開花する。若くして経験を積むことができればそれなりに進化もする。
若いから…、まだ早い、…と何もさせてもらえないよりは、持てるポテンシャルを十分に引き出すことができるから、本人にとっても組織にとってもメリットがある。
できる人でも一匹狼的な動きをしてきた人は、そのようなタイプのプロ集団なら能力を発揮する(それ以外は辛い)。同じようなタイプ、価値観の人達だけで結果を追求すれば、知らず知らずのうちに最善の方法を選択していく。理屈抜きで最後はどうにか結果を出すプロ集団である。
問題は、できない人、できるのに任せてもらえな人などが混在した混沌とした集団で、「規律」が与えられないケースである。
プロ集団は暗黙の了解という規律を持っているし、能力を認められ、若くして第一線で活躍する人も一定の秩序を見出している。相互にリスペクトしているし、阿吽の呼吸も持ち合わせている。
規律を与えないと自らを制御できない人達に規律を与えなければ、ただの寄せ集めでしかないから組織としては成立しない。
このような寄せ集めの共通点は、リーダー不在で規律がなく、組織以前に集団としても成り立っていないことである。
例えは悪いかもしれないが、「カリスマドッグトレーナー シーザー・ミラン」というアメリカのテレビ番組(YouTubuなどで見られる)に、この辺の真理が凝縮している。
すぐに吠えたり、噛みついたり、すぐに喧嘩を仕掛けたり、いじけていて他の犬と触れることができなかったり、…という問題を抱えた犬が、明確な規律と躾を与えらることで、とても穏やかな犬に変わり、他の犬とも仲良く一緒に過ごせるようになる。組織における自分の居場所とふるまい方を身につけることで安心できるのだという。
もともと社会的な動物であるから、群れのリーダーや序列が曖昧な状態でいると精神的に不安定になり、そのことが原因で問題行動を引き起こす。精神的に不安定な結果が問題行動として現れる。
まさに現代の人間社会、学校やママ友のいじめといった現象のメカニズムと解決法を「犬」の世界を通して解説されているような気がする。
群れをつくる社会的動物に共通する真理なのだろう。
この番組を見ている(シリーズはたくさんあってなかなか奥が深い)と、少なくとも強い組織を作るには、①リーダー、②規律、③自制という意味での躾、そして④相互にリスペクトできる状況が必要だということが分かる。
ポジティブな環境の中にいれば、黙っていても人は向上するから、無駄に「教育だ」「マニュアルだ」などと騒ぐよりは、組織としての良い環境を整備することに集中した方がはるかに有効と考えることもできる。
勉強は「工夫すること」だから、常に問題意識をもって工夫できる環境さえあれば、組織も個人も大きく進化する。下手に枠にはめ込んで強制しなくてもモチベーションが多くの物事を解決してしまう。
構成する人の能力を最大限引き出すことができる組織が強い組織と考えれば、まだまだ組織の能力を高め、強い組織を作ることはできるだろう。自分で進化できるだけでなく、組織の能力を引き出すことも重要な要素である。
チェーンシステムは小売業の財産 フランチャイズシステムで日本再生
「チェーンストアのコア技術は?」と訊かれて「チェーンシステム」と答えることができるのは、おそらくコンビニエンスストアの人達くらいだろう。
他の業態で、しかも店舗数があまり多くない、あるいは標準化(画一化ではない)できていない企業では「チェーンシステム」と言っても実感としてあまりピンとこないかも知れない。
チェーンストアの中にいると、それが当り前になるから、改めて意識することはないかもしれないが、チェーンシステムを他の分野に応用することができると、様々なことが画期的に変わる。
例えば、農業にフランチャイズシステムを応用すれば、個人を巻き込んで急速にシステム化することも可能になる。システムは、全て画一である必要はないから、地域特性に応じて、年間の作物を全国ネットでコントロールすることが可能になるだろう。
農機具、農薬、肥料、種苗、出荷などあらゆる分野に最先端のシステムを持ち込むこともできるようになる。
資本、システム、様々な研究成果をシステム的に運用し、さらにマーケティング、販売先などが統合されれば、ビジネスとしての生産性は高まり、競争力、進化速度も増す。
また、地域興しを前提とした各地域の農業試験場の持つノウハウを交流することで、グローバルな産業にすることも容易になるだろう。
同様に魚の養殖に活用しても高い効果が望める。
さまざまなネットワークを活用し、コンビニエンスストアが一大産業になったように小規模事業を統合することができれば、農業も水産業も近代化し、一大産業とすることも可能だろう。まさに日本再生を目指す上でキーを握るシステムと言ってもよいだろう。
チェーンシステムが持つ内容を改めて整理してみれば、マーケティング、販促、商品企画・開発、商品流通チャネル、物流、情報システム、販売、店舗運営、多くの事業所を統括するマネジメントとオペレーション、教育・マニュアル、….等々、短期間のうちに事業をシステム化し、拡大することができる要素が全て揃っている。
急激な高齢化と人口減少によって、固定された数多くの店舗の運営が難しくなることは容易に想像できる。
自社の重要な資産でもあるチェーントステムを店舗と共に陳腐化させてしまうのが、全く別の分野で有効活用するのか、経営としての先見性、経営の力が試されることになるだろう。
OTB(Open to Buy)で売場経営
放っておくと、勝手に発注するからどんどん在庫が増える。在庫が多すぎるから発注を減らせというと、一気に発注を減らすから欠品ばかり増えて売上が落ち、在庫は全然減らない。 何十年も前から繰り返してきたことであるが、いまだに同じことが起きているから、小売業はほとんど進歩はしていないことになる。 バイヤーが自分が仕入れる商品、自分が組み上げた商品構成に自信がないとアイテム数が増える。発注担当者が自分の発注に自信がないと、発注数量を必要以上に増やすから、やたらと在庫が増える。 何十年経っても変わらないのは、人間の本質がそこにあるからだろう。 発注して商品を取り、売れて残ったのが在庫、というのは時間の流れから言えば正しいが、仕事として売場で商品を販売するのであれば、はじめに商品の販売計画が必要になる。 販売計画通りに売上を上げるのに必要となる在庫数量、それだけの在庫を持つために必要となる発注数量という手順で発注が行われる必要がある。 「はじめに販売(売上)計画ありき」である。どれだけ売るのかという目標、計画もないのに在庫数量を設定できるわけがないし、いつ、在庫を切り上げるのかという目標、計画もないのに発注ができるわけはない。 OTB(Open to Buy)の理屈はいたって単純である。これだけ売りたい、だから在庫はこれだけ必要になる。不足する在庫は、これだけだから、その分を発注する。これだけの話である。 ただし、販売(売上)は必ずしも計画通りにはいかない。予定より増えることもあれば減ることもある。売上が増えれば、在庫が予定よりも減るから、その分発注を増やす。逆に売上が予定よりも少なければ、在庫がオーバーするから、その分発注を減らして在庫と売上のバランスを調整する。 OTBは、仕入枠管理のための在庫管理手法と紹介されている本も多いが、実際に使ってみれば、売上と在庫のバランスを維持するための手法であることはすぐにわかる。
具体的には図表「OTBとは何か」に詳細に示したので、実際に試してみると理解しやすいだろう。また、Excelフォーマットについても「OTBフォーマット例」に示したので、参考にするとよい。
Zチャートなどもそうだが、実際に使ったことのない人が、知識だけで本を書くとZを1つか2つ書いて説明する。実際にやってみれば分かるが、それではZチャートの意味をなさない(トレンドを見る移動総和のデータが少なすぎる)。 OTBも全く同じで、売上、在庫、仕入の関係を理解した上で、売上と在庫のバランスを調整する手段として仕入=発注を用いる。 したがって、OTBによって管理するのは売場の健康管理=売上と在庫のバランスであり、仕入枠管理でも在庫管理でもない。 バランスは、売上が増える際には先行して在庫を増やし(当然仕入れ、発注も増える)、売上が減る時には先行して在庫を減らす(当然仕入れ、発注も減る)ことによって維持する。 売上が増えたら発注を増やし、売上が減ったら発注を減らすというやり方では、在庫は増えたまま減ることはない。多くの人が一度や二度はこのような失敗を経験する。 気持ちとしては、分かるが数値化してみると、それでは在庫がコントロールできないことが分かる。エクセルを使ってシミュレーションしてみればすぐにわかるが、売上と発注を同じように増減させると在庫はほぼ一定で推移する。このようなことをしてもよいのは、在庫を持たない生鮮食品だけである。 OTBは売場経営の一番の基本であり、もし基本を知らずに運用されている売場があればすぐに修正すべきである。 いまは、数量で説明をしたが、実際の商品仕入れと支払いの関係(金額)を考えれば、在庫が過度にオーバーすれば、支払う金額が不足するし、逆に少なくなり過ぎれば、売上が減りすぎて、固定費の負担に支障をきたす。 数値を見て「難しい」という人もいるが、難しいがどうかという話ではなく、これが小売業そのものであるから避けては通れないだけの話である。

