総合スーパー(GMS)の立て直しに関する「イオンとセブン&アイの、戦略の違いどちらに軍配?」という記事をヤフーニュースで見かけた。 目を引くタイトルではあるが、残念なことに、このタイトルにはマーケティングの概念がすっぽり抜けているように思えてならない。 そもそも総合スーパー(GMS)と一口に言っても、出店時期によって立地も違えば、規模も違うし、商圏構造、経費構造なども違う。要するに商圏人口だけを想定してできているから必ずしもマーケット、商圏に共通性があるわけではない。したがって、業績が不振だからと言って、全てを同じ手法で対処することには、どう考えても無理がある。 イオンリテールが「イオンスタイル」に切り替えて上手くいっている店があるというが、条件が違う店がそれで全て同じように解決するとも思えない。 イトーヨーカ堂が「ザ・プライス」への業態転換を図った時には、あえて条件の異なる店ばかりを業態転換するということをやっていた。結果的には上手くいく店・部門とそうでない店・部門があったから、一つの手法だけでは対応が難しかったようだが、いずれにせよ、マーケットの状況に応じて多くの引き出しを用意する必要があることだけは確かだろう。 地元とのこともあるが、少なくとも20年以上いろいろなことに取り組んできたこと、今後10年の間に起こる急激な高齢化と人口減少が地域によっては状況を様変わりさせてしまう場合があること、アジア、世界のハブシティ(国策)としての東京への一極集中がますます加速すること、....などを考えれば、地方都市で大規模な総合スーパー(GMS)が残ることはかなり難しいと考えるべきだろう。 現在、都市部に小型店舗が集中しているのは、大型物件の入手が難しいこともあるが、業績のことを含めて短期間にシェア・規模を確保したいこと、高齢化によって移動距離が短くなり、商圏が縮小していることなどが大きな理由であるが、結果としてコモディティニーズは高密度の閉鎖型小商圏を形成し、その中で完結するような方向に向かっていると考えてよいだろう。 一方、地方は広域のまま商圏密度が薄まる傾向にあるから、鹿児島県のA-Zスーパーセンターのように超大型店舗で超広域商圏を確保するか、中小規模で損益分岐点を極端に低く抑え、生産と一体化するなどして高利益率、高生産性を確保するなどしか生き延びる方法は考えられない。 最も難しいのが、コモディティニーズを対象とした大型店であり、経費構造が大きく変わらない限り、地域一番店でありながら経費負担に耐えられずに撤退ということもないとは言えない。ホームセンターのような専門性、特殊性とローコスト体質を持ち合わせていれば別だが、特徴のないことが特徴とも言える総合スーパー(GMS)では、固定費がネックになり、維持することが難しい。まさにこのような条件にあてはまるのが、総合スーパー(GMS)ということになる。 きれいな店舗、オシャレな商品も一時的には目先を変える意味でよいかもしれないが、いずれ飽きられることになるだろう。 インターネットやスマートフォンにはSNSや多くのプラットフォームが次々と生まれているから、さまざまな切り口で買い物ができるし、飽きることもない。また、交通機関の乗り入れや新線の開通で東京までの時間的距離が著しく短縮されているから、地元で我慢しなくても簡単に銀座や渋谷、青山、表参道などの「本物」へ行って買い物することができる。 重要なことは、イオンとセブン&アイのどちらに軍配が上がるかではなく、マーケットに対する読みと損益計算を考えた上で、条件ごとにどのような対応が有効かということだろう。 いずれ総合スーパー(GMS)単独店だけではなく、地方に数多く立地する総合スーパー(GMS)ベースのショッピングセンター、NSC(近隣型ショッピングセンター)なども似たような状況に陥る可能性がある。 アジア各国が、急激な高齢化と人口減少に直面する日本がどのようにこの状況を乗り切るのか、熱い視線で見守っているのと同様に、総合スーパー(GMS)が、この状況を如何に切り抜けるのかで、その後の中大型商業施設の方向は大きく変わると考えてよいだろう。 日本全国の市区町村についてもかなり詳細な分析をしているつもりだが、これからの10年を考えると地方の主要都市で、現在65歳以上の人口が20%代後半以上にある都市は、現在の人口規模に関係なく、総人口、生産年齢人口とも大きく減少することが分かっている。この傾向は政令指定都市といえども例外なく起こるから人口規模だけで安心することは禁物である。 場合によっては、人口が多い方がむしろインパクトが大きいかもしれない。また、大都市周辺にある衛星都市も大きな影響を受ける。東京都の求人倍率が直近で1.8台で推移しているのに対し、埼玉県と神奈川県は1.0未満である。他に1.0を切るのが北海道、青森県、鹿児島県、沖縄県だけであることを考えても大都市近郊にある衛星都市が受ける影響がどのようなものであるか分かるだろう。これと同じような縮図が市区町村レベルでも起こっているから、状況を冷静に把握しておく必要がある。 いずれにせよ、基本的な情報をベースにしてマーケットをシミュレーションした上で対応を考えていくことが重要である。
総合スーパー(GMS)の立て直しに関する「イオンとセブン&アイの、戦略の違いどちらに軍配?」という視点はマーケットを見ていない?
「いい大学を卒業すると将来、幸せになれる」と考える小・中・高校生が増加(ベネッセ教育総合研究所)という調査結果をどう考えるか。
第5回学習基本調査(ベネッセ教育総合研究所)が公表されている。(2016年1月28日)
多岐に渡る総合的な調査結果であるが、その中のChapter 3 意識 3-4[社会観・将来観]の項のタイトル(キャプチャー?)に『「いい大学を卒業すると将来、幸せになれる」と考える小・中・高校生が増加』というのがある。
確かにデータを見ると先回の調査(06年)から小・中・高校生とも10%以上数値が上がっており、特に小学生でその傾向が顕著である。
大学は4年間しかないから、実は小・中・高の12年間も大学同様以上に重要なのだが、その12年間は大学に入るための準備であり、大学に入って初めてそこで成果が得られるような錯覚があるのではないかと思う。
実際に大学と言っても就職試験などを考えれば、実質的には3年くらいしかないから、小中高の12年間と合わせた15年間を大切にするべきなのだが、小・中・高の12年間は「よい大学に入学する」という目的達成のための下積み生活、我慢の時間と位置付けられているように思えてくる。
スポーツ科学などでも、脳・神経系の発達は幼児期が盛んであり、6歳ぐらいで成人の約90%にまで達するという。12歳くらいからは心肺などの呼吸循環機能が発達し、筋量もほぼ大人と同じになるが、骨の発育にバラツキがあるため、成長障害を起こしやすい時期だという。
小さいからできないとか、大きくなったらもっとハードにというのではなく、発育の年齢に応じて適したトレーニングをすることが有効とされている。
脳の発達や人格形成を考えても小・中・高と年齢に応じて良い環境で刺激を受けて育つのと、枠にはめられて育つのでは大きく違ってくるだろう。
大学を卒業してもその後社会に出て40年以上は何らかの形で社会貢献し、収入を得ていかなければならないし、定年退職してもその後まだ15~20年は余命がある。そう考えれば、もっと社会とのつながりを想定した小・中・高・大学にしていかなければならないと思うが、実際には社会とは隔離され、教えている側・仕組を作っている側も一般的な社会経験に乏しい人達に偏っている。最近報道される多くのニュースを見れば、その内容からもムラ社会といって良いほど一般的な社会常識からは逸脱している。
大学に入ることが目的になる教育ではなく、自分らしさを確立し、社会に出ても自分らしく生きられる知恵を身につける教育が必要だろう。
特にこれからの時代を考えれば、人口が減少し、急激に高齢化が進んで、家族形態も単身世帯が大きく増えると予測されている。一生涯結婚しない男性が2割、女性も1割という状況にあり、これまでのような家庭環境を維持することは難しくなる。
一方では、デジタル化とグローバル化の進展がものすごい速度で進むことが予測されるから、大学だけを目標にしてタコツボに閉じこもって12年間を過ごしてしまうのでは、その後の状況に対応できない子供ばかりが育ってしまうという懸念がある。大人になって社会に出た後を想定した教育をしないと、皆が大変になるだろう。
何か違うモノを求めて大切な時間、取り返しのつかない時間と巨額な費用を費やすことはいろいろな意味で勿体無いことであるし、個人、社会、国家など様々なレベルでも大きな損失だろう。
サービス革命は20世紀型ビジネスモデルと21世紀型ビジネスモデルの交代を意味する!
インダストリー4.0、IoT、ICT、ビッグデータ、..、聞いたことがある人もない人も、知らないうちにいつの間にか自分がそのような世界の中いることを認識する必要がある。 トイレにセンサーを付けることで日常的に健康管理をする、あるいは冷蔵庫にセンサーを付けることで食材の在庫管理や日付管理をする、更に進化すれば、健康状態と合わせて、冷蔵庫にある食材や賞味期限を考慮して献立の提案や不足する食材、調味料などの自動発注まで行うというように、全てを自動管理してしまおうというような発想である。
すでにAIスピーカーによる入口の陣取り合戦がはじまっているが、昔は店舗の場所取りだったものが、今では個々人の日常生活の中にどれだけ密着できるかというインターフェイスの取り合いに変わっている。
24時間、365日、日常生活のあらゆる場面を想定すれば、対象となる範囲は非常に広い。しかも今までは物理的な物というパラレルなモノ・コトがデータ・情報によって密接につながっていくから、デバイス、センサー、データ・情報とサービスを組合わせてシステム化した企業が圧倒的多くを握ることになる。
様々な家電製品の使用状況から最適な使用状況、トータルなエネルギーコスト低減、メンテナンスなどを自動的にコントロールしたり、キッチン、バス、トイレに関する機器や使用方法に関するコントロール、自動車や家屋のメンテナンスに関するアドバイスなどは初歩的な話で、まだ20世紀のもの発想の延長線上でしかない。
家庭に常備するような消耗品は、改めて店舗に買いに行くことがなくなる、あるいは様々な物事は日常的にセンサーによってモニタリングしているので、改めて調べたり、調整したりする必要がなくなるなど、「生活の仕方=ライフスタイル」そのものが変わる。
ライフスタイル変化はある時急に始まり、気が付いた時にはそれが当り前になるような変化だろう。例えば、携帯電話、スマートフォンは日常的に手放せないほど重要な便利デバイスとして定着しているし、音楽はCDではなくWebからダウンロードして聞くのが当り前になっている。基本的に、これまで身近にあった「物」「媒体」がデジタル化することで「物」と「機能」は分離する。音楽は「CDという媒体に記録された信号を買って聞く」のではなく、「Webから聞く権利を購入する」ようにに変わった。「物を売る店」という物理的な建物は不要になり、それに代わって「サービス提供をするサイト」が必要になる。
物販はサービスに変わり、リアル店舗はWebに変わる。
いろいろなモノがWeb上のプラットフォームで繋がれば、プラットフォーム上でニーズとシーズのマッチングが可能になる。小さなニーズと小さな空き(隙間的な能力の余分)をマッチングすれば、改めて大きな投資をしなくても小さな空きをかき集めて巨大な能力として機能させることも可能になる。
ウーバー(タクシーもドライバーも持たないタクシー会社)、ラクスル(印刷工場を持たない印刷屋)などのマッチングビジネスがあらゆる分野に拡大すれば、巨大な投資をしないローコスト、高収益のビジネスモデルがたくさん出現する。
まさにサービス革命といえる状況が出来上がることになるが、その時には「店舗や工場などの設備という物」を事業の前提とするビジネスモデルは、物を持たないローコスト、高収益なビジネスモデルに脅かされることになる。
日本だけではなく、様々な国の成長にサービス革命が必要になることは確かだが、それとは引き換えに20世紀型の産業は大打撃を受けることになる。
すでにデジタル化によって物理的な物がなくなっている分野が増えているように、サービス革命は物中心の20世紀型ビジネスモデルとサービス中心の21世紀型ビジネスモデルの交代を意味している。
東京近郊に位置するベッドタウンの市長は、ホワイトカラーが多く住む当該市の将来を危惧している。ホワイトカラーが最も多くAIやロボットにとって代わられるとされているからである。大きな成長と引き換えに大きな犠牲が生じると考えている人は少なくない。 いま20~30歳代の人達は、自分たちが50歳代になった時、自分の業種・職種が存続可能なのか否かをよく考えてキャリアプランを組み立てる必要がある。
経営者は、新卒採用の責務として、彼らが無事定年を迎えられるよう、逆算してビジネスプランを組み立てる必要がある。
難しい選択であるが、どこかで意思決定しないと乗り遅れる。
ICT、IoT、AIでリアルの構造が変わった時、小売業はどう対処するのか?
小売業の場合、情報関連の新しいシステムが実際の現場に入ってくる時にはハードが主体となることが多い。ハードメリットは目に見えて分かるから誰が見ても分かりやすい。特にローコストを重視する小売企業は目に見える形の具体的なメリットを優先する傾向が強いので、どうしてもソフト面、特にインターフェイス、ユーズウエアなどは後回しになりがちである。 例えば、様々な業態を見まわしてみると、いつの間にかアチコチにセルフレジがたくさんあり、お客も当り前のようにセルフレジを使いこなしている。 ただし、このような状況変化はあっても、その先にあるものはなかなか見えてこない。 普通に考えれば、鉄道やバスも同様だが、現金を電子マネーやクレジットカードに全て置き換えてしまえば金銭を扱わなくてもデジタルで全て完結させることができる。日々の釣銭準備や現金の最終的な精算は必要がなくなるし、金銭事故の可能性もなくなる。 さらにキャッシュ&キャリーのキャリー部分も廃止してしまい、精算後に物流センターから買上商品を発送するようにすれば、個店で持つ在庫(資金)、個店での発注-商品ピッキング-商品配送-検品-荷受け-ストック-品出し(商品補充)、鮮度管理などあらゆる手間が集約でき、効率は飛躍的に上がる。経費が減り、その分利益が上がるから、様々な形でお客に還元することもできる。 複数の仕組みを同時に持たなければならない「どっちつかず」「中途半端」は最も効率が悪い。 あまり意識して見ることはないかもしれないが、リアルの構造は確実にデジタル化・ネットワーク化、あるいはICT、IoTの方向に向けて変化していく。 理由はコスト、効率、生産性、...等々である。経済原則に従えば効率のよい方へと収束していくのは至って当然のことである。 人口減少・高齢化によって働き手が減れば、生産性を上げるしか方法はない。小商圏化して売上確保が難しくなれば、損益分岐点を下げなければ経営は成り立たない。あとはICT、IoTなど、敷かれたレールに従って動くしかない。 いまは、誰もが「小売業は、店があって、お客が店に行って、商品を選び、お金を払って商品を買い、自宅まで持ってくるもの」だと思っているかもしれないが、その比率も随分と減りつつある。 そもそもセルフサービスという形態が生まれ(60年前)、それが当り前になったことも、それ以前と比べれば信じられないことだろうし、Web上で商品を探し、ワンクリックすれば翌日(当日もある)には自宅に商品が届いているなども、ちょっと前には考えられないことだったはずである。 「これまで」とか、「いまは」という視点で物事を発想しても見えてくるものは限られる。 「これから」を見た時に、小売、店舗はとどうなっていくのかという視点で物事を見ていかないと判断を間違える。 現在のままでは、商品を売るのに商圏ごとに「店」「商品在庫」「人」を持たなければならない。そうであっても、それぞれの商圏で得られる売上・利益は限られるから、非常に不合理な構造の中でビジネスが行なわれていることになる。 商圏ごとに「店」「商品在庫」を持つという発想さえ変えることができれば、その維持運営に当たる人も不要になり、コストは著しく減少する。あとはそこで減少するコストと個別に配送するコストの比較、消費者の買物習慣とのギャップをどう昇華(消化)するかという問題をクリアすればよい。 いまはいろいろなことができるから、例えばヘッドマウントを装着し、バーチャルの世界で家の中に売場を再現してしまうということも可能だろうし、場合によっては実際の商品の香りをかぎ、手に取って感触を確かめることも可能になるだろう。 どんなに状況が変わっても「店がなくなることはない」というのは多くの人が言うことであるが、言い方を換えれば、だからと言って「全ての店舗が残れるわけではない」。 その時、小売業はどうするのだろうか。 次を考える必要があるだろう。
NHKのナビゲーション 総合スーパー(GMS)の不振を取り上げていたが、どこか違うのでは?
NHKの「ナビゲーション スーパー激変 変わる消費の現場」という深夜番組で総合スーパーの不振を取り上げていた。 なぜか、途中から話が食品スーパーに切り替わったが(たぶん、上手くいっているのが食品スーパーだからだろう)、企画、認識のレベルに愕然とした。 対策として出てきた事例が、商品の絞り込み50貨店、ライフスタイル型GMS、あとは安売りや接客強化の食品スーパー(何十年も前から変わらない)である。 う~ん、どこか違うのでは?????? そもそもマーケティングの基本、業態としての総合スーパー(GMS)、食品スーパー(SM)のことが分かってるの?というのが素朴な疑問である。 単純に、品揃えを絞る、増やす、品揃えの組合せを変える、高い商品を集める、安く売る、...その心は??? 解説も評価もしないで垂れ流しでは、何のための事例か分からない。 一体、小売業の経営をどう見て、どう解釈しているのだろうか?マーケットについても同様である。 世の中の変化にビジネスモデルが対応できなくなったと解説していたが、なぜ、総合スーパー(GMS)が20年間も不振から脱出できなかったと考えているのだろうか? いろいろなことが明確に整理できていないのに特集を組み、もっともらしい解説をしたNHKはいったい何を考えているのだろうか? あまりにも浅い、軽い、...。 どうせなら、20年間、マーケット環境がどのように変化し、総合スーパー(GMS)はどんな対策をし、その結果がどうであったのかという検証番組を特集した方がはるかに有効である。最もそこまで手間暇かけることができないから、あんなことになったのだろうが、もう少しどうにかならなかったのだろうか。 そもそも総合スーパー(GMS)については、不振対策のゴールをどこに置いているのか、非常に分かりにくいし、難しい。 不振の原因だけに絞れば、いたって明確である。 特にコモディティを中心とした競合激化と商圏縮小、商圏人口の減少(密度低下)・高齢化による消費の縮小、ネット通販などへのチャネルシフト、....等々、要するに、消費者にとって購買の選択肢が増える一方でマーケットは縮小し、さらにそれに対する対策として食品や実用品へ品揃えを絞り込んだことで、ますます商圏を狭くし、競争力も無くしてしまったという構造である。 良かれと思ってというよりは、それしかなくて強化した食品が結果的にますます状況を悪化させるというジレンマに陥っている。 ネックは、大きすぎる店舗、高すぎる固定費=損益分岐点であるから、多少のことではどうにもならない。ライフスタイル型の品揃え強化もよいが、東京圏を中心とした大都市にはかなわないし(しかも交通網の発達で時間的距離は縮小している)、超大型ショッピングセンター、Webにも勝てないから、はじめは珍しくても、維持発展させられるかとなるは甚だ疑問である。 要するに八方ふさがりの状況であるから、どこかで割り切る必要がある。ネックは損益構造であり、従来の衣料品や寝具・インテリア、家電など大型部門が稼ぎ出していた売上・粗利と経費の関係が戻らない限りカバーすることは不可能である。 それを埋める商品部門が見つからないから、駅前にありながら保育園などのサービス事業を入れることができない。 そんな物件が日本中に数多くあるから、修正も簡単ではない。このままいけばショッピングセンターが加わるから、その件数はさらに増えることになるだろう。 単独店舗、単独企業でどうこうできる問題ではないから、行政、住民を含めた地域として取組まないと、いまにシャッター商店街と同じような商業施設が数多く生まれることになるかもしれない。
ウェアラブルEXPOに行ってきた!
◆ ウェアラブルEXPO いまは、何か一つに申し込んであると、名簿が使いまわされるから関係あるか無いかに関わらずいろいろな展示会の案内が次から次へと送られてくる。 テレビでも紹介されたウェアラブルEXPOもそのようにして招待券が送られて来たから行ってみることにした。 凄い人出に注目度、力の入り具合がうかがわれるが、ハッキリ言って何の展示会かさっぱりわからなかった。 中には面白い、可能性を秘めたものもあるのだろうが、なかなかそれが見えてこないのが、いかにもごった煮常態の展示会らしい。ジャンルの分類が不明確なのと(そんなもの誰も分かっていないのかも知れないが)どこからどこまでがウェアラブルなのかが分からないために(定義がどうなっているのか分からないが、これもウェアラブル?というものも多い)、もう会場はメチャクチャといった感じである。 ただ見ていてわかったことは、「シーズ発想」のオンパレード、技術的にこれができた、こんなことができる...といったものばかり並んでいるから、「だから何なのか」といったところが全く見当たらない。 むかしロボットアームでジグゾーパズルのデモをやっていたのと全く同じになっている。もったいないの一言である。 せっかくお金をかけ、たくさんの人を出して展示会に出展するのであれば、もう少し、ここをこうすればもっと良くなる、A社のこの技術とB者のこの技術を組合せれば、もっとこんな可能性がある、...というようなところへ持っていければよいのだが、ただたくさんのブースにパラレルに多くの企業・製品が並んでいるだけだから脈絡もない。折角いろいろな企業のいろいろな技術が集まっているのであれば、そのような可能性が広がるようなマッチングがあってもよいのではないだろうか。しかも、まだこれから...という技術ばかりであるから、そのようなアイデアの広がりはとても重要になるはずである。 展示会を主菜する側もただ人をたくさん集めればよいのではなく、もう少しクオリティを高めるような工夫をするべきだろう。 ◆ シーズ発想で物をつくるだけでは20世紀のビジネスモデル 知恵を出さないともったいない 見ていて気になったブース、商品はいくつかあった。 一つは、シャープがやっていた糖尿病などの早期発見につながるという終末糖化産物(AGEs:advanced glycation endproducts)の蓄積度を数値化できるという測定器である。血管年齢の測定器など、健康関連を新たな分野として考えているようだが、残念なことに未だに「技術」で物をつくり、物だけを売ろうとしているところに限界を感じてしまう。正直、もったいないと思う。 以前にも、インダストリー4.0のセミナーの項でもふれたKii CEOの荒井真成氏は、「いまはデバイスをつくって課金するビジネスモデルが有効」と言われていたが、物をつくって売って終わりという発想にはやはり限界がある。いろいろな分野を見ても結局強いのはプラットフォームを構築した企業であるから、物をつくるというビジネスモデルのワンピースだけでは、いつまで経っても一つの歯車から抜け出せない。 健康テーマは、急激な高齢化に直面する日本だけではなく、日本以上のスピードで高齢化すると言われる中国をはじめとしたアジア、さらに世界的なテーマでもある。Global Agingが世界的テーマであれば、その中でどのようなポジションを確保できるかは、将来的にも非常に重要なテーマである。測定器を2,3つくっただけではマーケティング戦略としては非常に心もとない。 誰に売り込むのか、どこに売り込むのか、どのようにして収益を上げるのか、という明確な戦略がなければ、物をつくって価格を付けるのにもコストからの積み上げ、業界内の価格競争だけになる。 個人を対象とするには、小型化、低価格化が必要になるし、病院やドラッグストア、調剤薬局においてもらうにも、セルフサービスでその先の発展が見られないから、リースを組んだとしても料金的には限界がある。 どうせやるのであれば、企業、事業所を対象とし、もう少し幅の広いセルフメディケーションのプラットフォームとして機能させることができれば、対象も増えるし、課金もしやすくなるだろう。 糖尿病の患者数は316万6,000人、男性の15.5%、女性の9.8%が糖尿病の疑いがある(平成26年「国民健康・栄養調査」厚生労働省)ということだが、糖尿病の年間医療費は1兆2,076億円(平成25年度 国民医療費の概況厚生労働省)にものぼるという。(インドは対GDP比2.1%、米国1.3%、デンマーク0.6%、英国0.4%、中国は、糖尿病による生産性の低下はGDPの0.6%に匹敵。デンマークのノボ ノルディスク社の資金助成を受け、Economistの調査部門が調査) 世界の糖尿病人口は、糖尿病有病者数は4億1,500万人(2015年)、前年より2,830万人増え、有効な対策を施さないと2040年までに6億4,200万人になると予測される。(国際糖尿病連合IDF) ビジネスモデル、プラットフォームを構築すれば、グローバル化もしやすくなるから、物を開発すると同時にビジネスモデルとシステムアップのプロセスまでを含めて計画をつくっておくべきだろう。 単なる物づくりだけでは、「技術があるからそれを使って何ができるか」からスタートし、「物ができたから、さぁ、どうやって売ろうか」といったところでマーケットの実情をやっと認識し始める。 時代の流れを見れば、「物」の時代から「デジタルとネットワークの時代」に変わっている。つくっているのがデジタル技術の応用でも、やっているビジネスモデルが物から抜け出せていなければ、いつまで経っても進化することはできない。 良い技術を持ち、いろいろと面白製品を開発していた企業だけに時代の流れを見失うことは非常にもったいないと言わざるを得ない。 (各種数値は糖尿病ネットワークから引用http://www.dm-net.co.jp/calendar/2007/005890.php) ◆ 進化できる展示会が欲しい いろいろな展示会があるが、どこへ行っても物を、無秩序に並べているだけである。 たとえ良いものが出展されていたとしても、意外と創っている方は近視眼的にしか見ていないから、その良さに全く気付いていないというケースも多い。 限定した機能として出店しているか、あるいは出展し、誰かの目に留まるのを待っているという非常に他力本願的なスタンスで展示しているようにも思える。 そうであれば、もっと色々な可能性が議論できるような展示会があった方がよいだろう。少なくとも認知されることは重要であるが、認知されても生かされなければ全く意味がない。特にいろいろな分野、いろいろな用途機能とのマッチングは限定された思考の範囲を大幅に超えるから可能性を大きく広げる。 展示する側も自分の「コア技術」が明確なら、探している方も分かりやすいが、コア技術が曖昧なままであるから、どうしても発展しづらくなる。 今回も「ウェアラブル」というテーマからか「導電繊維」が目についたが、機能が通電だから、LEDを点灯させたり、センサーを動かしたりと似たようなものしか出てこない。 現在は合成繊維の衣料が増えていることもあり、静電気が発生しやすくなっている。そのような環境的与件を考えれば、静電気(違う原理でもよいが)を蓄電し、非接触型でスマートフォンなどが充電できるようなもの(繊維+α)を開発した方がよほど価値があるだろう。 技術が技術で終わる限り、価値は生まれない。どう応用するかまで、発展できるような展示会の形式を考える必要があるだろう。
リテイル・エンジニアリング-1 いま流行のデジタルマーケティングは販売技術の焼き直し⁉
以前は、販売にも技術があるという考え方が浸透していたから、リテイル・エンジニアリングなどという言葉も存在していたが、バブル崩壊後、ローコスト一辺倒になってからは、手間暇かかるものは消えていってしまった。 問題は、売場も本部も現場での技術・ノウハウの伝承がなくなったことで、組織、あるいは業界に蓄積していた技術やノウハウが時間の経過とともに消えていってしまったことである。 面白いのは、いまIT関係の企業やITコンサルタントたちが一生懸命試行錯誤しながら、小売からなくなってしまったノウハウと全く同じようなものを探そうとしている点である。 たとえば、インターネット通販などで用いるABテストでは、AとBの比較を繰り返しながら、より消費者に支持される表現の仕方を見つけ出し、販売精度=確率を高めようとしている。ところが、AとBを比較する際、どのようなものを比較対象としたらよいかという理論的な裏付けを持ち合わせていないから、この部分は勘、経験、感性など個人に帰属する職人的能力に頼ることになる。 デジタルの世界は最先端を行っているようなイメージもあるが、あくまでのベースにある技術の部分だけであり、そこの上に乗せるコンテンツとなると一昔前と同じ非常にアナログな方法で行っていることになる。したがって、アルゴリズムが上手くいかないと、PCモニターのような耐久消費財を買った後に、もう数年は買うはずのない同様なモニターの案内が集中して提示されるようなことが起こる。 HDDを買えばHDD、バッグを買えばバッグ、リンゴを買えばリンゴ、チアシードを買えばチアシード、...というのは、購入前か(商品を探しているのか)、購入後かという識別ができていないし、また、一度購入した後、同期間に類似商品を買う可能性がある商品なのか否か、定期的な買い替えが起こる商品なのか否か、一度買えばしばらくはその品種は買わない商品なのか否かという商品特性についての識別ができいないことが理由である。 一般的に考えれば、ITの世界では随分細かなことをやっていると思いがちだが、実際に商品販売の経験がなければ、小売業が近代化し始めた半世紀前と同じことを繰り返していることになる。 リアル店舗では、実際に売場に商品を並べる際、目的とする商品の売上を伸ばすには、●価格をいくらに設定した時に売上・利益が最大になるのか、●どんな商品(デザイン・色・機能・性能・価格など)と比較すると効果的なのか(商品仕様が比較しやすい商品構成)、●どんな位置関係、どのようなフェイス比率で陳列をした時に目的とする商品の売上が伸びるのか、●お客の導線に対して、どの位置、どの高さに、どのくらいの規模で商品を陳列した時に目につきやすいのか、●どんなPOP表現をした時に消費者は反応するのか、....等々、様々な形で工夫をし、法則性を見出していたはずである。 何よりも結果が速く目の前で確認できるから、修正も早くでき、一定の最適解に収束させた法則を数多く見出すことが可能である。しかも歴史が長い分、多くの売場で、実に多くの人達が、たくさんの試行錯誤、実験を行ってきている。(ただし、個人に帰属する経験・ノウハウのため、それをまとめて整理した形で残っているものはない) チラシ作成についても同様である。 一般的に、消費者がチラシを見る際にはZのように目を動かして見ると言われている。実際にやってみると、筆者はそのように見ていないので、違う方法をとるが、少なくとも左上、あるいは上(チラシの縦か横かという向き、サイズなどで変わる)が最も初めに目につく場所であるから、そこには目立たせたい商品を持ってくるようにする。 おそらく、食品スーパーのベテラン店長、ベテランバイヤーに詳細を聞けば、価格設定など細々とした点についても色々な実績、経験、ノウハウを持っているはずであるし、特にチラシについては一家言持っている人も多い(多かった)だろう。 改めてそのような法則性を収集し、仮説としてサイト作成に応用すれば、無駄もなく、いままで気づかなかったような方法が見つかるかもしれない。 IT系のコンベンションなどでセミナーをやっているのを聞く機会があると、そのような話をして見るが、どうも初めから違う世界の出来事と思っているようで反応がいま一つである。いろいろな業界の発展を考えればもったいないと言わざるを得ないが、業界的にも、年代的にも交流がないので仕方ないのだろう。 そのような状況を考えれば、売場をどのように作ればよいのか、商品構成はどのようにして組み立てたらよいのか、...といったことについても、残念なことに半世紀以上経つ小売業界には、まともに整理した形ではセオリーがない。 先人が、いろいろな試行錯誤をしてきた集積もあったはずであるが、人とともに消え去ってしまったことは非常に残念である。 もちろん、これが正解というような絶対的なものがあるわけではないが、それでも目的に応じていくつかのバリエーションはある。 科学的とまで言えるかどうかは別にしても、論理的には正しい、理にあった考え方、方法、実験によって検証された考え方、方法がある。 IT・デジタルの時代であることを考えれば、リアルがもう一度その価値を高めるためには、コンテンツとしての売場づくりや商品構成の技術を整理して蓄積していくことが必要だろう。
総合スーパー(GMS)再生は 業態?店?商品?それとも建物?損益?マーケットの変化を読み解く必要がある
◆ 総合スーパー(GMS)の何が問題なのか 総合スーパー(GMS)の再生が、いろいろな意味で重要なテーマとしてとり上げられるようになってから、ずいぶんと時間が経つ。しかし、「問題だ」と言っている割には、いま一つ何が問題なのか明確に定義できていないのではないだろうか。 業績が芳しくないことはよく分かるが、問題は総合スーパー(GMS)という業態(立地、部門構成、規模、商品構成、価格攻勢、売場表現、販売方法など全体のバランス)なのか、それとも個別の店舗のフロア(部門)構成なのか、あるいはそこで取り扱う商品や売り方なのか、古くなった建物なのか、単純に数値が悪いだけなのか、….。 全部だというかもしれないが、問題構造が分からなければ、明確な改善の方向を見出すことは難しい。 いろいろな問題に取り組んでみれば分かるが、何が問題なのか、という問題の定義ができれば、ほぼ8割は解決したも同じである。 難しいのは「何が問題か分からないのが問題」という状況である。 問題が明確になっていない状態では、いろいろと試行錯誤する中で正しい方向を見出せたとしても方法論で間違えることもある。人はひとたび失敗すると、たとえそれが正しい方向であったとしても「この選択肢は間違っている」という判断(先入観)を下してしまう。一度の失敗で正しい答えを半永久的に選択肢から除外してしまうと、結果的にいつまで経っても違うところを探し回って答えにたどり着けない。
◆問題はどこにある? これまでにもいくつかの視点から総合スーパー(GMS)の問題点は指摘されているが、ザックリとした視点からとらえているだけで、実際にはよく分かっていない。細かく見ていけば、まだまだ様々な要因が入り組んでいるだろうから、一つ、二つ大きな視点からメスを入れても、それ以外のモレがたくさんあるかもしれない。特に複合的に生じる問題は難しい。 単純に考えれば、中小型の総合スーパー(GMS)は競争力がない。商圏は狭まり、売れるのは1階の食品だけで上のフロア(衣料・住関連)へ集客できない(この構造は何十年も前から変わっていないから条件が変わったわけではない)から建物全体の売上は大きく減少し、粗利率も下がる。 大型・超大型の総合スーパー(GMS)は大きい割に商圏が狭まって売上が伸びない。それでも固定費は大きいままだから損益分岐点が高く、赤字幅も大きくなる。当然、企業全体に対する影響度合いは大きい。 構造的には大きく2つだろう。 一つは商圏が狭まり、客数が伸びない。食品中心に強化したために来店頻度が上がったとしても、客単価、粗利は伸びないし、何よりも商圏が拡大しないどころか狭まってしまう。食品でかつての衣料品の役割をカバーできない重要なポイントである。 二つ目は絶対客数(来店客数=精算件数ではなく、店を利用する実際の人数)、客単価、粗利率を伸ばす手段(商品・ビジネス)が見つからないことである。 食品強化はとりあえずの策ではあるが、抜本的な対策にはならず、急場しのぎは長期的に見れば返って状況を悪化させてしまう。 状況はひっ迫しているのになかなか良いアイデアが出ない。原因は、この状況を変えるために、どこまで変えるつもりがあるのか、という修正可能な範囲=制約条件にあるのではないだろうか。かつてのGMSを前提としては、衣料品の復活を目指す以外に方法はない。 おそらく、はじめのうちは、商品構成さえ変えれば…と考えて、いろいろといじっていたのだろう。マーケット環境の変化を読み違えたことが理由だろうが、次にザ・プライスのようにディスカウントストアへの業態転換、食品だけ残して上のフロアを100円均一や衣料専門店など他の専門業態へ切り替える….など、とりあえず考えられることはやってきた。 現在、検討している撤退は、ある意味ギブアップであるが、何十年もの間いろいろと取り組んできて、さらなる追加投資をする意味が見いだせなかったということだろう。 業態転換、改装など、いろいろな手法で建物を活かす工夫もあるが、難しいのは商圏(マーケット特性)と建物の規模(コスト)との関係をどうクリアするかという点である。 多くの場合、GMSの立地では足元商圏しか取れない、そこへ商圏がより限定される食品を強化することは①商圏と消費支出の費目を限定して、②シェアをとりに行くということになる。 どちらかといえば、GMS=総合スーパーの戦略ではなく、専門店、あるいはメーカーが得意とする戦略である。ある意味、他を捨てて食品にかけているということになるが、例えば食品で100億円まで売る、周辺の市場まで押さえてしまうというところまでいけないところが全てを中途半端にさせている。 バブル崩壊後の低迷期(20年前)にGMS(general merchandise store)ではなく、SMS(specialty merchandise store)という提案をしたことがあるが、結局はマーケット環境の変化から戦略的に選択肢を求めれば、残された道はそこしかない。消去法からすでに分かっていたことだが、あまりにもそこに行きつくまでに時間がかかってしまったということだろう。 ただし、その間にも人口減少、急激な高齢化、一人世帯の増加、ネット通販の台頭など大きな環境変化があったから、リアル店舗がただの物売りのまま成り立つような状況でもなくなっている。 一つの方向は「食」を中心にしてその周辺全てのオケージョンを押さえることだろう。すでに単身世帯や高齢者夫婦世帯がかなりの比率にまでなっており、これらの世帯では、調理をすることがなくなる傾向にある。当然、総菜や給食などへシフトすれば食品でも材料となる生鮮の比率は下がる。高齢者世帯では家にいる時間が長いために水道光熱費が高くなる傾向にあるから、ウォームシェア、クールシェア、〇〇シェア、△△シェア、…など、日常生活の場として人が集えるスペースとして変身することは有効な集客手段になる。また、広く消費支出の費目をカバへ―するには、「食」を「ただ空腹を満たす」手段にとどめることなく、「健康維持」「交歓」の手段とすることも重要な意味を持つ。商圏を広くとり、かつシェアも上げるには、「食」の持つ意味を広げる必要がある。
重要なことは、売れている商品、行列ができている店は「なくても困らない商品を扱うところが多い」という事実である。 足元商圏+観光・ビジネス客で成り立つのは大型ショッピングセンターも同様である。コモディティだけで大きな商圏は維持できない。様々な商品を売るのではなく、様々なオケージョンに対応する「場」を提供することで、結果として関連する商品・サービスを提供する、というように変える必要がある。 マーケティング戦略の基本に戻れば、これまでとは違う行き方・生き方が必要になることは自ずと見えてくるはずである。
アクセル、ブレーキ どちらのペダルに足を置くか?
まだ、クルマの免許を取りたての女性社員にクルマで駅まで送ってもらったことがある。曲がりくねった山道をかなりのスピードで下っていくのは慣れない人には結構きつい。 助手席で思わず、足を踏ん張ることもあったが、その時面白いことに気が付いた。 私は、加速する時以外、基本的に足はブレーキペダルの上に置いているが、その話をすると、彼女は「走っている時はアクセルでしょう」と当然のことのように反論する。 加速すれば、あとは減速か、停止するだけだから、足にとってのニュートラルの位置は常にブレーキペダル上というのが、私のやり方だが、彼女は「走っている時はアクセル」「止まる時にブレーキ」だという。 「アクセルとブレーキを踏み間違えた」という理由で事故が多発しているが、もともと「足はいつもブレーキ上」という運転習慣が身についていれば、慌ててペダルを踏み間違えるようなこともないと思うのだが、...。 企業経営も同じだろう。何かの状況が起こったことを認識してから、アクセルかブレーキかを判断するというのが一般的なのかも知れないが、それでは判断してから行動に移る時の選択肢の数が増え、判断するまでに要する時間も増える。 常にブレーキ上に足があれば、選択肢は一つしかないから反応も早く、間違えることもない。 方向転換も同じである。如何に判断と修正時間を早めるかは、常態(レギュラーな状態)をどう設定し、修正パターンをどう絞り込んでおくかにかかっている。物事を単純化しておけば、判断も修正時間もより簡単にできる。 どうも世の中、複雑で難しいモノほど高度で、簡単、単純なものはレベルが低いというような評価をしがちであるが、実際には真逆ではないだろうか。 複雑で難しいモノも枝葉をそぎ落として幹だけにしてみれば、いたって単純な構造しか残らない。物事に共通した本質だろう。 常に本質だけ見ていれば、対応も単純にできる。デジタル時代はドッグイヤーよりもさらにスピードアップしている。表面的な構造ばかりに振り回されるのではなく、本質を見てスピードアップしないと取り残される。
情報系の総合大学が必要だ!
- 現在、芝浦工業大学情報工学科で非常勤として学生を教えているが、日本という国の教育体系、大学における専門性などを考えると、いまの仕組み、体制では10年後、20年後には世界から大きく遅れるのではないか(既に遅れている)という危機感を持っている。特に情報系は、企業の進化が速く、資金も人材も集中するから、従来の感覚、仕組み、体制で対応していたのでは、浦島太郎状態に陥いることは目に見えている。
特定分野の進化は、細分化と各分野の広がりを意味しているから、昔のようにハードウエアとソフトウエアなどを前提として出来上がったカリキュラムではとても対応できない。特にネットワークからIoT、クラウド、セキュリティーなど、どこまで、どんな拡大の仕方をするのか分からないモノが目の前に広がってきた状況を考えると、現在のカリキュラムでどうこうしようと考えることには無理がある。社会に出てこのような環境に対応することを考えると、学生への教育もアウトプットから逆算して高校では何をやる必要があるのか、そのためには中学では何をやるべきなのか、更にそのためには小学校では何をやるべきなのか、….と遡っていかないと、教育はしたけど社会に出ても全く通用しないということになりかねない(既にその兆候はずいぶん前から指摘されている)。
社会に出てから順応するために全く違った教育を、企業がまた一からやり直さなければならないのでは、何のための教育なのか分からない。現実とかけ離れたことばかり教えるのに十数年の歳月と何千万円の費用をかけるのでは、あまりにも現実離れしている。まして人口が減り、若い人がますます減っていくことを考えれば、国としても自殺行為になりかねない。
すでに大学でも専門科目を受講する前に補講が必要というおかしな状況がずいぶん前から指摘されていた。企業では、新卒を採用してもかなりの時間と費用をかけて教育している状況がある。別に企業のための学校教育にしろというつもりはないが、社会の変化を考えれば、卒業後に社会に対応できないような教育をしているのもおかしな話だろう。
「教育」を密閉された無菌室、タイムカプセルにしてしまわないためにも、思い切った変革が必要である。
一方、大学も一芸入試があるにもかかわらず、一芸卒業はないから、特異分野に特化した人材を育てることができなくなっている。先に述べたように情報、デジタル分野だけでも信じられないほど多くの分野に分かれており、チョッとかじったくらいでは全ての分野を網羅することは難しい。
そうであれば、狭く浅くやって、全てが曖昧で終わるよりは、狭く深くを前提として、そこから周辺分野へ関連付けながら広げていった方がより現実的だし、限られた時間を効率よく有効に使うことができる。
すでに条項、デジタル関連は一つの学科、一つの学部というレベルでは考えられない状況になっている。早急にIoT、ICT、ロボットなどのデジタル、情報系の総合大学をつくるべきである。
さらにベンチャー企業の経営者、起業家などを講師に迎えて様々な形で産学協同が実現できないと進化は止まってしまう。
筆者が38歳で非常勤講師として大学に戻った時、工学部でありながら教授陣は筆者が卒業してから16年経っても(入学時からでは20年)全く変わっていなかった。このような状況を避けるためにも実業界、特にトラディッショナルなIT系企業ではなく、次から次へと新しい分野を開拓していくベンチャー系企業との交流は不可欠だろう。大学組織内部にベンチャーを抱え、インキュベーターとしての機能を持ちあわせれば、そのような問題も解決する。
いずれにせよ、個々の分野が分散していては意味がない。早期にデジタル、情報系総合大学をつくるべきである。

