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ねむの木学園 カニの絵の話


BS1スペシャル「歓びの絵 ねむの木学園48年の軌跡」という番組を見る機会があった。宮城まり子氏の長年に渡る取組みがこのような形で紹介されることは大きな意味があるだろう。

「だめな子なんかひとりもいない」という学園長宮城まり子氏の考えに基づき、絵画・国語・工芸・音楽・茶道など感性と感受性を大切にすることで集中力を養う教育(集中感覚教育)を行なっている。これらの成果はパリ市立近代美術館での美術展やコーラスとダンスにおける芸術祭賞の受賞などに結びついているという。

気になったのは次のような話である。以前は町の公立学校の分教場が設置され、先生が教えに来ていたという。その際、子供が書いたカニの絵に先生が足を書き足し、波を書き加えたという。子供は自分の絵が直されたことで、これは自分の絵ではないと絵全体を大きなバツで消してしまった。

その絵はそのまま残っている。全ての象徴がこの絵なのだろう。あらゆるものを既成概念の中に押し込めることが教育だと思っている教師、教育体制はいずれ日本を滅ぼすことになるだろう。特に子供がまだ小さい義務教育の内に創造性の芽、ポジティブな姿勢を潰してしまうことは、非常に危険な行為と言わざるを得ない。

デジタルの発展が著しく、人口知能に人間が取って代わられるリスクが盛んに議論されている時代に、相変わらず「教育」の現場では本質が変われないのだろうか。
このような体制が子供の可能性を蝕んでいくことは、将来の日本の可能性をつぶしてしまうことにつながる。

盛んに 報道される教師の不祥事、早稲田、東大、慶應と続いた有名大学の不祥事をどう理解し、どう総括すればよいのだろうか。成績優秀の基準は何だったのだろうか。「成績」とは何で、「優秀」とはどんなことだったのだろうか。

「義務教育を拒否する権利」を提唱しているが、ブラックボックス化したムラ社会を解体しない限り、社会常識から掛け離れた世界が暴走し、気がついた時には取り返しがつかないといった状況になりかねない。
手遅れにならない内に解体しなければならない巨大な化け物が存在していることをハッキリと認識しておく必要がある。

◆3月21日 宮城まり子氏がお亡くなりになられたというニュースがながれました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

10年後 小売業はどうなるのか 、 というよりはどうするのか?

◆10年後の小売業はどうなるのか 、 と考えるよりは、どうするのかを考えるべきだろう。
2025年推計人口は1億2000万人、2008-2010年のピーク時より800万人減少する。
リスク要因は、いろいろある。
人口減少、高齢化、単独世帯の増加、生産年齢人口の減少、少子化、地方の過疎化、東京への一極集中、2020年東京オリンピック後に訪れる反動、….等々。
数え上げればキリがないが、直接消費に結びつくと考えられることは、経済と人口問題だろう。特に人口問題は、GDPの6割を占める消費と直接関係するから、人口問題を無視しては考えられない。
平成25年(2013年)の年間商品販売額は127兆8949億円、自動車14兆8921億円、燃料13兆2144億円を除くいた99兆7884億円が一般的な小売店での販売額と見てよいだろう。
同年10月1日現在の人口が1億2729万8千人、うち日本人1億2570万4千人である。日本の人口は外国人の増加によって減り方が少なく見えている。

総人口をベースにして、仮に1人当たり年間商品販売額が現在と同じと考えると、人口▲5.73%は年間商品販売額の5兆7221億円に相当する。
実際には、これに年齢や世帯構成の変化が加わるから、マイナスはさらに大きくなると考えるべきである。
過去の家計調査を見ると、世帯主が50歳台から60歳台、70歳以上と10歳上がるごとに1か月の消費支出は約5万円減少するから年間に直すと約60万円の減少となる。
また、2人以上世帯と単独世帯の差は1か月あたり12~13万円であるから年間150万円前後減少する。
2015年~2025年の変化を見ると、50歳台+250万人、60歳台▲350万人、70歳以上+530万人である。
一方、2015年~2025年の世帯構成変化は、総数としては5290万世帯から5240万世帯と大きく変わらないが、年齢別でみると、49歳以下が▲310万世帯、60~74歳で▲210万世帯、50~59歳が+170万世帯、75歳以上が+305万世帯、単独世帯は総数で100万世帯増加だが、44歳以下では▲95万世帯、50~59歳が+90万世帯、60~74歳で▲10万世帯、75歳以上が+130万世帯、同様に2人以上世帯は総数では▲45万世帯、49歳以下が▲180万世帯、60~74歳で▲140万世帯であるのに対し、50~59歳が+110万世帯、75歳以上が+170万世帯となっている。
49歳以下の世帯が減るのは少子化の影響、50歳代が増えるのは団塊ジュニア、60~74歳が減り、75歳以上が増えるのは団塊の世代が高齢化するためであり、増加する50~59歳、75歳以上世帯での単独世帯の増加が目立つ。また、高齢の単独世帯は圧倒的に女性が多いことも特徴の一つであるが、男性の単独世帯よりも消費支出は少ない。
家計支出の変化を単純計算で求めるのは難しいが、このような年齢構成、世帯構成の変化がいろいろな意味で消費に影響を与えることは確かだろうう。

◆また、東京をはじめとした都市部への人口集中と、人口集中後の急激な高齢化という現象も消費を考える上での重要なポイントである。
すでに平成27年国勢調査(全国▲94.7万人)では、東京都(+35.4万人うち特別区+32.7万人)に人口が多く集中していることが明らかになっている。ただし、それはあくまでも5年間の数字であり、平成28年1月1日住民基本台帳の値では1年間(平成27年1月1日~12月31日)に東京都+11.8万人(うち特別区+10.3万人)も増えている。社会増が東京都+11.44万人(うち特別区+9.7万人)と増加のほとんどを占めているが、増加が多いことから自然増も東京都0.33万人(うち特別区+0.63万人)とプラスに転じている。5年間に直せば50~60万人の増加であり、ほぼ鳥取県(57.9万人)に相当する人口が増えることになる。千葉県、埼玉県、神奈川県も平成28年住民基本台帳では1~2万人増加しているが、自然減を社会増で補ってのプラスであり、人口増加は頭打ちになっている。
問題は、人口が増加した後の急激な高齢化が地域にどのように影響を及ぼすかである。
数多くのショッピングセンターが林立する港北ニュータウンがある横浜市都筑区は、2040年65歳以上人口指数(2010年=100)は274.3、同75歳以上指数は321.3で全国でもトップクラスである。都筑区に隣接する青葉区65歳以上指数230.7,75歳以上指数308.6、同港北区65歳以上指数203.6、237.7。話題の武蔵小杉がある川崎市中原区65歳以上指数202.9、75歳以上指数199.9。千葉ニュータウンがある印西市65歳以上指数207.1、75歳以上指数266.0、白井市65歳以上指数184.1、75歳以上指数279.1、ディズニーランドがある浦安市65歳以上指数212.5、75歳以上指数280.2、….。
東京周辺のベッドタウンとして発展している都市は、ほぼ同じような状況にあり、若い人が移住した後で一気に高齢化する。特別区の人口増加はこれらのニュータウンよりも遅れて始まっているから、急激な高齢化も遅れてやってくる。
街の発展とともに多くの商業施設ができているが、「宴の後」をどうするのか、重要な意思決定をしなければならない時が必ず来ることは、過去のニュータウンを見れば明らかである。

◆人口減少、高齢化に小売業はどう対処するのか
チェーンストアは別項CGP(チェーンストア・グローイング・パラドックス)のような構造的特性を持つ。成長・拡大期には非常に有効な経営形態であるが、停滞期、低迷期に有効な対処法は全く持ち合わせていない。
人口が減少し、高齢化した時に現在と同じ消費額=年間商品販売額を維持できるとは思えない。可能性があるのは、成長するマーケットを求めて海外に出ていくこと、他社から市場を奪いとることで売上を維持、成長させるしかない。奪い取る市場は、小売に限らず、製造・生産、物流、サービスなど業種業態に関わらず全ての可能性のあるマーケットが対象となる。その時には事業定義が小売から全く違うものへと様変わりする必要がある。
特にシェアリング・エコノミーのような経済形態が一般的になれば、商品は売るものではなく、使用する権利を提供するように変わるから、物販のマーケットはサービスに取って代わられる。
アパレルもエアークローゼットなど様々なビジネスモデルが生まれているから、いつまでも物を売ることにこだわっていると自ら限界をつくって身動きが取れなくなる。
CCC(カルチャー・コンビニエンス・クラブ)がメーカーから大量にDVDの提供を受け、消費者ニーズの高いホットな時期に稼働率を高めてチャンスロスをなくしたようなビジネスモデル(後に収益を分配)はファッションアパレルでも有効になる。そうなると、売るよりはホットな期間に集中してシェアし、あとは中古市場で再度価値を生むような形ができあがる。結婚式のウエディングドレス、パーティ用ドレス、周辺の服飾雑貨、ブランド商品などのマーケット同様、ファッション性の高い商品、幼稚園、学校の制服マーケットなども流通経路を変えるようになるだろう。
短期、中期、長期で対応が変わる、日常か、非日常かでも対応は変わる。
アキッパのように自宅の駐車場やちょっとした空きスペースの時間貸しが有効となれば、ビジネスになるバリエーションは我々の周りに無限にある。
新しいビジネスが「隙間」「空き時間」などであることを考えれば、実店舗を構えて現品在庫を抱える小売ビジネスのどの商品分野、ビジネスモデルのどの部分に限界が来るのか、シミュレーションしてみれば、ある程度想定はつく。
Web上でSNSを介したコミュニティが形成され、特定の感性、価値観、志向の人達が集まれば、志向性の強い商品・サービスのマーケットは閉鎖空間の中で完結しブラックボックス化する可能性が高い。
大量生産、大量販売の形で実店舗に残る商品は利益の薄い商品しか残らないだろうから、損益分岐点の競争になる。いずれ自社以外のすべてを駆逐するまでは勝者なしの疲弊戦になるのだろう。
そうならないためにも、早く事業定義を変えて現品販売、物販のみの小売から衣替えすることである。ボーダレスという言葉が言われて久しいが、スキマを狙うか、スキマを漏らすことなく全てを埋めるかどちらかである。物からサービス化へ向かっていることは確かだから大きな潮流を前提に考えるか、他人の逆へ向かうか、いずれにせよ戦略的に対応することが求められる。マーケティング戦略と洞察力が重要な意味を持つようになっている。

相乗積と交叉比率

「相乗積は?」と訊くと「荒利率×売上構成比」という答えが返ってくる。「意味は?」と訊くと「???」とほとんどの人が理解していない。算数と同じで公式だけを丸暗記する教育の弊害である。クエスチョニング思考であれば、まず「荒利率×売上構成比」という式を絵に描いてみる、あるいは式を展開する。
例えばA商品、B商品、C商品という3つの商品があるとする。A商品の相乗積は(A荒利率=A荒利高÷A売上高)×(A売上構成比=A売上高÷売上高合計)であるから、分母と分子にあるA売上高が消えて、残るのはA粗利高÷売上高合計、つまりA商品が稼ぎ出す粗利高が売上合計に占める割合=全体に対する利益の貢献度合いということになる。
公式を覚えただけでは忘れてしまえばそれで終わるが、図表「相乗積の意味」に示すように絵を描いてみれば、やっていることがA商品、B商品、C商品のそれぞれについて荒利高を計算して足しているだけということが理解できる。意味が解れば例え公式を忘れても導くことができる。
交叉比率も全く同じようにして「荒利率×商品回転率」という式を展開すれば(荒利高÷売上高)×(売上高÷在庫高)となって、分子と分母にある売上高が消えるから、荒利高÷在庫高(投資と見る)となり、投資した在庫の何倍の荒利高を稼ぎ出しているかを求めていることが分かる。ちなみに商品回転率は在庫高(投資と見る)の何倍の売上高を上げているかである。
単に式を覚えただけでは、テスト問題は解けるかもしれないが、忘れてしまえばそれまでである。まして意味が理解できていなければ、使いこなすことなどできはしない。
どうせ同じ時間をかけるのであれば、実のあることをする方がよいに決まっている。
「クエスチョニングのすすめである」

★参考 相乗積と交叉比率を使いこなす

粗利率以外の相乗積計算

Excelで相乗積のシミュレーション

総合スーパー(GMS)がなくなる⁇⁇

7&iの中期経営計画の発表で、イトーヨーカ堂GMSの大量閉店が具体的な話として見えてきた。立地によっては不動産という価値を活かし、マンション、クリニック、⽼⼈ホーム、託児所などに食品スーパーなどを組み合わせたSCの形で再開発していくという。不動産としての再開発が言われるようになったということは、やっとGMSの呪縛から解き放たれたということだろう。もっともGMSという業態にこだわっていた企業だけに業界の歴史にとっても大きな決断ということになるだろう。
ただし、物販、オムニ7に拘っている限り、抜本的な変革は難しいと考えるべきである。
時代はシェアリングエコノミーなど、物の所有・充足の時代から状況の充足、様々な商品・サービスを使いこなしQOLを高める機能・サービスの時代に変わっている。購入=所有という感覚はなくなっている。いつまでも物売りに拘っていては抜本的な改革はできない。おそらくコンビニエンスストアについても、利便性を提供するサービス業(サービスに物販がついてくる)ではなく、物販業という解釈をしているのではないだろうか。やることは同じでも解釈、意味が違えば本質は全く異なる。新生7&iのカリスマとの違いなのかも知れないが、どこか物足りなく感じるのは、多くのマスコミが指摘している通りだろう。
とりあえず、このような意思決定ができるのなら、これまでの20年間は一体何だったのかという感じがしないでもないが、この20年の経験、教訓を生かすも殺すも全てはこの後の取組みにかかっている。

ある意味、GMS時代の終焉と言えないでもないが、よく周りを見てみると昔のGMSのような衣食住を揃えた店舗は必ずしもなくなってはいない。基本は食品だが、それに日用雑貨、軽衣料を合わせたコモディティ型の店は存在している。ポイントは、損益分岐点、商圏規模、取扱商品のバランスなどだろう。
初期の頃のGMSと同じような規模、商圏、ポジションなら損益分岐点も高くないし、多少の在庫も負担にはならない。大型化したGMSのようなリスクはなく、出店可能な立地も多い。日本型GMSはいつの間にかどんどん大きくなり、広域商圏でないと成り立たなくなったが、もともとは、もっと小さな商圏でも成り立つ業態であったはずである。大型化に向かう一つの重要な要因が競争力の強化であったが、現在は大きいことが必ずしも競争力には結びつかない。
GMSをどう定義するかは解釈によって様々だが、ちょっと見方を変えれば、新しいGMS業態が生まれる条件が揃ったのかも知れない。

◆歴史をみれば多くの業態が巨大化から適正規模への回帰を示している
歴史を紐解けば、いろいろなことが見えてくる。
もともとGMSといっても大きな店などはなく、駅前に3~7,8階の多層階店舗として成り立っていた店が多かった。駐車場も満足にないような駅前立地の店舗である。個人商店以外にない時代であるから、衣食住が一ヶ所で揃うワンストップショッピングが可能なGMSは現在のコンビニエンスストアのように、とても便利な店というポジションで消費者に支持されていた。
大型化したのは、モータリゼーションで郊外のロードサイドに出店立地が移ってからであるが、バブル時代には駅前再開発などによって駅前にも大型のミニ百貨店化したGMSが数多く開店した。特に地方都市中心に、いわゆる百貨店の代わりのようなポジションでの出店が目立った。ここまでがGMSのピークと言ってよいだろう。
面白いのは他の業態もみな大型化していったが、主要業態で大型化したまま残っている業態は限られている。
例えば、1500坪ないとSSMではないと言われたスーパーSMも非食品の扱いが上手くいかず、すぐに消えていった。西友が取り組んだフードプラスは食品の2倍の面積を雑貨中心に非食品で構成したが、売上は食品の半分、粗利率は食品よりも高いと言っていたが、商品回転率が悪く、さらに季節商品の値下げ・廃棄までを考慮すると粗利率も決して高くなかったから、交叉比率は食品のはるか下という状況にあった。
スーパーセンターも各社が取り組もうとした業態の一つであるが、そのままの業態で現存する店舗はほぼ見当たらない。
大型化の失敗理由はいろいろだが、多くのケースで商品特性を知らずに専門外の商品ラインを加え、当初の目論見通りの結果が出せなかったというのが主な理由だろう。このようなケースでは、はじめから成功しないから、実験レベルで終わり、大きなケガをしないで済んでいる。(準備不足・認識不足のため、初めから成功できない状況でスタートしている)
問題は、一時的にでも成功してしまったケースである。
典型的なケースがGMSである。大型化し、ミニ百貨店化してしまったことで年商100億円どころか、200億円を超える店舗もあったから、物事の見え方、基準などあらゆるものが変わってしまった。
バブル崩壊後の失われた20年ではないが、成功体験は多くのモノ・コトを狂わせる。物が溢れ、売れない時代に、さらに多くの競合する業態、チャネルが出現しても、まだ多くのものを売ろうとする。そうしないと固定費が賄いきれないから、発想を変えることができない。
大型化した業態が上手くいかずに小型化していった経緯を見れば、単に適正規模に回帰しているだけといういたって単純な理由である。
立地についても同様である。冷静にマーケットを見れば、どこにブランクがあるのか、分かる。
イオンが「まいばすけっと」をはじめたのは、盛んにスーパーセンターと騒いでいた時期と同じである。超大型をやりながら、もう片方では超ミニの新しい業態を模索していたことになる。
人口動態を見れば、都心回帰、商圏縮小、高齢化・単独世帯の増加など「まいばすけっと」が攻めるマーケットに競合する店舗、業態が全く存在しなかったことは明らかである。
もう一つ、大きなアドバンテージは、物流網の活用と固定費=損益分岐点の低さである。居抜き物件を活用し、在庫を持たない、生鮮食品を扱い、SMと認知されるからコンビニエンスストアのその場消費と違って買上点数、客単価はそれなりに取れる。しかも一見、コンビニエンスストアと同じように見えても、PBはコンビニエンスストアの商品と比べてはるかに安い。このことは大きなアドバンテージとして消費者の支持も得やすい。
冷静に見ていけば、我々が日常生活を送る中にはまだまだブランクのマーケット、ブルーオーシャンは残されている。

大型化したGMSを前提に考えれば、GMSは消えていくだろう。その理由は固定費=損益分岐点をクリアするだけの収益(商圏の購買力、競争力など)を上げることができないからである。
かつて物販であげた収益を前提にスペース効率を考えると、マンションは別にしても、クリニック、⽼⼈ホーム、託児所などのサービス業で同じ効率を実現することは難しい。
20年以上に渡ってGMSが苦しんできたのは、この前提を外すことができなかったからではないだろうか。
GMSという衣食住フルラインの業態が消えると考えるのか、そのような損益構造の業態が消えると考えるのか、新たなビジネスモデルはとんでもない発想から出てくる可能性がある。
衣料品で苦しんでいるのは、GMSだけでなく、業界全般である。
いずれ、商品販売だけでなく、物販+中古流通+シェアなど衣料全般の総合業態が出てきてもおかしくはない。
そういえば、テレビで幼稚園や学校の制服を専門に扱うリサイクルビジネスを紹介していた。衣料品が売れなくても、衣料品で困っている消費者がいれば、そこに新しいマーケットが存在する。
筆者が「マーケティングの時代」ということを盛んに言っていたのが、バブル崩壊後であるから、デジタル技術が信じられないほどに進歩していても、マーケティングに関しては、その時代から大きく進歩していないのかもしれない。

地域おこしだけで人口は増えない。どうする?

◆国勢調査から見える人口減少・高齢化の状況
平成27年国勢調査人口速報集計結果によると、我が国の人口は1億2711万人,前回調査から5年間で94万7千人減少したことになる。大正9年の調査開始以来,初めての減少であり、全国1,719市町村のうち,1,416市町村(82.4%)で人口が減少し、5%以上減少した市町村は828(48.2%),同10%以上減少(再掲)も227(13.2%)ある。(いずれも平成22年比)
ここまでは、一般に認識されている数値ということになる。もう少し、細かく見ていくと、次のようなことが分かってくる。

①平成 27 年の総人口1億 2711 万人のうち,日本人人口は1億 2397 万2千人,平成22年比 138 万6千人減である。94万7千人との差、約44万人は外国人の増加である。日本人が減っても、ビジネスや留学で日本に住む外国人が増えれば、人口の減少は緩和される。常に進化し、活力ある国であれば、海外から日本にやってくる人も増えるが、それがない魅力のない国だと海外から無視され、やってくる人もいなくなる。
幸いなことに、いまは魅力があるということなのだろう。外国人が増えることで毎年の人口減少が約19万人程度に見えているが、日本人だけを見ると、それよりも約10万人多い28万人ずつが毎年減少していることになる。

②異常な東京圏の構造
地方と違い、巨大な東京を支えるのは埼玉県、千葉県、神奈川県の3県である。他の地方と違い、東京都とこの3県の関係は異常とも言える関係にある。
例えば、昼夜人口比率は東京都118.1に対し、埼玉県88.5、千葉県89.5、神奈川県91.1である。(47都道府県の中で80台は奈良県89.8の3県のみ、ほとんどが99台にある)
東京都への流入人口295.1万人の内訳は、神奈川県36.6%、埼玉県32.5%、千葉県24.2%と3県で約95%を占める。
そのため、この3県の一人当たり年間商品販売額(県年間商品販売額÷県人口)は、47都道府県の中でも40位以下、有効求人倍率も全国1.37に対し、千葉県33位1.19、神奈川県43位1.07、埼玉県46位1.03(平成28年7月)であり、つい最近までは1.0に乗るかどうかという状況にあった。

③高齢者単独世帯の増加
65歳以上人口のうち、単独世帯は16.8%、男性179.7万人12.5%、女性383万人20.1%。
高齢者の増加は高齢者夫婦のみ世帯、高齢者単独世帯の増加を意味し、その中でも特に世帯主75歳以上世帯の増加が目立つ。

④高齢者の割合が増える県
平成22年から27年までの5年間に65歳以上人口比率が4%以上増えたのは、北海道4.5%、平均年齢48.3歳(+1.8歳)、青森県4.1%、48.8歳(+1.8歳)、秋田県4.0%、50.9歳(+1.6歳)、福島県4.1%、48.2歳(+2.1歳)、茨城県4.0%、46.4歳(+1.5歳)、埼玉県4.2%、45.2歳(+1.6歳)、千葉県4.5%、46.0歳(+1.7歳)、富山県4.2%、48.2歳(+1.3歳)、石川県4.1%、46.6歳(+1.3歳)、京都府4.5%、46.4歳(+1.6歳)、大阪府4.1%、45.9歳(+1.6歳)、奈良県4.5%、47.0歳(+1.6歳)、広島県4.0%、46.7歳(+1.4歳)、山口県4.0%、48.9歳(+1.2歳)、徳島県4.2%、49.1歳(+1.5歳)、香川県4.2%、48.0歳(+1.3歳)、高知県4.1%、49.8歳(+1.4歳)の17道府県であり、人口が集まりそのまま定住する都市部と人口が減少する地方が混在している。
若い人の人口流入が極端に多い東京都、出生が多い沖縄県などは2%台にとどまっており、3%台にある県は人口移動の少ない地域と考えられる。(転入、転出とも少なく自然な形で高齢化している)

◆推計値と国勢調査の差異
「日本の地域別将来推計人口 —平成22(2010)~52(2040)年— 平成25年(2013年)3月推計」における推計値と平成27年国勢調査 人口速報集計結果の差異をみると、一つの傾向が見える。
図表 平成25年人口推計値と平成27年国勢調査の差異は、横軸に2015年の人口増減(2010年比)、縦軸に推計値と実績値の差異をプロットしたものである。
右側は人口増加で右上ば、推計値よりも大きく増加、右下は推計値よりも増加幅が小さいことを表している。同様に左側は人口減少、左上は推計値よりも減少幅が少なく、左下は推計値よりも減少幅が大きい。(*東京都は右上のはるか上にあるため、座標の関係からカットして表示)
全体的に減少の仕方は推計値ほどではないが、全般的に減少していることには変わりはない。
問題は、神奈川県のように増加が推計値よりも大幅に減

った県が現れていることである。
大阪府や宮城県、広島県などが左の上の方にあるが「人口減少の幅が小さくなった」ということであり、減少していることには変わりはない。むしろ、ごく少数の人口が集中する件と圧倒的多くの人口減少にある道府県の二極化が明確になったということが、今後の対応を難しくしていくだろう。
すでに自然増は見込める状況にないため、人口が増えるのは他県からの転入による社会増しか見込めない。
ごくわずかな都・県に人が集まり、圧倒的多くの道府県からは人が転出、あるいは自然減で減少する。人口が増えるには、冒頭で見たように外国人が住みつくしかない。
明確な方向性を出さない限り、このままじり貧になっていくことは目に見えて明らかである。

◆地方創生で町おこしをやっても人口は増えない
多くの地方で地方創生の名のものに、地方の活性化、町おこしを始めているが、町おこしをやることと人口を増やすことは必ずしも一緒ではないということを改めて認識する必要がある。
高齢者が余生を送るために地方に移住しても、その時だけは人口が増えても、長続きしない。若い人達が結婚し、家庭を持って子育てをするという、かつては当たり前であったサイクルが定着しない限り、人口が増えることはない。
「何のために町おこしをやるのか」という目的を明確にしないと、一時的に産業が盛んになっても継続することができない。どんなにITを活用し、ロボットやAIを活用しても人口は増えない。
地方で盛んにつくられる直売所、道の駅も、いまはいいかもしれないが、商品を供給する農家が発展し、継続することができなければ、いまの代で終わってしまう。まして地方の農家の高齢化は顕著である。
目的、前提を明確にした上で取組む必要がある。

◆提案
①滞在型セカンドライフ

②中長期滞在型セカンドライフ提案企画書

③中長期滞在型セカンドライフ

④企業はどうビジネスをつくり直すか

相乗積と交叉比率を使いこなす

◆机上論で勉強するのか、使いこなすのか
相乗積も交叉比率も効率を見る上で役に立つ指標であるが、知っているだけでは全く意味がない。
むかし、ある企業がもうそろそろ一年が経とうとする新入社員の研修に相乗積の問題を出したことがある。研修が終わった後で彼らに感想を求めると、店によって大きく3つに答えが分かれていた。
一つ目は、「全く分かりませんでした」というもので、入社以来、ずっと品出ししかやらせてもらってないため、相乗積などというものは見たことも聞いたこともないという答である。1年近くもアルバイトと同じでは可愛そうだが、部下は上司を選べないから仕方ない。
二つ目は、「習ったことはあるような気がするが、式は忘れてしまったから、計算問題は解けなかった」というものである。算数の授業と一緒で、式を暗記したのはいいが、意味が分かっていないから、記憶に残らないし、式を忘れてしまうと、導くことも、問題を解くこともできない。薄っぺらい形式主義の机上論という日本の悪しき教育方法を地で行ってしまったから、時間がもったいないし、若い人達もかわいそうである。
三つ目のグループは、「なんで、いまさらこんな問題を出すのですか?」というものである。彼らは発注の際、常に売上・粗利の予算に対する進捗状況に合わせて発注商品の粗利を相乗積によって算出しているという。日常の発注業務の一貫でしかないから、「何をいまさら…」という言葉になって表れたという。
何事も同じであるが、使わない、使えない知識は知っていても宝の持ち腐れである。学校の授業も多分にそのような傾向が感じられるが、机上論や形式的な教育では実際に使えないから、テスト問題が解けたとしても意味がない。

★使い方はいろいろある
◆発注に使う
通常、粗利ミックス=相乗積では、複数の商品の粗利率と売上構成比から、どのような比率でそれぞれの商品を売り上げたらよいかという目安を求める。仕入段階であれば、値入ミックス、複数商品の値入率と仕入構成比から一定条件(複数商品の値入率と仕入構成比)で仕入をした時のトータルの値入率を求める。
相乗積計算を用いて粗利率をシミュレーションするのは、このような商品ミックスだけではなく、先の事例の発注のような場合にも十分有効に使うことができる。
商品A、B、C、Dを月の第1週、第2週、対3週、第4週と置き換えればよい。
月の粗利予算を25%、第1週の売上構成比を24%、第2週を22%、….というように設定すれば、それぞれの週でどのくらいの粗利率が必要になるか、おおよその見当はつく。あとは予算に対する実績の進捗状況を見ながら今週末から翌週必要な粗利率の目安を確認していけば、粗利率、売価を含めて、どのような商品を、どのくらいの数量売り込む必要があるのか、目標設定ができる。厳密には売価還元法を用いて算出することも必要だが、今週末から翌週販売分を目安に発注するには、これで十分だろう。少なくとも値入率を超えた粗利率はないから、発注する内容を数値的にも考えるようになる。

◆棚割りに使う
「棚割りはあっても商品構成がない」というテーマで別項に原稿をアップしているが、多くの企業で棚割りをつくってはいるが、商品構成になっていないケースが多々見受けられる。
棚割りと商品構成の違いは明確である。
棚割りは、商品が什器の棚に並んでいるだけであるが、管理をしているのは、SKU、あるいはカテゴリーの販売数量や販売金額くらいでしかない。
改めて棚割りの基本、意味を確認すると、ファイス数×奥行きで最大陳列量が決まる。販売数量の比率と最大陳列量の比率が同じになるようにフェイス数を調整すると、全ての商品の回転率は同じになる。ふだん、あまり意識することはないかも知れないが、オペレーション、在庫管理などを考えた時には最も重要な特性と言ってもよい。
このことを利用すると、たくさんある商品の回転率をコントロールすることができる。
例えば、毎日補充する商品、2日に1度補充し、あとは前出しで済ませる商品、週2回補充してあとは前出しで済ませる商品、週1度補充し、あとは前出しで済ませる商品、2週間に1度補充して、あとは前出しで済ませる商品、…等々である。当然発注や在庫の持ち方もコントロールするように工夫すれば、発注、荷受け、補充といった作業を商品によって分けることができるから、作業量を平滑化し、作業スケジュール、人員配置などを組みやすくすることができる。
あとは、そのフェイス数を什器のどこに確保するかということになる。
難しいのは、フェイス数や商品を並べる什器の位置、高さ、関連付けなどによって売上が変化することである。
以前、週販60本の食器洗剤の最大陳列量が30本しかなかったことから、棚板を調整してフェイスを2倍強にし、週販数量の80本を売場在庫として置けるようにしたことがある。実際には、フェイスを広げたことで販売数量が伸び、週1回転以上するようになってしまった。売上が伸びたことはよかったが、補充作業はもくろみ通りには上手く改善できなかった。
分かったことは、フェイスを広げたり、陳列場所を変えたり、関連する商品を変えたりすると、売上が変化するということである。
「どのような商品が」「どのような場所で」「どのくらいフェイスを拡縮し」「どんな商品と一緒に」並べた時に、どのような変化をするのか、…ということは、現場でやってみないと分からない。いろいろ試して、データを蓄積するしかない。たとえ同じ商品を同じようにしたとしても、全ての店で同じような結果になるとは限らないから、厄介である。
ただし、この法則をある程度抑えることができると、相乗積計算によって、同じカテゴリーの商品であっても粗利率を改善したり、商品回転率を改善したりすることができる。当然、交叉比率も変わる。
ポイントは、全ての商品を同等に扱って複雑にしないことである。
主要な商品さえ、押さえておけばどうにかなるから、売上、粗利、在庫などのメインになる商品群、SKUについて優先して抑え、残りの数値に大きく影響しない、数値面で大きな変化をしない商品はその他とてまとめて処理することである。

◆他のカテゴリーと比較する 他店と比較する
相乗積や交叉比率の使い方として、同じ部門内の他のカテゴリーと比較をしたり、同一カテゴリー、または部門を他店と比較したりすると状況を客観的に見ることができる。
図表 相乗積と交叉比率は、バブルグラフで相乗積と交叉比率を表したものである。どちらも値が一定になる曲線を描き加え、そこに確認したい複数の商品の加えている。円の大きさは売上規模である。
このようにしてみると、たとえ相乗積や交叉比率が同じ値であっても内訳がどうなっているのか、円の位置を見れば一目でわかる。
例えば相乗積が同じ値でも粗利率が高い(右下にある)のか、売上構成比が高い(左上にある)のかでは、全く意味が違う。
このような表現をすることで、同一部門内のカテゴリーのポジションを比較したり、同一カテゴリーの店舗によるポジションの違いを確認したりすることができる。
残念ながらエクセルのバブルグラフでは曲線まで書くことができないので、相乗積や交叉比率の値が一定になる曲線はペッ書き加えなければならないが、それでも漠然と数値を眺めているのとは、全く違うものが見えてくるはずである。

知恵は使うためにあるし、使えば使うほど新たな世界が見えてくるから、さらに知恵が湧いてくる。いろいろなモノ・コトが見えてくれば、結果を出しながら楽しむこともできる。遊べるようになると面白いだろう。

ホメオスタシス 恒常性の維持


ホメオスタシス(Homeostasis)は、日本では恒常性の維持と訳される。何かとてもとっつきにくい言葉なのでイメージしにくいが、我々にとっては非常に重要な機能である。
具体的には、暑ければ汗をかいて気化熱を奪い、体温の上昇を制御して一定の体温に戻そうとする、ケガをして出血すれば、血液が凝固して傷を覆い治癒(元の状態に戻す)を促す、外部から病原菌やウィルスなどが侵入すれば、白血球や免疫機能が働き、異物を排除しようとする、…等々である。

我々が遭遇するさまざまな変化に対応し、一定の状態に保とうとする機能がホメオスタシスである。
たしか中学か高校の授業で習ったと思うが、ある意味ではあらゆる物事に有効な機能であり、我々の思考を発展させる上で多くのヒントを与えてくれる。
非常に重要な機能である。

生物が、身体の異常を自ら修復し、元へ戻すだけでなく、場合によっては免疫のように外界からのストレスに対してより耐性を強化していくような自衛・防御的働きを自然に備わっていることは素晴らしいことである。
このことは、物事を考える際に思考&志向を「ポジティブ」に導いてくれる。
何らかの異常に対して、常に元に戻そうとする働きが自然に、あるいは本来的に備わっているのであれば、それをわざわざ拒否、否定することは意味がない。
ある意味、自然の摂理を受け入れ、物事の道理に従っていけばモノ・コトは無理なく進む。
経営やいろいろな仕組みを考える上でも同様に考えることができる。
何らかの目的を持って活動をしていれば、不都合が生じ、状況が変わることもある。状況を変えた原因を取り除き元に戻す、そして同様なことが二度と起きないように予防する仕組みを新たに組み込むことでレベルアップする。常に一定の状況が維持できるような修正機能を内包する。「一定の状況」は決して固定という意味ではなく、環境に対応し、必要に応じて変化(進化)するという意味である。
そんな仕組みを内包する組織、システムが理想と考えれば、目指すモノ・コトは分かりやすい。
物事、難しくする必要はないし、難しがる必要もない。自然のままが一番である。
現象ばかりに目が行くと間違える。
物事の道理、法則を中心に見るようにすれば、真理が見える。真理が見えると、物事はいたって単純であることが分かる。

 

 

消去法から考える地方企業の生き残り方

◆地方企業の課題
中小零細規模の地方企業が、限られた原材料、限られた設備、限られた人材(発想・アイデア)で商品開発しようとすると、類似する素材を用いて、似たような加工をした、似たような商品がアチコチの産地で生まれてしまう。現在の規模であれば損益分岐点が低いため、現状のままでも十分事業が成り立つかもしれないが、このような状況を長く続けていては将来的な展望が描けない。つまり、事業としての発展、成長は難しいと考えられる。
強くなるには、コア技術を確立し、生産性を高めて規模を拡大する必要があるだろう。

◆いかに生産性を高めるか
生産性を高めるには、IE、QC、VE、デジタルなど様々な管理技術が必要になるが、それと同時にある程度の規模拡大が必要になる。それなりに資本も大きくないと投資がしたくても対応できないし、状況を安定させることも難しくなる。
一つの選択肢として水平、垂直統合が有効だが、「地域」にこだわれば、よほど大きなシェアを持つ産地でないと水平統合は難しいから、どうしても選択肢は垂直統合に限られる。
ところが多少大きな企業が加わっても垂直統合では原材料供給、生産能力、販売能力など、いずれかの段階の能力に制約されてしまう(最も規模が小さいボトルネック)。
ここをクリアしない限り、垂直統合は上手く機能しないから、規模を拡大して生産性を高めることは難しくなる。多くの地方が行き詰まる構造的問題である。

◆地方を超えて水平統合する 業種を超えて機能統合する
ある意味、グローバル化を前提として考えた場合、規模を拡大することができれば、素材の生産、商品開発、製造、販売などを統合して効率化を図るとともに強化することも可能になる。
そのためには、①地域を超えた水平展開が有効だろう。類似する素材を持つ産地が国内で競合するよりは、共同して素材の生産、商品開発、製造、販売などがパワーアップすれば対外的な競争力は明らかに増す。知識、技術、経験、ノウハウ、人材など、様々な点で、国内で競合し合うよりも協力・分担し合う方が有効である。
また、②多品種少量生産で機能別工程が有効であることを考えれば、地域内で素材別に細かく分かれている企業を機能別に集約することも一つの方法として考える必要がある。
機能別工程は、素材の生産、製造、商品企画・開発、販売促進、販売、物流など、従来の業種別に細かく分かれていたものを機能別にまとめ直すことで、人材・知識・技術・経験・ノウハウ・設備など相乗効果を得ることができる。部分的にでも大量を実現できれば生産性を高めるも可能になる。
どんな業種でも全てを機能別にまとめればよいというわけではないが、少なくとも小規模のままバラバラに運営するよりは、部分的にでもまとめていく方が、メリットがあると考えてよいだろう。

これまでがどうであったかということにこだわるのではなく、これからを考えた時に、どのようにしたらより生産性を高め、競争力を高めて発展できるかを考えるべきである。
「地方」には様々な可能性のある「シーズ(種)」が埋もれている。重要なことは、その活かし方が理解されていない、あるいは活かす方向、方法が明確になっていないことである。
もう一度、基本となる前提から見直してみることも必要だろう。

いまのまま義務教育を続けて大丈夫???

最近、AIの進化に関連して、現在の教育の仕方、仕組みなどを危惧する記述が目立ってきた。先日も『現在の仕組み・価値基準で「勉強ができる子」「偏差値の高い子」は真っ先にAIに取って代わられる』という記事を目にしたが、まさに的を射た指摘だと思う。
小学校6年、中学3年、高校3年の12年間をどう過ごすかは子供たちに選択することができない。中学の内申点が高校受験に影響すれば、その枠組みの中でよい成績を得るために塾に通い、模試を受ける。高校に入ってからも大学受験という訳の分からない関門を突破するためだけに時間、エネルギー、資金を費やすから、それ以外に目を向ける余裕はない。
よく考えてみれば、そこでやっていることのほぼ全てがインターネット上にあり、検索すれば瞬時に手に入る。しかも無料である。
例えば、123456789×123456789= と式を入れて検索すれば、電卓がなくても1.52415788 × 1016  と答えが示される。答えは簡単に手に入るから、問題はそれをやる意味である。単にテストの点数を取るためだけであればwebから瞬時に得られるもので評価することには疑問が残る。
そればかりか、123456789という数値にまつわる様々な発見、うんちくなどまで一回の検索で得られるから、この式の計算をするよりも、一つの疑問をWeb検索し、その周辺にある様々な情報が得らることの方が余程視野が広がるし、ためになる。
情報、知識がWeb上にたくさんあり、その気になればいくらでも無料で得ることができる時代に、「勉強」と称して知識を詰め込むことにどれだけの意味があるのだろうか。そもそも「勉強しろ」と言いながら「勉強とは何か」を明確に伝えない、「なぜ、勉強が必要か」を伝えないのでは、「疑問を持つ」「考える」ということせずに機械的に言われたことだけやるという人間を育ててしまう。しかも、それで入れる学校が決まり、就職や人生まで決まってしまうという古い価値観でいたら、今度はAIに置き換わってしまうかもしれない。将来、どう変化するか分からない時代に、こんなことを続けて、誰が、どう責任を取るというのだろうか。
iPhoneが発売されて昨年2017年でやっと10年目である。言い換えればスマートフォンが大きく普及しだしてからまだ10年も経っていないことになる。しかし、スマートフォンの普及は、わずか10年足らずの間に様々な分野で大きな変化を引き起こしている。
特に大きな変化は、一人一人が特定/不特定多数を問わず、世界中の多くの人や情報と双方向でコミュニケーションをとれるネットワークにリアルタイムでアクセスできるようになったことである。しかもSNSは、米大統領選の結果を左右するような影響、そして突然のピコ太郎の出現、..というように短時間のうちに現実の世界を変えてしまうほどの影響力を持っている。
そのSNSもFacebookの設立が2004年(日本語化2008年)、YouTube2005年、Twitter2006年であるから、スマホと共に急激に普及し、我々の日常生活を大きく変えてしまったことになる。
そう考えると、義務教育の9年間(あるいは高校までの12年間)という時間が、現状、如何に大きな意味を持つか分かるだろう。
過去の時間の流れにこだわらず、将来のためにその時間と費用を費やした方がはるかに有効と考える人が出てきてもおかしくはない。
デジタル技術の進化は我々の想像をはるかに超えており、9年間(あるいは高校までの12年間)もの長い時間、寄り道をしてから取り組むには、あまりにも膨大すぎるし、何よりも頭の構造がついていけなくなってしまう。確実に浦島太郎になってしまう。
かつて中学で音楽の試験問題に作曲家の亡くなった年を書けというのがあった。こんなものを覚えて点数をとることにどんな意味があるのか、問題を作った教師に聞いてみたい。
かつて鎌倉幕府がどんな意味を持つのか分からなくても「いい国作ろう鎌倉幕府」と覚えさえすれば点数をとれていたが、いまでは1192年から1185年へと変わっている。
源頼朝の肖像画は、実は別人だったという話や聖徳太子は実在しなかったのでは?という話まで出てくると、結構いい加減なものが基準になって、それで人生が変わってしまった人がいたかもしれないと思えてくる。
「教育を神聖なもの」と言いくるめて村社会の中に閉じ込めてしまう時代はすでに終わっている。社会、経済の構造が大きく変わった今、教育の意味も手法も求められるものも変わっている。実社会を知らない人が子供に教えることに無理があるのかもしれないし、決められた枠内だけで実態とかけ離れたことを記憶させることにも意味がなくなっているのだろう。
一つしかない物差しで型にはめ、機械的に評価をするために大切な時間を使うのではなく、個々の持てる能力(脳力)、可能性を引き出すことに重点を置いた時間に切り替えることをしないと、将来が危ぶまれる。
すでに多くのモノ・コトが変わっているにも拘らず、そのことが認識できず、大きすぎる仕組み、重たすぎるインフラを維持することばかり考えて動いているのでは、将来を犠牲にするだけである。

 

 

ICT・デジタル・AI・ロボットなど情報系の総合大学・総合機関をつくろう‼

芝浦工業大学で非常勤講師として教えだして今年で25年である。
大学で教えるには、普遍的なことはもちろん重要だとしても、それを進化にどうつなげていくのか明確になっていないと足踏みをしてしまう。

筆者が学んだのは工業経営という学科であり、様々な学問分野を横断的に活用するのでインターディシプリナリーと表現されていた。同様にサービス工学の分野でも様々な分野の専門知識が必要なために、こちらはマルチディシプリナリーという言葉で表現されている。そう考えると、現在のICT、デジタル分野でもそのような更に多くの専門分野を横断的に結びつけるような分野が確立される必要があるだろう。
現在、疑問に思うのは、これだデジタルの進化が速く、次世代の中心を成し、様々な分野に広がっているにもかかわらず、ICT・デジタル・AI・ロボットなど情報系に特化した総合大学・総合機関がないことである。単に大学というのではなく、小学、中学、高校、大学、大学院、研究機関、ベンチャー企業など、人材育成から実践的な応用まで、一貫してあらゆる要素を網羅する複合的な機関でないと意味がない。今のような義務教育を9年間続けた後に、いきなり新しい発想、思考を要求しても対応は難しい。その間趣味や塾など個人的な活動に委ねていたのでダイヤモンドの原石を発見することは難しい。はじめから視野を広げるような環境で育てていく必要がある。身近にある日常そのものが変わらなければ何事も本質から帰ることはできない。世界の動きを見れば、今の日本にこのような機関がないこと自体が不思議と言ってもよい。急激に人口、特に子供が減少していくことを考えれば、無駄な議論をしている余裕はない。トヨタやソフトバンクのような企業数社が財団をつくってこのような機関をつくらないと難しいのかも知れないが、いずれにせよ早急に具体化しないと人材が間に合わなくなる。
HMR(human resource management)の発想が必要だろう。