いまのまま義務教育を続けて大丈夫???

最近、AIの進化に関連して、現在の教育の仕方、仕組みなどを危惧する記述が目立ってきた。先日も『現在の仕組み・価値基準で「勉強ができる子」「偏差値の高い子」は真っ先にAIに取って代わられる』という記事を目にしたが、まさに的を射た指摘だと思う。
小学校6年、中学3年、高校3年の12年間をどう過ごすかは子供たちに選択することができない。中学の内申点が高校受験に影響すれば、その枠組みの中でよい成績を得るために塾に通い、模試を受ける。高校に入ってからも大学受験という訳の分からない関門を突破するためだけに時間、エネルギー、資金を費やすから、それ以外に目を向ける余裕はない。
よく考えてみれば、そこでやっていることのほぼ全てがインターネット上にあり、検索すれば瞬時に手に入る。しかも無料である。
例えば、123456789×123456789= と式を入れて検索すれば、電卓がなくても1.52415788 × 1016  と答えが示される。答えは簡単に手に入るから、問題はそれをやる意味である。単にテストの点数を取るためだけであればwebから瞬時に得られるもので評価することには疑問が残る。
そればかりか、123456789という数値にまつわる様々な発見、うんちくなどまで一回の検索で得られるから、この式の計算をするよりも、一つの疑問をWeb検索し、その周辺にある様々な情報が得らることの方が余程視野が広がるし、ためになる。
情報、知識がWeb上にたくさんあり、その気になればいくらでも無料で得ることができる時代に、「勉強」と称して知識を詰め込むことにどれだけの意味があるのだろうか。そもそも「勉強しろ」と言いながら「勉強とは何か」を明確に伝えない、「なぜ、勉強が必要か」を伝えないのでは、「疑問を持つ」「考える」ということせずに機械的に言われたことだけやるという人間を育ててしまう。しかも、それで入れる学校が決まり、就職や人生まで決まってしまうという古い価値観でいたら、今度はAIに置き換わってしまうかもしれない。将来、どう変化するか分からない時代に、こんなことを続けて、誰が、どう責任を取るというのだろうか。
iPhoneが発売されて昨年2017年でやっと10年目である。言い換えればスマートフォンが大きく普及しだしてからまだ10年も経っていないことになる。しかし、スマートフォンの普及は、わずか10年足らずの間に様々な分野で大きな変化を引き起こしている。
特に大きな変化は、一人一人が特定/不特定多数を問わず、世界中の多くの人や情報と双方向でコミュニケーションをとれるネットワークにリアルタイムでアクセスできるようになったことである。しかもSNSは、米大統領選の結果を左右するような影響、そして突然のピコ太郎の出現、..というように短時間のうちに現実の世界を変えてしまうほどの影響力を持っている。
そのSNSもFacebookの設立が2004年(日本語化2008年)、YouTube2005年、Twitter2006年であるから、スマホと共に急激に普及し、我々の日常生活を大きく変えてしまったことになる。
そう考えると、義務教育の9年間(あるいは高校までの12年間)という時間が、現状、如何に大きな意味を持つか分かるだろう。
過去の時間の流れにこだわらず、将来のためにその時間と費用を費やした方がはるかに有効と考える人が出てきてもおかしくはない。
デジタル技術の進化は我々の想像をはるかに超えており、9年間(あるいは高校までの12年間)もの長い時間、寄り道をしてから取り組むには、あまりにも膨大すぎるし、何よりも頭の構造がついていけなくなってしまう。確実に浦島太郎になってしまう。
かつて中学で音楽の試験問題に作曲家の亡くなった年を書けというのがあった。こんなものを覚えて点数をとることにどんな意味があるのか、問題を作った教師に聞いてみたい。
かつて鎌倉幕府がどんな意味を持つのか分からなくても「いい国作ろう鎌倉幕府」と覚えさえすれば点数をとれていたが、いまでは1192年から1185年へと変わっている。
源頼朝の肖像画は、実は別人だったという話や聖徳太子は実在しなかったのでは?という話まで出てくると、結構いい加減なものが基準になって、それで人生が変わってしまった人がいたかもしれないと思えてくる。
「教育を神聖なもの」と言いくるめて村社会の中に閉じ込めてしまう時代はすでに終わっている。社会、経済の構造が大きく変わった今、教育の意味も手法も求められるものも変わっている。実社会を知らない人が子供に教えることに無理があるのかもしれないし、決められた枠内だけで実態とかけ離れたことを記憶させることにも意味がなくなっているのだろう。
一つしかない物差しで型にはめ、機械的に評価をするために大切な時間を使うのではなく、個々の持てる能力(脳力)、可能性を引き出すことに重点を置いた時間に切り替えることをしないと、将来が危ぶまれる。
すでに多くのモノ・コトが変わっているにも拘らず、そのことが認識できず、大きすぎる仕組み、重たすぎるインフラを維持することばかり考えて動いているのでは、将来を犠牲にするだけである。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください