ねむの木学園 カニの絵の話


BS1スペシャル「歓びの絵 ねむの木学園48年の軌跡」という番組を見る機会があった。宮城まり子氏の長年に渡る取組みがこのような形で紹介されることは大きな意味があるだろう。

「だめな子なんかひとりもいない」という学園長宮城まり子氏の考えに基づき、絵画・国語・工芸・音楽・茶道など感性と感受性を大切にすることで集中力を養う教育(集中感覚教育)を行なっている。これらの成果はパリ市立近代美術館での美術展やコーラスとダンスにおける芸術祭賞の受賞などに結びついているという。

気になったのは次のような話である。以前は町の公立学校の分教場が設置され、先生が教えに来ていたという。その際、子供が書いたカニの絵に先生が足を書き足し、波を書き加えたという。子供は自分の絵が直されたことで、これは自分の絵ではないと絵全体を大きなバツで消してしまった。

その絵はそのまま残っている。全ての象徴がこの絵なのだろう。あらゆるものを既成概念の中に押し込めることが教育だと思っている教師、教育体制はいずれ日本を滅ぼす。特に子供がまだ小さい義務教育の内に創造性の芽、ポジティブな姿勢を潰してしまうことは、非常に危険な行為と言わざるを得ない。

デジタルの発展が著しく、人口知能に人間が取って代わられるリスクが盛んに議論されている時代に、相変わらず「教育」の現場では本質が変われないのだろうか。シンギュラリティが言われるいま、このような体制が子供の可能性を蝕んでいくことは、将来の日本の可能性をつぶしてしまうことにつながる。

盛んに 報道される教師の不祥事、早稲田、東大、慶應と続いた不祥事をどう理解し、どう総括すればよいのだろうか。成績優秀の基準は何だったのだろうか。「成績」とは何で、「優秀」とはどんなことだったのだろうか。

ブラックボックス化したムラ社会を解体しない限り、一般社会から掛け離れた世界が暴走するか、破滅するかしかない。手遅れにならない内に解体しなければならない化け物がある。

 

 

 

 

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