台形の面積を求める公式は?

「台形の面積を求める公式は?」という質問をすると、一瞬戸惑う人は多い。
むかし習ったことだから、もう忘れてしまったというのが理由である。
多くの人が公式を覚えてテストを乗り切ってきたから、テストが終われば必要のない知識として忘れ去られてしまう。特に算数に対して苦手意識を持つ人には訳の分からない公式はテスト用に覚えることはしても、用が済めばただの意味のない記号に過ぎないから忘れるのも早い。
台形の面積を求める式は、(上底a+下底b)×高さh÷2  何とも不思議な公式である。
しかし、これを (上底a×高さh÷2)+(下底b×高さh÷2) とすると、上底aを底辺とする三角形と下底bを底辺とする三角形、二つの三角形を足したものであることが分かる。
実際に台形の図を描き、対角に一本線を書き加えて三角形二つに分ければ、なんということはない。直感的に理解できる。
頭の中にどのように入ってくるかで、その後の処理の仕方は変わる。
直感的に分かり、理屈としても理解できた状態で入ってくるか、ただの意味のない記号としてとにかくその場しのぎで覚えたかの違いである。

同様に「2.25×2.25-1.75×1.75を5秒で求めよ」というと、ほとんどの人は、そんなことは出来っこないという。
昔はよく一番初めの授業で学生に質問したものだが、大学生でもほぼ全員が無理だという反応を示す。
小数点第2位同士の掛け算をすれば、結果は小数点第4位になる。その計算を二つやった上で、なおかつ引き算までしなければならない。それはどう考えても無理というように結論付ける。
5秒で求まるというのは大きなヒントなのだが a×a-b×b=(a+b)×(a-b) など因数分解に当てはめて考えないのだろう。
2.25+1.75=4  2.25-1.75=0.5  4×0.5=2 誰がやっても5秒で答えは出せる。そういう問題である。

算数に対する苦手意識は、思考そのものを止めてしまう。
重要なことは、どのような形で頭に入れるかのはずだが、思考法、論理の組み立て方は小学校から大学まで、ほぼすべての教育項目の中に入っていない。
知識を与え、求めて、思考法を教えないのは、魚を与えて魚の取り方、増やし方を教えないのと同じである。
こんなことを続けていては、小学校から英語やプログラミングをやっても何も変わることはない。

なんで読んだのか記憶が定かではないが、「IQ(intelligence Quotient 知能指数)の高い子よりもEQ(Emotional Intelligence Quotient 心の知能指数)の高い子の方が大人になってから出世し、収入も高い傾向にある=社会に適応している)」という記事を読んだことがある。
別に出世し、高い収入を得ることだけがよいことだというつもりはないが、少なくとも子供をどう育てるかを真剣に考えないと、標準偏差という机上の物差しばかりに縛られて、実社会、実態に適応できない人間をたくさん作りだしてしまう。
まして、シンギュラリティ(Singularity技術的特異点)が言われる時代であることを考えれば、旧態依然とした価値観、制度のまま、教育をしていくことのリスクを真剣に考え直す必要があるだろう。

たかがマニュアル、されどマニュアル ver.1

マニュアルとは何か、どう使い、何をしたいのか、その目的は、…?
マニュアルに関する本質的な理解ナシに、マニュアルに頼りすぎると現場に大きな混乱を招く。
昔、ある大手企業の人事担当者の研修で「マニュアルは資格試験の前にしか見ることはない」「マニュアルを使おうと思えば、そのためのマニュアルが必要だ」と自嘲気味に話していたことを思い出す。
基本的な理解、使い方に関する明確な思想ナシに机上だけで考えて作るマニュアルは、多くの弊害をもたらす。

理由はいくつか考えられる。
一つは現場の実態を知らない人が机上の理屈だけでつくるマニュアルは、現場で実際に起こるか否かに関係なく、可能性を理屈だけで考えて作るから、10年に一度あるか無いかという事象でも可能性があれば記載する。
基本や原理原則ではなく、個別の事象を発生確率ではなく、可能性の有無だけでリストアップしていくから、使うことではなく、作ることを前提とした可能性だけの化け物のようなマニュアルが出来上がる。
もう一つのパターンは、作る人の自己満足、「マニュアル作り」という仕事をした、完璧にこなしたという満足感を得るために百科事典のようなマニュアルを作ってしまうケースである。
つくることが目的の人にとって、アウトプットは精度が高く、誰の目から見ても素晴らしいと思える完璧なマニュアルがよいに決まっている。

しかし、売場マニュアルの目的を、新人に基本的なやり方を正しく教える、スタッフのレベルを一定に保つなど、基本、原理原則を定着させることとすれば、それ以上は必要ない。正しいやり方が定着した段階でそのマニュアルの役目は終わる。売場を起こる様々な事象は、あくまでも応用である。基本、原理原則をもとにその都度状況に応じて現場で臨機応変に判断すればよい。
売場の実情=少ない人員・限られた時間で回していることを考えれば、如何に正しいやり方、的確な判断が行われるかが重要になる。当然、周辺の細々したことはいらないから、ド真ん中=最低限必要なことが直感的に分かるような表現、まとめ方で作られている方が良いに決まっている。

いろいろなマニュアルを見ていくと、大きく分けて二つのタイプがある。
一つは基本、原理原則だけに絞って、考え方、目的、方法、起こりうる主な不具合と原因、基本的な対処法がまとめられたものである。
いたって簡潔で分かりやすいが、基本から外れた個別の状況については、基本、原理原則に照らし合わせた上で、その都度臨機応変に判断・対応する必要がある。
ある程度OJTができ、スタッフの育成ができる環境を前提としていると言ってよいだろう。

一方、考えられるあらゆるケースについて、一つ一つ事細かに記載されたマニュアルがある。前述のマニュアルを使うためのマニュアルが必要といった類のマニュアルである。
ここには基本、原理原則はなく、全てが個別に起こりうるケースに対応している。したがって、全てについて答えが書いてあるので、現場では一切判断せず、決められた答え通りにやることが求められる。
その分、項目数、分量は増え、まさにマニュアルを使いこなすには熟練やスキル、場合によってはマニュアルが必要になる。

どちらが良いか、一概に判断することは難しいが、前者が基本、原理原則をベースに応用を繰り返すことで習熟していく可能性があるのに対し、後者では、はじめから独自に判断することを否定されているから機械的に終わる。慣れないと短時間に答えにたどり着けない可能性もあり、類似のケースで微妙に違う場合などでは判断できずに返って混乱する。

以前、ある企業で現場作業を観察し、状況を確認したことがあるが、そこではほとんどの人のやり方が自己流だった。マニュアルはあるというが、ある事すらも周知されておらず、あることは知っていても、どこにあるか分からない、見たことがないというスタッフが多かった。
問題は、勤務時間帯のずれによるスタッフ間のコミュニケーション不足だった。
休日、休憩時間などが交代制であるため、同じ店舗、同じ部門に所属していてもスタッフ同士が顔を合わせる機会は少ない。休憩時間に仕事の話をすることはなく、仕事中はそれぞれの担当業務に集中するから、分からないことがあっても相談するような時間が取れない。
気が付けば、いつの間にか、アチコチで自己流が横行し、現場のレベルは低下していく。

マニュアルは、ただ作って配布すればよいのではなく、環境整備を含めた使い方、それによって達成しようとする目的まで全てをシステム的に構築する必要がある。
たかがマニュアル、されどマニュアルである。

楽しい売場、面白い売場を創ろう‼

売場の仕事は、毎日の単純な作業の繰り返しでしかないから、ややもすると機械的で殺伐としたものになる。まして、今では売場から人が減り、シフトの関係でスタッフ同士でも顔を合わすことも少ないから、同じ店舗、同じ売場で働いていたとしてもも「一緒に仕事をしている」という実感はなかなかわいてこない。
一人当たりの担当坪数などの指数で測ってみることもあるが、営業時間と勤務時間の関係を考えると、勤務時間、休憩、休日などすべてが交代制だから同じ売場、店舗に所属しながら、まともな会話もせずに1週間が終わることも珍しくない。
ある時、ドラッグストア店舗で実際の売場で行われている個々の作業レベルについて調べたことがある。
マニュアルもあることはあるが、細かすぎれば読まないし、基本しか書いてないと個別に解釈しなければならない。
そこで問題になったのが、ベテラン社員とのコミュニケーションの問題である。
営業時間が長く、週休2日で1日4-5時間のパート比率が高いと、分からないことがあって、たとえ訊ける人がいたとしても時間的にコミュニレーションを図ることができない。結果的に各自が職場の中で孤立した状態になり、分からないことは個々人がそれぞれで判断するようになる。
組織の決め事があったとしても、それがあることすら伝わらず、いつの間にか個々に判断したやり方がその店の中に定着していく。
個々に判断してやっている人たちは、いつまで経っても正しいやり方、理屈が分からず不安を抱えた素人のまま経験年数ばかりが経ってしまう。
多くの場合、このような店では店長は仕事のできる人、早い人に頼むことが多いから、仕事が早く、できる人はいつも忙しく、それ以外の人は何を、どうしてよいかわからないのに加え、指示もあまりないから手持無沙汰にしている。
それぞれがストレスを抱える難しい状況にあると、売場は殺伐としてくる。さらに売場に手が行き届かないから欠品も多く、乱れるから業績も悪化する。売場の殺伐感は一段と増すことになる。
売場が崩れていく組織の典型的なケースである。

一方、売場に活気がある店は全てが違う。
一つは、それぞれがやるべきことが明確でポイントをつかんでいる。作業のやり方、理屈、なぜそれは、そのようにやるのかという理由、目的が分かっているから無駄がない。
分からないことは、相談しながら考え、試し、修正するから、精度が上がるだけでなく、仮説、実験、評価・修正、理屈の普遍化という帰納法的なサイクルが自然と定着し、やることに無駄がなくなる。
成功は多くの効果をもたらす。
管理レベルが高いきれいな売場は、分かりやすく、欠品もないから業績が上がる。
その結果は、スタッフの「自分たちがこの売場をつくっている」というブライドにつながり、モチベーションが高まる。
指示がなくても、自分たちの目で見て問題点、課題を見つけ、さらなる高みの目標を設定して自主的に取り組む。
さらに楽しめる売場では、いろいろな試みがなされるから「お客にとっても楽しめる売場」になる。

最高益をとらえたソニー 復権の象徴としてAIBOを使ったプラットホームはどうだろうか⁉

◆ソニー復活 ?
5月23日、ソニーは経営方針説明会で、平井一夫社長が20年ぶりの営業利益5,000億円達成(2017年度グループ連結)に自信を見せたという。
この発表を受けて、過去最高益である1998年3月期 5257億円を超える可能性が言われる一方で、果たしてソニーは本当に再生され、この業績が今後とも継続していけるものなのか、と懸念を表す声も聞こえてくる。
たしかに、この20年の間にVAIO、ウォークマンなど、ソニーらしさを象徴するブランドは影を潜め、画期的とも思えた犬型ロボットAIBO、二足歩行型ロボットQRIOはチームもろとも消失した。(様々な状況については、日経ビジネスONLINE「オレの愛したソニー」にインタビュー記事としてまとめられており、参考になります)

振り返れば、かつてソニーはウォークマンという音楽プレーヤーによって若者のファッション、ライフスタイルを大きく変えるほどの影響力を持っていた。街中、通勤・通学、ジョギングなどのスポーツシーン、…等々、あらゆる場面に音楽を持ち歩くことを可能にし、消費者の生活シーンと音楽を融合させてしまった。
ところが、その後アップルは、iPod、iPhone、iPadなどの機器(物)をiTunesというアプリによって束ね、ソニーがウォークマンによって生活シーンの中に浸透させた音楽の世界全体をまとめ上げてしまった。
ソニーが一つ一つの機器(物)を販売していたのに対し、アップルは個々の機器とアプリによってプラットホームを構築し、音楽シーンと共に機器を持つ消費者全てに網をかけてしまったことになる(機器、ソフト、決済、個人情報、購買履歴、…等々)。

また、かつてソニーはAIBOという犬型ロボットでも、世界中を沸かせている。長年空想の世界でしかなかったロボットの実物を一般消費者の家庭の中に送り込んだことで、多くの人々は来るべき時代への夢を大きく膨らませることになる。
AIBOは、コアなソニーファンの心を鷲掴みにしただけでなく、生産、フォローが終了した後々までもオーナーたちの心にいつまでも深く愛され続けている。
部品生産が終了し、修理が難しくなったいまでも、元ソニーの技術者らが作った「株式会社ア・ファン(習志野市070(4014)7955)」が、自作部品や代用品、あるいは同社に送られてくる壊れたAIBO(献体)から抜き取った部品で修理をしており、ソニースピリッツを持つ元社員たちが使命感を持ってケアしている。
また、2015年11月19日にAIBOの集団葬も行われている。

ソニーがAIBOの生産をやめたのが2006年というから、わずか10年の間に時代は大きく変わり、現在ではAIやロボットが話題にならない日はないくらいに、次世代を支える重要テーマとして注目されている。
そう考えると、なぜソニーがロボット分野から手を引いてしまったのか疑問が残る。
ソフトバンクのPepperをはじめ、人と会話するAI、人型ロボットは珍しくなくなり、急速に進化し続けている。しかも当時と違って、iPhoneやPepperはオープンイノベーションによって、その使い勝手、技術、ソフトなど、あらゆる側面で日々向上し、進化し続けている。単独企業が単独機器を創り出すのとは本質的に違い、様々な視点からマーケットを拡大する知恵が集まってくる仕組みが支える進化である。
マーケットの中心に居続けることができるか否かを決定づける重要な要因といってもよいだろう。
現在は、AmazonのEcho(AIアレクサ搭載)、Google Home、Microsoft(AIコルタナ)、Apple(AI Siriベース)、HP(AIコルタナ)、Line、…等々、AIスピーカーの開発は目白押しであり、それらと個々の家電製品などをつなぐ上でオフィスや住宅向けOSが必要になったとも言われている。
今後、オフィス、住宅などにおける様々なシーンの中心をどこの製品・仕組みが押さえるのかという巨大マーケットの奪い合いが始まっているといってもよいだろう。

◆ ソニー復活の象徴が見えない…..欲しい!
このような歴史を見てみると、失われた20年といわれるこの間、ソニーはいつも初めに手を付け、可能性ある形を創り出しているにもかかわらず、その可能性を育てることができず、他社に大きなヒントと共に、大きなマーケットチャンスまでも提供してきたように思えてならない。
失われた20年は、モノ創りではなく、時代=マーケットが読めず、経営に負け続けた歴史といってもよいだろう。もし、ソニーがこれらのチャンスを有効に生かすことができていたなら、Appleとここまでの差はついていなかったと考えるのは筆者ばかりではないだろう。(ソニーの時価総額はアップルの約20分の一)

2018年3月期には、いよいよ最高益に迫るというが、残念ながらそこにかつての「ソニーらしさ」が感じられない。もし、それが本物の復活なのであれば、「ソニーらしさ」も同時に復活させてもらいたいものである。
筆者は、これまで新聞、雑誌などでも提案してきたが、ソニーの象徴の一つであるAIBOをプラットホームとした新規ビジネスを立ち上げて欲しいと考えている。(何年か前に新しい体制になり、様々な新規事業を検討しているということでソニーに提案したこともあるのだが…)
現在は、AIBOが生まれた時代とは比べものにならないほど、AI、デジタル技術、ネットワーク技術が発展し、また、消費者の状況も大きく変わっている。
高齢化・過疎化・非婚化が進み、全国には年齢を問わず一人暮らし世帯が溢れている。高齢者はペットを家族代わりとし、またアニマルセラピーなどの効用も認められているが、ペットの高齢化に伴い飼育を継続することも難しくなっている。
このような環境与件を考えると、AIとホームコントローラー機能を搭載したコンパニオンロボットニーズは非常に高まっている。高級おもちゃではない実用と癒しを兼ねたロボットへのニーズである。
仮にAIBOというソニーの象徴をベースにしてプラットホームを構築すれば、様々な点で多くのメリットがある。AI搭載は当たり前として、自分で動くことができ、小型である必要がないから多くの機能を搭載することも可能になる。ペットにも、話し相手にもなる情報端末であれば、少人数化した世帯の様々な生活シーンを幅広くカバーすることが可能になる。
各種センサー、カメラは一人暮らしの高齢者、赤ちゃん、ペットなどの監視や留守宅のセキュリティになり、コンパニオンとしての役割、話し相手、映像や音楽の他、情報端末として様々な機能を果たすことができる。自分で充電や自己診断、アップデートもできれば、面倒なケアはあまり必要ない。
ネットワークにセキュリティ企業を加えて安否確認や防犯、各種小売業、飲食業、給食センターなどを加えて日常的な物品、食事などの発注端末、医療機関を加えて健康状態の確認、テレビ電話での問診等も可能になるだろう。
もちろん、AIスピーカーのように家中の家電製品とつなぐこともできるから、機能をモジュールユニットに分けて組み合わせるような形になるだろう。
企画とアイデア次第で一大ビジネスに発展する可能性もあるが、問題は「物」ではなく、様々なサービスを提供する「システム」としてビジネスモデルに仕立てることである。
物創りへのこだわりを如何にその物を生かすための新たなシステムへとつなげるのか、ソニーの復活、新たな進化を占う上での重要な課題といってもよいだろう。

産業用ロボットを進化させよう‼AIに対応できる脳へのインプットのシステムを開発しよう‼

「産業用ロボットとは何なのか」を考える時、重要なことがいくつかある。
一つは、加工組み立て型工業が、装置工業化したことである。
当然、生産性に対する考え方、評価の仕方も根本的に変わるから、ロボットというものの活用が経営そのものを大きく変えることになる。
基本的に変わっていないのは、ロボットは人の動き=人が加工し、組み立てた部品を代わりに加工、組み立てることを前提としているために、その動きは、従来、人間がやっていた動きと大きく変わることがない。

これは、製品の設計(個々の部品・ユニット、加工・組み立て工程)が、人が加工、組立てることを前提としているからであり、部品加工、部品・ユニットの組み立て工程を前提とした形状になっているからである。
仮に3Dプリンターで作ればどうなるのかと考えると、設計、あるいは設計に際しての制約が根底から変わるから、製品の形状そのものも理想的なデザインやサイズに変わるはずである。
そこでロボットによる製造をどのように考えるかである。
動く速度、精度などロボットが持つ能力、可能性を考えた時、はたしてロボットは人間が加工、組み立てを行う動作、工程を前提とした動きしかできないのであろうか。
仮にロボットが人間とは異なる動き、加工ができるとすると、加工・組み立て工程=製品・部品設計そのものを変えることができ、それによって生産性が著しく高まる可能性もある。また、デザイン、サイズ、形状などが理想とするものに変えることができれば製品そのものの概念も大きく変わるから、そこからさらに発展する可能性もある。
今後、産業用ロボットが大きく進化する可能性があるとすれば、製造=加工・組み立てそのものを根底から変えるように製品設計の思想を変えることだろう。

同様にAIの進化の問題も人間との関係を考えると、現状は多くの点で矛盾している。
すでに情報処理能力は人間の能力をはるかに超えていることは明白であるが、人間がロボットを操るために多くのモノ・コトを学ぶ=インプット~処理(加工・分析)~理解~応用するには、残念ながら文字・画像・動画・音声といった情報形態しか持ち合わせていない。
コンピュータのようにデジタル信号を脳に直接入力・処理するようなことができない限り、人間の脳がインプット、処理できる情報量は生体としての認識能力を超えることはない。
「思考」の元となる情報の「量」と認識する「速度」に限界があることをどのように克服するかは大きなテーマである。
文字・画像・動画・音声よりも情報量が多い、あるいはそれらの情報を包括して処理できるような「概念」とでもいうような処理システムをつくり出さない限り、どこかで限界を迎えてしまう。
どんなスーパーコンピュータを道具として用いたとしても、そこで行われるプロセスから始まる一連の処理がブラックボックスでは「思考」そのものが追い付かない。
大きな課題である

基本は52週販売計画とOTB(open to buy)、相乗積と交叉比率

いつのまにか恵方巻が世間を賑わせるようになったが、面白いのは一般には「恵方」の何たるかが全くと言ってよいほど知られていないことである。
「恵方」を調べると「陰陽道の….」とある。
陰陽道?と思うが、我々が知っているのは映画の陰陽師ぐらいで、どこから太巻きが出てきたのか?と不思議に思う。
クリスマスやバレンタインデーと一緒で、みんなで盛り上がることさえできれば、そんなことはどうでもよいのかも知れない。しかし、商売という観点から見れば、ポイントは普段あまり売れないケーキやトリのモモ、チョコレート、太巻きなどが「何らかの意味」を持つ(与える)とたくさん売れるようになるという事実である。
もちろん、その裏には企業・業界の仕掛け、マスコミが取り上げたくなる話題性、アルバイトへのノルマの押し付けなど、様々な事情もあるのだろうが、同じ商品が「ある時」「その意味を変える」と売れ方が大きく変わるという事実はおおいに注目する価値があるだろう。

◆商品が、時間と共に(時系列で)意味を変え、それに伴って売れ方が変わるというのは、小売業に限らず多くのビジネスにとって重要な意味を持つ。
売れ方が変われば、商品の原材料の手配から始まる生産体制、在庫の持ち方、仕入の仕方、販売体制、売場づくり、人員体制など、多くのモノ・コトが連動して変わる。当然、配送など物流面にも大きく影響するから、時系列変化を単に数値としてだけでなく、その変動要因となる社会行事・生活歳時などのほか天候や気温など様々な要素との関係において理解することが重要になる。
最も消費者に近い小売段階は最終的な販売と在庫調整=売上、利益、生産性などを決めるとても重要なポジションということになる。
筆者が最も基本に置いているのは52週の販売計画である。
これにはいろいろな意味があるが、主なものを整理すると次のようになる。
⓵日単位で見るのでは細かすぎるし、月でとらえてしまうと大きすぎる。月が替わるたびにリセットしたのでは、月をまたぐようなケースは捉えにくい。
⓶時間帯、日、週、旬、月、…など、いろいろな期間の取り方があるが、日常業務を見ていくと週という単位が大きすぎず、細か過ぎずちょうどよい。1か月4週という見方よりは13週(3か月)から26週(6か月)のスパンをローリング(1週過ぎたら先の1週を加え、常に13週なら13週、26週なら26週を見る)で見ていくのが、人員配置を含めた業務スケジュールなど、先のことを準備するのにちょうどよい。
また、売上、在庫、粗利など結果として現れる数値に対してし、その要因となる仕入、在庫、値入、売価変更など、結果が出るまでに時間的なズレがある数値についても時系列で見れば遡って因果関係を確認することができる。
あの時、仕入れすぎて在庫がオーバーしたから、その後値下が起きて粗利が下がった、あの時、A商品の仕入れが足りなかったから、後になって欠品を起こし、売上がショートした…等々である。
⓷時系列でモノ・コトを見る目的は、時間の経過とともに変化する状況(ある一定の法則)を見ながら将来を予測し、計画する、あるいは過去の不具合を修正し、活動の精度を高めることにある。
時系列で見ると、商品の意味の変化が売上の変化に影響し、売上の変化に伴う在庫の持ち方=仕入の仕方のタイミングや商品のバランス、売場表現、販促などが結果と連動していることがよく分かる。
例えば、在庫過多や値下が異常に増えた(粗利率が下がる)場合には、遡って仕入を見ればそこに原因があるし、逆に欠品による売上低迷が認められる時にもその原因はそこから遡った時点にあるから、どのような状況下で、どのようにして、どのようなことが起こったのか、原因の特定、異常が起こる際の因果関係=メカニズムを把握することができる。
⓸異常な事態だけではなく、上手くいった場合、大きく売上を伸ばした場合にも、その理由は遡って見ることができるから、単に結果として売上が上がる週だけではなく、その前後何週間かを見ていけば、良い場合、悪い場合とも、おおよその状況を把握することができる。
*言い方を換えれば、売上の高い週だけを見ていても、その理由を知ることはできないことになる。
また、事前告知をする大きな売り出しの場合には、必ず事前には買い控えがあり、また売り出しによる売上の先食いで後の売上低迷が起こるから、単に売り出し期間の売上を見ているだけで評価することは難しい。
以前、大手GMSなどが会員向けに大規模な割引セールを行っていたことがあるが、その週だけ見れば非常に大きな売上であるが、セールの前々週・前週、セール後の1~2週の売上まで含めて考えると、何もやらない場合と大して変わらないというケースも多々見受けられた(その結果を受けて取りやめている)。期間トータルとしての粗利率を考えれば、何もやらない方が結果として高かったということもあり、もう少し広い視点からモノ・コトを見ないと判断を間違える典型的な例ということになっている。
⓹粗利率や売上の相乗積計算は、単に商品の組合せだけではなく、商品A、B、C、…の代わりに第1週、第2週、第3週、…というように週単位の売上構成比を使っても同様にして見ることができる。このようにすれば、予算の進捗管理をしながら修正の仕方を考えて日常業務を進めることができる。
月単位での与実管理は管理会計的には重要であるが、現場での進捗管理=具体的に業務として現場の修正を行いながら業績を上げる=という観点から見れば、月ごとにリセットするよりは、累計値を継続して見る方が重要になる。
そのためにも週単位の時系列は有効な方法と言える。
⓺別項に相乗積と交叉比率をあげてあるが、⓹で説明したように商品や部門というとらえ方だけでなく、週単位の値を用いて同様のことを検討することができる。
全ての結果が出てからでは修正することができないから、少なくとも週単位に分けて数値の計画をし、それぞれの週の進捗を見ながら仕入=在庫の持ち方や粗利率の修正、売場づくり、販促などをこまめに修正していくことが重要になる。

 

 

ロボットの設計思想はどうなる?2017国際ロボット展に行ってきた

12月1日、2017国際ロボット展に行ってきた。
テレビで紹介していた通り、大盛況といった感じである。
事前登録を済ませておけば並ばずすぐに入れることも好感が持てた。
ところが、会場に入ってすぐに疑問に感じたことがある。
いろいろなロボットが並んでいるし、デモンストレーションでいろいろな動きをしているが、どれをとっても同じ動きでしかない。
1980年代に西友が能見台にメカトロ店舗をつくり、ロボットにジグソーパズルをさせるなどデモンストレーションをやっていたのとまったく同じに見えてしまう。
この30年以上の間、基本的な進歩がなかったことになる。
もちろん、センサーもアタッチメントもソフトもよくなっているから、精度は飛躍的に高まり、スピードも速くなっているが、基本的には人間の動きを機械に置き換えてやらせているだけでしかない。
疑問を晴らすために大手企業や日本でもトップクラスと思われる大学の出展ブースで訊いてみたが、どうもこちらが期待するような答えが返ってこない。
唯一、こちらの意図を理解し答えてくれた=会話が成り立ったのはファナックの担当者だけであったから、残念というしかない。
おそらく、多くの人が「この人間は一体何を言っているのか...???」といった感じなのかもしれない。
筆者の疑問は、AI、ロボットなどまさに21世紀を支えるデジタル技術が救世主のように言われているが、「それって人間の動きを機械に置き換えているだけ?」というものである。
製造ロボットはアームを器用に動かし人間と同じように部品を取り、組み立てていく様は確かに素晴らしいことであるが、それではいつまで経っても、どんなに早くして見ても人の動きと同じ軌道をなぞっているだけであるから限界がある。
30年以上も前のことだが、あるパンの工場で流れてくるパンに光沢をつけるために玉子の黄身をつける工程を見たことがある。バケットに玉子の黄身がたくさん入っていてその下をパンがコンベアに乗って流れていく。なんとたくさんの刷毛がバケットに入って玉子をつけ、その刷毛でパンに黄身を塗り付けている。3回(パン3つ)に対して1回玉子をつけるから後ろに行くほど玉子は薄くなる。
まさに手作業をそのまま自動化している。おそらくバケットから下に幅の広い布状のモノを伝わせるか、噴霧すればまた違うのだろうが、詰まる、固まる等の不具合があるため、仕方なくやっていたのだと思う。
まさに人の作業をそのまま機械に置き換えるというのは今も昔も基本的には何も変わっていない。
筆者が学生だった時代、オールドIE(Industrial Engineering)の時代には複雑な形状の部品があれば、それを2つ、3つに分けて単純な形に変え、加工しやすくするなどということが言われていたことがある。
その後、NC旋盤、マシニングセンターが当り前になると誰もそんなことを言わなくなり、3Dプリンターの時代になれば、そんなことがあったことさえ信じられないと言ってもよい状況にある。
そこで、製造ロボットである。
確かに人と同期して動くロボットなど、人が働く現場に調和することが重要な意味を持つことも十分理解できるが、それでは、いつまで経っても人の動きの置き換えという状況から抜け出せない。
何故、これだけ技術が進歩しているのに、「大元の思想が全く変わらないのか」不思議でしょうがない。
センサーもアタッチメントも精緻な動きも可能であるならば、「製品の構造、部品、加工方法、製造工程」をロボットの能力が十分発揮できるように修正しないのだろうか。もちろん、ロボットそのものの構造も変わることになるだろうが、いまのまま人の動きの置き換えでは、工程も加工方法も製品ユニット=構造も従来とは基本的に大きく変わることがない。
加工スピードにしても人の動きをそのまま模倣している限り、どんなに早送りのように動かしてみても工程そのものが変わらなければ限界がある。
多くの場合、製品の心臓部分はチップに集約されているため、加工の中心は周辺のメカ部分になる。基本的に機能が決まれば構造も決まるから機能別に構造をパターン化することはできる。部品形状、加工方法、工程も同様である。
そうであれば、そろそろ技術とは別の次元のロボットを使いこなす生産システムの思想そのものをリデザインする必要があるのではないだろうか。
ファナックの担当者氏はロボットをつくる上で自社にはそのような工夫が多少はあるが、クライアントのニーズには、ないのではないかというような話をしていた。
どんなに技術開発が進んでもロボットの世界はまだまだなのだろう。

*そこで出展していた大学のブースへいって訊いてみたが、学生・院生ばかりということもあり、全く話にはならなかった。日本を代表するような大学であることを考えると、学生・院生の内にトレーニングすべきことが、どこか違うように思う。

1月18日には第1回ロボテックスにも行き、基調講演も聞いた。
個々の技術よりもインテグレーターの重要性が分かったのが大きな収穫だったが、そこがブラックボックスになっているのでなかなかその全体像が見えてこない。

個々の技術は非常に優れているのだから、その使い方・生かし方、設計思想を研究する分野が車の両輪のように発展してこないと本当の意味でのポテンシャルを発揮することができない。
仮に思想そのものが変われば、現在の技術も思想と共に価値が失せる可能性がある。
何とももったいない話である。
開発そのもののやり方を見直さないと、下働きばかりでプラットホームを構築することはできない。
何かスッキリしない状況である。
第4次産業革命はどうなるのだろう。

昔、日本の小売業もいずれアメリカのようになると言われてきたが...⁉ 

◆日本の小売業もいずれアメリカのようになる…?
チェーンストアが日本に導入され、急成長を始めたころから、いつも言われ続けてきたことは「いずれ日本の小売業もアメリカのようになる」だった。多くの小売業者がアメリカ視察に訪れ、その結果、様々な業態のチェーンストアが生まれて現在のような小売業の形が形成された。
しかし、なぜか、そのようなことを言い続けてきた人達も最近は何も発言しなくなっている。
もし、いまでも当時と同様にアメリカ小売業が日本より何年も先行し、そこに将来の日本の小売業の姿を投影して見ることができるのであれば、日本の小売業は近い将来、かなりの確率で大変な事態に遭遇することになるだろう。
ここ最近、アメリカから聞こえてくる小売業関連のニュースは、我々も聞いたことがあるような企業の破産申し立てや大量の店舗閉鎖、そしてAmazon Dash Button、Amazon Go、Amazon Echoなど、アマゾンを軸にしたデジタル技術活用の新しい販売方法の話題ばかりである。
ショッピングモールは、いずれ現在の半分弱から3分の二にまで減少するだろうと予測するアナリストの話やショッピングセンターの多くでは2025年までに飲食スペースの占める割合が8%から20%まで増えるだろうというような話もあるから、明らかに実店舗における物販のウエイトが低下し続けると予測されている。
アマゾンがホールフーズを買収したというニュースが伝わった際には、アメリカ小売業の株価はクローガー9.2%、 スーパーバリュー14.4%、ウォルマート・ストアーズ4.7%、ターゲット、ウォルグリーン・ブーツ・アライアンス、コストコ・ホールセールは5~7%下落した。一方、ホールフーズの株価は29.1%上昇というからAmazonの影響力を市場がどのように評価しているのかが分かる。
日本では無関心なのか、それとも日本は大丈夫と考えているのか、いまのところ小売業の株価は全く反応を見せていない。
仮にアメリカ小売業が日本の小売業の先行指標という見方が正しいのであれば、いずれ日本も現在のようなEC(電子商取引)の影響を大きく受けるなどといった生易しいものではない状況に陥るだろう。衣食住余のあらゆる商品・サービス、EC/実店舗、物流網、IoT、AIなど、日常生活に関わるあらゆるモノ・コトの構造を根底から変えてしまうような革命的な変化が起こると考えてよいだろう。
旧態依然とした経営の実店舗チェーンストアはどこかに吹き飛んでしまうかもしれない。しかも、このような流れは政府も主導する第4次産業革命の流れに沿ったものである。好むと好まざるとにかかわらず、この流れに乗るしかないのだろう。

小売業を取り巻く我国の環境はアメリカのそれよりはるかに厳しい状況にある。
例えば、アメリカは移民を中心に人口が増加し続けているのに対し、日本は急激な高齢化と人口減少(地方主要都市1つ分の人口に相当する年間30万人減少)に直面している。2016年の出生数は100万人を割り込み、今後減ることはあっても増える見込みはない。一方、死亡数は130万人であり、ピーク時には160万人に上るとされている。
その結果、1980年にアメリカ(2.27億人)の約半分(1.17億人)だった日本の人口は、2016年にはピークアウトしてアメリカが3.23憶人と大きく増加しているのに対し、1.27億人と減少し始めている。今後その差は拡大する一方と推計されている。
また、1980年にアメリカ(286百億ドル)の約4割(110百億ドル)だった日本のGDP(名目、ドルベース)は、1995年の約7割(アメリカ766百億ドル:日本545百億ドル)をピークに2016年にはアメリカ(1860百億ドル)の4分の一(494百億ドル)という状況にある。
人口もGDPも伸び続けるアメリカに対し、日本は国全体がシュリンクしており、小売業でも伸びているのは、実店舗からシェアを奪って急成長するECと他業態からシェアを奪って成長する一部の業態のみである。
近い将来、日本の小売業がアメリカと同様な状況に直面するとなれば、事態はアメリカよりもさらに深刻だろう。
そう考えると、現在の延長線上でノンビリ構えているわけにいかないというのが、小売業、特に実店舗中心に事業展開するチェーンストア企業の置かれた状況である。

◆物の充足から状況・状態の改善へ 物中心から自分中心へ
それでは、いったいどうすればよいのか。
以前、「物を買わない若者」をテーマにしたテレビ企画があった。その中で印象的だったのは「物よりも思い出が欲しい。」というインタビューへの答えである。
かつて、物がない時代には「物の充足」=ブランド品など高額品を買い、所有することに重要な意味があった。ある意味、それが自己実現、自己表現という解釈、価値観が支配していた時代ということになる。
現在の自己実現、自己表現の方法は、SNSで「いいね」をたくさんもらうことであるから、物を買い、所有することにはあまり意味を見出していない。
お菓子の国から抜け出してきたようなスイーツに行列ができるのも、その店に行った、そのスイーツを食べた、という経験を写真や動画に撮り、SNSにアップすることで完結する。参加・体験型消費は「物中心」ではなく、「自分中心」である。
一人の場合もあるだろうが、多くの場合は友達と一緒だからある意味プリクラなどと同じで時間の共有、同じ経験をしたということが重要になる。
SNSのアクセス数を増やし、「いいね」をたくさん得ることができれば、多くの人に認められたことになり、(自己)満足できる。
物中心から自分中心に変わったことによって、かつてのブランド品に代わり「盛れる(誇張できる)こと」「多くの人がアッと驚くようなシチュエーション、経験」が重要になる。

すでにバブルからバブル崩壊以降を知る年代には、物をたくさん買い、所有することでは決して豊かにはなれないということを経験的に知る人がたくさんいる。
また、経済産業省がまとめた「百貨店 衣料品販売の低迷について」(2017年2月経済解析室)によれば、『消費者は低価格帯の服を数多く買うようになっており、「被服及び履物」の購入先別割合をみると、「百坂店」が低下する一方、ファストファッションの台頭などにより、「ディスカウントストア・量販専門店」、「スーパー」、「通信販売(インターネット)」などが上昇していることが分かりました。特に世帯主が30歳未満、30歳代の若い世帯は百貨店で洋服をあまり買わなくなっています。』とある。さらにファッションレンタルサービス(シェアリングエコノミー)利用者の7割強がこの年代にに集中していることにも注目している。
商品に対する価値観の変化が購買行動に現れ、その結果、大きなチャネルシフトが起こっていることが分かる。
現在のトレンドから将来の方向を考えれば、単に高いだけの商品を買うよりは、そこそこのモノを「知恵」や「工夫」によって上手く使い、楽しい時間、経験を共有した方がよいというように変わるのだろう。
舞鶴若狭自動車道 西紀SA(下り線)フードコートの「ガチャめし」や大分県別府市の湯〜園地計画のようにアイデア次第で多くの人が集まり、さらにSNSなどで拡散することを考えれば、お金がモノではなくコトに有効に使われていることが分かる。
「ガチャめし」は1回500円でガチャを回し、出たメニュー(最低でも600円相当、運が良ければ2000円相当の料理)を食べられるというもので、何が食べられるかはガチャ次第というゲーム感覚が受けている。
大分県別府市の湯〜園地計画は、YouTubeで100万回再生で計画を実行をうたい、支援総額81,828,088円を集めて実行された遊園地を温泉バージョンに変えた期間限定のイベントである。
ある意味、現実離れしていたり、本当にそんなことやっていいの?というようなコトに人が反応していることが分かる。
難しいのは、これまで「物」を売ることで収益を上げてきた人、そのためのインフラをコトに切り替えて収益を上げる仕組みに変えることができるか否かである。
ガチャめしはその中間ということなのだろうが、ビジネスモデル、頭の切り替えには時間がかかるだろう。

最高益をとらえたソニー 復権の象徴としてAIBOを使ったプラットホームはどうだろうか⁉

◆ソニー復活 ?
5月23日、ソニーは経営方針説明会で、平井一夫社長が20年ぶりの営業利益5,000億円達成(2017年度グループ連結)に自信を見せたという。
この発表を受けて、過去最高益である1998年3月期 5257億円を超える可能性が言われる一方で、果たしてソニーは本当に再生され、この業績が今後とも継続していけるものなのか、と懸念を表す声も聞こえてくる。
たしかに、この20年の間にVAIO、ウォークマンなど、ソニーらしさを象徴するブランドは影を潜め、画期的とも思えた犬型ロボットAIBO、二足歩行型ロボットQRIOはチームもろとも消失した。(様々な状況については、日経ビジネスONLINE「オレの愛したソニー」にインタビュー記事としてまとめられており、参考になります)

振り返れば、かつてソニーはウォークマンという音楽プレーヤーによって若者のファッション、ライフスタイルを大きく変えるほどの影響力を持っていた。街中、通勤・通学、ジョギングなどのスポーツシーン、…等々、あらゆる場面に音楽を持ち歩くことを可能にし、消費者の生活シーンと音楽を融合させてしまった。
ところが、その後アップルは、iPod、iPhone、iPadなどの機器(物)をiTunesというアプリによって束ね、ソニーがウォークマンによって生活シーンの中に浸透させた音楽の世界全体をまとめ上げてしまった。
ソニーが一つ一つの機器(物)を販売していたのに対し、アップルは個々の機器とアプリによってプラットホームを構築し、音楽シーンと共に機器を持つ消費者全てに網をかけてしまったことになる(機器、ソフト、決済、個人情報、購買履歴、…等々)。

また、かつてソニーはAIBOという犬型ロボットでも、世界中を沸かせている。長年空想の世界でしかなかったロボットの実物を一般消費者の家庭の中に送り込んだことで、多くの人々は来るべき時代への夢を大きく膨らませることになる。
AIBOは、コアなソニーファンの心を鷲掴みにしただけでなく、生産、フォローが終了した後々までもオーナーたちの心にいつまでも深く愛され続けている。
部品生産が終了し、修理が難しくなったいまでも、元ソニーの技術者らが作った「株式会社ア・ファン(習志野市070(4014)7955)」が、自作部品や代用品、あるいは同社に送られてくる壊れたAIBO(献体)から抜き取った部品で修理をしており、ソニースピリッツを持つ元社員たちが使命感を持ってケアしている。
また、2015年11月19日にAIBOの集団葬も行われている。

ソニーがAIBOの生産をやめたのが2006年というから、わずか10年の間に時代は大きく変わり、現在ではAIやロボットが話題にならない日はないくらいに、次世代を支える重要テーマとして注目されている。
そう考えると、なぜソニーがロボット分野から手を引いてしまったのか疑問が残る。
ソフトバンクのPepperをはじめ、人と会話するAI、人型ロボットは珍しくなくなり、急速に進化し続けている。しかも当時と違って、iPhoneやPepperはオープンイノベーションによって、その使い勝手、技術、ソフトなど、あらゆる側面で日々向上し、進化し続けている。単独企業が単独機器を創り出すのとは本質的に違い、様々な視点からマーケットを拡大する知恵が集まってくる仕組みが支える進化である。
マーケットの中心に居続けることができるか否かを決定づける重要な要因といってもよいだろう。
現在は、AmazonのEcho(AIアレクサ搭載)、Google Home、Microsoft(AIコルタナ)、Apple(AI Siriベース)、HP(AIコルタナ)、Line、…等々、AIスピーカーの開発は目白押しであり、それらと個々の家電製品などをつなぐ上でオフィスや住宅向けOSが必要になったとも言われている。
今後、オフィス、住宅などにおける様々なシーンの中心をどこの製品・仕組みが押さえるのかという巨大マーケットの奪い合いが始まっているといってもよいだろう。

◆ ソニー復活の象徴が見えない…..欲しい!
このような歴史を見てみると、失われた20年といわれるこの間、ソニーはいつも初めに手を付け、可能性ある形を創り出しているにもかかわらず、その可能性を育てることができず、他社に大きなヒントと共に、大きなマーケットチャンスまでも提供してきたように思えてならない。
失われた20年は、モノ創りではなく、時代=マーケットが読めず、経営に負け続けた歴史といってもよいだろう。もし、ソニーがこれらのチャンスを有効に生かすことができていたなら、Appleとここまでの差はついていなかったと考えるのは筆者ばかりではないだろう。(ソニーの時価総額はアップルの約20分の一)

2018年3月期には、いよいよ最高益に迫るというが、残念ながらそこにかつての「ソニーらしさ」が感じられない。もし、それが本物の復活なのであれば、「ソニーらしさ」も同時に復活させてもらいたいものである。
筆者は、これまで新聞、雑誌などでも提案してきたが、ソニーの象徴の一つであるAIBOをプラットホームとした新規ビジネスを立ち上げて欲しいと考えている。(何年か前に新しい体制になり、様々な新規事業を検討しているということでソニーに提案したこともあるのだが…)
現在は、AIBOが生まれた時代とは比べものにならないほど、AI、デジタル技術、ネットワーク技術が発展し、また、消費者の状況も大きく変わっている。
高齢化・過疎化・非婚化が進み、全国には年齢を問わず一人暮らし世帯が溢れている。高齢者はペットを家族代わりとし、またアニマルセラピーなどの効用も認められているが、ペットの高齢化に伴い飼育を継続することも難しくなっている。
このような環境与件を考えると、AIとホームコントローラー機能を搭載したコンパニオンロボットニーズは非常に高まっている。高級おもちゃではない実用と癒しを兼ねたロボットへのニーズである。
仮にAIBOというソニーの象徴をベースにしてプラットホームを構築すれば、様々な点で多くのメリットがある。AI搭載は当たり前として、自分で動くことができ、小型である必要がないから多くの機能を搭載することも可能になる。ペットにも、話し相手にもなる情報端末であれば、少人数化した世帯の様々な生活シーンを幅広くカバーすることが可能になる。
各種センサー、カメラは一人暮らしの高齢者、赤ちゃん、ペットなどの監視や留守宅のセキュリティになり、コンパニオンとしての役割、話し相手、映像や音楽の他、情報端末として様々な機能を果たすことができる。自分で充電や自己診断、アップデートもできれば、面倒なケアはあまり必要ない。
ネットワークにセキュリティ企業を加えて安否確認や防犯、各種小売業、飲食業、給食センターなどを加えて日常的な物品、食事などの発注端末、医療機関を加えて健康状態の確認、テレビ電話での問診等も可能になるだろう。
もちろん、AIスピーカーのように家中の家電製品とつなぐこともできるから、機能をユニットに分けて組み合わせるような形になるだろう。
企画とアイデア次第で一大ビジネスに発展する可能性もあるが、問題は「物」ではなく、様々なサービスを提供する「システム」としてビジネスモデルに仕立てることである。
物創りへのこだわりを如何にその物を生かすための新たなシステムへとつなげるのか、ソニーの復活、新たな進化を占う上での重要な課題といってもよいだろう。

イオンスタイル碑文谷に見る総合スーパー(GMS)再生の道程と課題

総合スーパー(GMS)の新しい形として業界が注目するイオンスタイル碑文谷を見る機会があった。
4月初めの平日昼間、春休みということもあり、子供が走り回っていたのが印象的だった。
色々な見方があるだろうが、新しいコンセプトの店ということもあり、
①フロア構成、売場づくり、商品構成など建物全体として思想、そして現実問題として売上が取れるか否か
②オープン時の売場がその後も維持可能か、さらに発展させることができるか否か
③次の時代のプロトタイプに成り得るか否か などにウエイトを置いて見ることにした。

多層階の既存建物への出店はいろいろと制約条件が多く、使い方がとても難しい。フロア別に顧客対象、商品分野を分けるのが一般的だが、現在の基準からすると、それではワンフロアの面積が狭すぎて満足な品揃え、使い方ができない。実際に食品は1、2階の2フロアを割くことで、ワインなど酒類の思い切った品揃えとイートインなど飲食スペースの確保を可能にしているが、紳士・婦人衣料はかなり難しいつくり方をしている。
( http://shop.aeon.jp/store/15/7947260/shop_info/floor_guid/7099/ )
店内を一巡してみると、商圏、消費者の店の使い方などを熟考した結果と思われるが、街のホットステーション、日常的な用件が、ここ一箇所ですますことができるコンビニエンスストア(ワンストップショッピング=物販+サービス)に徹しようという割り切りが感じられる。
喫茶・イートインなどの飲食、銀行ATM(1階)、美容室・ヘアカット、書店、洋服のお直し、写真スタジオ、幼児教室・こども英語教室、クリニック、旅行代理店、銀行・保険・証券、画廊、ヨガスタジオ、…等、個々の規模は小さいが機能的には盛沢山である。
売場面積は約16000㎡弱というが、バブル期の総合スーパーのように巨大迷路といった感はなく、総合スーパーの本質=現代風ワンストップショッピング(物販+サービス)としたことに好感が持てる。
おそらく、かつての総合スーパーと同様なポジションを現代に再現したら、こうなったということだろう。
問題があるとすれば、紳士・婦人衣料だろう。ここだけは極端に狭い売場にもかかわらず、バブル時代に拡大した物販の思想から抜け出せていない。
売場面積の制約もあり、通路が狭く、品揃え、商品量も限られている。混み合えば、人がすれ違うことも難しいし、商品量が少ないから商品を選ぶこと(いろいろな商品の中から選ぶというだけでなく、限られた商品量だから多くの人が一度に見ることもできない)も難しくなる。
また、商品が売れれば補充が間に合わない、あるいは売上以前に売場の維持・管理で行き詰まる可能性もあるだろう。

総合スーパーの変遷を改めて考えると、商圏のライフステージ変化のサイクルが大きく影響していることは明らかである。
総合スーパーが急成長した1970~80年代、70年の日本人の平均年齢は31歳、団塊の世代を中心にしたニューファミリーが消費を牽引しながら台頭してきた時代である。
結婚、子供の誕生、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、就職...と、子供の成長に合わせて必要な「物」は3~5年サイクルで変化する。それに合わせてさまざまな商品の買い替えが起こるから、総合スーパーも大きく成長できた。「物」の需要が旺盛な時代である。
現在、日本の平均年齢は46歳を超える。子供が成長し、独立した後に残る高齢夫婦のライフステージは大きく変わることはなく、改めて必要になる「物」も限られる。
また、住関連商品の需要は入学、卒業、入社、転勤など、転居を伴うような転入/転出に伴って発生するから、高齢化した商圏では住関連商品の需要も限定的なものになる。
さらに、商品購入チャネルの多様化によって、限られた商圏内で営業する総合スーパーの役割は大幅に限定される。
商品だけを見れば、食品や日用品のウエイトが高まったということになるのかも知れないが、視点を変えてみると、現品販売商品と注文後の配達、引き取りでよい商品のうち、現品販売商品のウエイトが高まったと言うことができるだろう。
そう考えれば、せっかく食品などの現品販売商品や日常的に必要なサービスを充実させたのだから、通信販売で十分対応可能な紳士・婦人衣料などを現品販売しようとはせずに、サテライト店舗のような形で端末を使って注文できる通信販売にしてしまえば、建物全体としては新しい総合スーパーの形、あり方がハッキリ打ち出せたのではないだろうか。
通信販売で幅広い品揃えの中から選んでも十分成り立つ商品まで、狭い売場に現品を押し込み、十分に商品管理できない売場環境の中で扱うことは、誰が考えてもムリがある。
現品が必要な商品中心に品揃えし、銀行などのサービスもすぐその場で必要になるサービス中心にして、急がないモノについてはデジタル技術を使って窓口・手続きだけと割り切れば、ずいぶんと売場もスッキリする。
そう割り切ってしまえば、紳士・婦人などのファッション衣料を如何にストレスなく通信販売するのか、というマン・マシンインターフェイスの技術・ノウハウの問題に絞ることができる。まさに現在のデジタル技術、AIの得意とする分野だろう。うまくデジタル技術を応用すれば、昔の西友能見台店ではないが、それ自体が話題となり、販促ツールとしても有効に働くことが考えられる。
この点が改善できれば、オペレーション、商品ロスによる売上・利益・坪効率などの改善余地も大いに見込めるから、総合スーパー再生の道程もある程度は見えるようになるかもしれない。
一つ問題があるとすれば、約16000㎡の売場で、どれだけの売上を実現するかだろう。数多くのテナントを入れているから、建物としての損益分岐点は確実に下がっている。あとは、物販、特に現品販売よりは通信販売のような売場面積、商品在庫と関係のない売上をどれだけ稼げるかによって決まる。まさに、総合スーパー再生の道程が見えるか否かの重要なポイントといえるだろう。