昔、日本の小売業もいずれアメリカのようになると言われてきたが...⁉ 

◆日本の小売業もいずれアメリカのようになる…?
チェーンストアが日本に導入され、急成長を始めたころから、いつも言われ続けてきたことは「いずれ日本の小売業もアメリカのようになる」だった。多くの小売業者がアメリカ視察に訪れ、その結果、様々な業態のチェーンストアが生まれて現在のような小売業の形が形成された。
しかし、なぜか、そのようなことを言い続けてきた人達も最近は何も発言しなくなっている。
もし、いまでも当時と同様にアメリカ小売業が日本より何年も先行し、そこに将来の日本の小売業の姿を投影して見ることができるのであれば、日本の小売業は近い将来、かなりの確率で大変な事態に遭遇することになるだろう。
ここ最近、アメリカから聞こえてくる小売業関連のニュースは、我々も聞いたことがあるような企業の破産申し立てや大量の店舗閉鎖、そしてAmazon Dash Button、Amazon Go、Amazon Echoなど、アマゾンを軸にしたデジタル技術活用の新しい販売方法の話題ばかりである。
ショッピングモールは、いずれ現在の半分弱から3分の二にまで減少するだろうと予測するアナリストの話やショッピングセンターの多くでは2025年までに飲食スペースの占める割合が8%から20%まで増えるだろうというような話もあるから、明らかに実店舗における物販のウエイトが低下し続けると予測されている。
アマゾンがホールフーズを買収したというニュースが伝わった際には、アメリカ小売業の株価はクローガー9.2%、 スーパーバリュー14.4%、ウォルマート・ストアーズ4.7%、ターゲット、ウォルグリーン・ブーツ・アライアンス、コストコ・ホールセールは5~7%下落した。一方、ホールフーズの株価は29.1%上昇というからAmazonの影響力を市場がどのように評価しているのかが分かる。
日本では無関心なのか、それとも日本は大丈夫と考えているのか、いまのところ小売業の株価は全く反応を見せていない。
仮にアメリカ小売業が日本の小売業の先行指標という見方が正しいのであれば、いずれ日本も現在のようなEC(電子商取引)の影響を大きく受けるなどといった生易しいものではない状況に陥るだろう。衣食住余のあらゆる商品・サービス、EC/実店舗、物流網、IoT、AIなど、日常生活に関わるあらゆるモノ・コトの構造を根底から変えてしまうような革命的な変化が起こると考えてよいだろう。
旧態依然とした経営の実店舗チェーンストアはどこかに吹き飛んでしまうかもしれない。しかも、このような流れは政府も主導する第4次産業革命の流れに沿ったものである。好むと好まざるとにかかわらず、この流れに乗るしかないのだろう。

小売業を取り巻く我国の環境はアメリカのそれよりはるかに厳しい状況にある。
例えば、アメリカは移民を中心に人口が増加し続けているのに対し、日本は急激な高齢化と人口減少(地方主要都市1つ分の人口に相当する年間30万人減少)に直面している。2016年の出生数は100万人を割り込み、今後減ることはあっても増える見込みはない。一方、死亡数は130万人であり、ピーク時には160万人に上るとされている。
その結果、1980年にアメリカ(2.27億人)の約半分(1.17億人)だった日本の人口は、2016年にはピークアウトしてアメリカが3.23憶人と大きく増加しているのに対し、1.27億人と減少し始めている。今後その差は拡大する一方と推計されている。
また、1980年にアメリカ(286百億ドル)の約4割(110百億ドル)だった日本のGDP(名目、ドルベース)は、1995年の約7割(アメリカ766百億ドル:日本545百億ドル)をピークに2016年にはアメリカ(1860百億ドル)の4分の一(494百億ドル)という状況にある。
人口もGDPも伸び続けるアメリカに対し、日本は国全体がシュリンクしており、小売業でも伸びているのは、実店舗からシェアを奪って急成長するECと他業態からシェアを奪って成長する一部の業態のみである。
近い将来、日本の小売業がアメリカと同様な状況に直面するとなれば、事態はアメリカよりもさらに深刻だろう。
そう考えると、現在の延長線上でノンビリ構えているわけにいかないというのが、小売業、特に実店舗中心に事業展開するチェーンストア企業の置かれた状況である。

◆物の充足から状況・状態の改善へ 物中心から自分中心へ
それでは、いったいどうすればよいのか。
以前、「物を買わない若者」をテーマにしたテレビ企画があった。その中で印象的だったのは「物よりも思い出が欲しい。」というインタビューへの答えである。
かつて、物がない時代には「物の充足」=ブランド品など高額品を買い、所有することに重要な意味があった。ある意味、それが自己実現、自己表現という解釈、価値観が支配していた時代ということになる。
現在の自己実現、自己表現の方法は、SNSで「いいね」をたくさんもらうことであるから、物を買い、所有することにはあまり意味を見出していない。
お菓子の国から抜け出してきたようなスイーツに行列ができるのも、その店に行った、そのスイーツを食べた、という経験を写真や動画に撮り、SNSにアップすることで完結する。参加・体験型消費は「物中心」ではなく、「自分中心」である。
一人の場合もあるだろうが、多くの場合は友達と一緒だからある意味プリクラなどと同じで時間の共有、同じ経験をしたということが重要になる。
SNSのアクセス数を増やし、「いいね」をたくさん得ることができれば、多くの人に認められたことになり、(自己)満足できる。
物中心から自分中心に変わったことによって、かつてのブランド品に代わり「盛れる(誇張できる)こと」「多くの人がアッと驚くようなシチュエーション、経験」が重要になる。

すでにバブルからバブル崩壊以降を知る年代には、物をたくさん買い、所有することでは決して豊かにはなれないということを経験的に知る人がたくさんいる。
また、経済産業省がまとめた「百貨店 衣料品販売の低迷について」(2017年2月経済解析室)によれば、『消費者は低価格帯の服を数多く買うようになっており、「被服及び履物」の購入先別割合をみると、「百坂店」が低下する一方、ファストファッションの台頭などにより、「ディスカウントストア・量販専門店」、「スーパー」、「通信販売(インターネット)」などが上昇していることが分かりました。特に世帯主が30歳未満、30歳代の若い世帯は百貨店で洋服をあまり買わなくなっています。』とある。さらにファッションレンタルサービス(シェアリングエコノミー)利用者の7割強がこの年代にに集中していることにも注目している。
商品に対する価値観の変化が購買行動に現れ、その結果、大きなチャネルシフトが起こっていることが分かる。
現在のトレンドから将来の方向を考えれば、単に高いだけの商品を買うよりは、そこそこのモノを「知恵」や「工夫」によって上手く使い、楽しい時間、経験を共有した方がよいというように変わるのだろう。
舞鶴若狭自動車道 西紀SA(下り線)フードコートの「ガチャめし」や大分県別府市の湯〜園地計画のようにアイデア次第で多くの人が集まり、さらにSNSなどで拡散することを考えれば、お金がモノではなくコトに有効に使われていることが分かる。
「ガチャめし」は1回500円でガチャを回し、出たメニュー(最低でも600円相当、運が良ければ2000円相当の料理)を食べられるというもので、何が食べられるかはガチャ次第というゲーム感覚が受けている。
大分県別府市の湯〜園地計画は、YouTubeで100万回再生で計画を実行をうたい、支援総額81,828,088円を集めて実行された遊園地を温泉バージョンに変えた期間限定のイベントである。
ある意味、現実離れしていたり、本当にそんなことやっていいの?というようなコトに人が反応していることが分かる。
難しいのは、これまで「物」を売ることで収益を上げてきた人、そのためのインフラをコトに切り替えて収益を上げる仕組みに変えることができるか否かである。
ガチャめしはその中間ということなのだろうが、ビジネスモデル、頭の切り替えには時間がかかるだろう。

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