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新型コロナウイルスと正常性バイアス(normalcy bias)  ⋆bias 偏見、先入観、思い込み

3.11東日本大震災から月日が経ち、正常性バイアス(normalcy bias)という言葉もほとんど聞くことがなくなった。
正常性バイアスは、災害時に被害を大きくする要因として注目されている人間の意識のことである。
もともと正常性バイアスは、一々些細なことに反応しないようにする心の安全装置の一つとも説明されるが、「まだ大丈夫」「まさかそんなことは起こらないだろう」という気持ち=油断、自分に都合の良い解釈が被害を大きくする。
さらに、そこに多数派(集団)同調バイアス(majority synching bias=迷った時に周囲と同じ行動をとる)が加わり、正常性バイアスと同時に起こると一層被害を大きくすることが指摘されている。(要するに、みんながやっているから自分も…という安易な意思決定の仕方である。責任はどこにもないから、何か起こっても誰も悪くない?という、誠に無責任な、ある意味日本人的な状況といえる。)

そこで新型コロナウイルスへの対応である。
誰も小説や映画に出てくるような、こんな状況が実際に目の前で起こるなどとは思わなかった、あるいは今でも思っていないというのが正直なところだろう。
武漢、イタリア、スペイン、ニューヨークなどの惨状をテレビで見ても、まだ日本で実際にそんなことが起こるはずはないと思っている人がたくさんいるはずである。
悲惨な状況にある海外で実際に働く医師たちの取材・警告ビデオもテレビで流れることが増えているが、それをテレビで見ているのは自宅にいる人ばかりだから、関係ないと思っている人たちにその情報はおそらく届いていない。
どんな場合でも言えることだが、大多数の人と外れて行動している人たちは、情報のルートや量、質も異なる。情報が違っていることが認識を違わせているということだろう。

3月の連休の緩みは明らかに政府の間違いといえるが、緊急事態宣言が出ても商店街や潮干狩り、鎌倉などの様子を見れば、多くの人たちが正常性バイアスの真っただ中にいることは確かだろう。
感染し、回復した人たちのインタビューを聞けば、明らかに事態を軽く見ていた、ナメていた、反省しているといった何とも言えない気持ちが伝わってくる。
分からないから、可能な限り、想定できる以上に注意を払うのか、分からないから仕方ない、その時はその時と安易に考えていつも通り行動するのか、その違いは大きい。
ただし、新型コロナウイルスに関しては「分からない」のではなく、もう海外の様子などから多くのことが分かっている。
分からない人たちは、その情報を知らないか、あるいは正常性バイアスの中にいるかのどちらかである。ただし、その人たちはいずれ自分が加害者になる可能性があるということまでは認識していない。(都会を離れ、地方に疎開するという人たちも同じである)
自分の勝手で感染した人と必死になって医療現場で働いてが感染した人が、どちらも同じに扱われることは不公平だし、許せないという批判もある。
物事の道理、道義上の問題である。
今一度、状況を冷静に見直す必要があるだろう。

働き方改革 ???

新型コロナウィルスの影響からテレワークが注目されている。働き方改革が注目されていたこともあり、これを機会に一気に仕事のやり方が大きく変わるのではという期待もある。ただし、専門家の見方は一時的な避難で終わるのではと、なかなか厳しい。
もともと働き方改革なるものが政府の肝いりでスタートしたこと自体に無理がある。
仕事の仕組み、やり方そのものが変わっていない現状を無視して残業をなくし、休みを取れというから、現場の混乱、聞こえてくる悲鳴は多い。
残業がダメなら家に持ち帰ってやるしかない。有休をとるといって家に持ち帰って仕事をやれば残業代が減る。単なる労働強化でしかないから現場への皺寄せは計り知れない。ブラックな状態が水面下に潜って固定化されればサービス残業よりもひどい状況が起こる。
そもそも仕事といってもルーチン業務から個別対応まである。機械的な処理が可能な定型業務・手続きから、個々の状況に応じて検討し、いろいろと調整しながらつくり上げなければならない仕事まで様々である。
また、同じ部署、同じ名前の業務をやっていても、人によって考え方、優先順位、仕事の手順・やり方が違うから、同じ課題に取り組んでいても結果に行き着くまでのプロセス、工数、アウトプットのレベル・精度などは違う。
自分でコントロールできる仕事もあれば、相手次第でコントロール不能な仕事もある。
もっとも重要な点を無視して、枠組みだけを提示してどうにかしろというのは、いかにもお役所的発想である。
テレビで専門家が「日本の商習慣」の問題を指摘していたが、そればかりでなく、それまで個々人がやりたいようにしかやってこなかった=言い換えれば、まったく標準化されることなく、個人の好き嫌い、得手不得手、慣習などに任されて放任、放置されてきた業務プロセス、やり方、手法などに全く手を付けないまま、枠組みだけをどうにか取り繕うことには、根本的に無理がある。
さらにPCが当たり前の時代になって完全に個々人の業務の手順、進め方、意思決定の仕方がブラックボックス化している状況を考えれば、業務の定義=目的・アウトプット・精度など、業務処理の論理から始まる一連のプロセスを整理しなければ働き方改革なるものの実現は難しい。
そもそも「業務とは何か」という最も基本的な定義が整理できていないケースは多い。
ゴール(目標・方針・アウトプット・精度など)が明確になっていないケースやプロセス・手法などが明確になっていないケースでは個々人の志向、能力、スキルレベルなどに応じてあらゆるモノ・コトがバラけてしまう。
もともと業務自体は目的に対して手段が体系的に位置づけられ、それらが組織に対して割りつけられるという形で体系化されるべきものである。
個々の手続きは、目標に対して情報収集、分析、総合(検討)、評価(基準)、決定(判定基準)、文書化というプロセスを経る。
身近な例が、ある目的に対する情報収集やデータ分析だろう。目的に応じてどんな情報、どんなデータが必要で、それらはどこから入手するか、…などは、たとえ定型的な業務であっても、経験や能力によって変わってしまう。
Excelによるデータ分析一つとっても、どんなデータを用い、どんな加工をして、どんな見方をすれば、状況がよく分かるのか、データ分析に関する経験やスキルレベルで結果は大きく変わる。しかも同じアウトプットを出すのにExcelの処理方法は複数あるから、スキルが高い人と低い人では時間や手間に上下何十倍もの大きな差ができた上に結果や精度にまで影響してくる。スキルレベルの違いが大きく影響する。
分析ばかりでなく、企画の立案などクリエイティブな仕事についてもまったく同様であり、引き出しの多さ、システム的な思考の違いは如何ともしがたい。
特にモジュール化(ブロック玩具のように個々の要素を標準化し、それらを組み合わせることで様々な形をつくり上げる)を前提とする場合と、ゼロから全てをつくり上げるのでは手間、時間の違いは桁違いである。

多くの業務がブラックボックス化している現状を考えると、働き方改革とはいってみても、個々人の仕事のやり方、判断の仕方まで踏み込んで整理することがないまま枠組みに無理やりはめ込んでつじつまを合わせてしまうことになる。
業務コンサルの現場では、使用するフォーマット(使用する情報やデータを指定)や使用データ、処理手続き、見方・検討の仕方など一連の意思決定プロセスに関係する手順と手続きを整理する。
実態の把握をするために、現状使っているフォーマットを集め、手続きの仕方を確認することもあるが、組織内で行われている重複(多くの人が同じ情報収集やデータ分析を重複してやっている)や無意味な手続きを確認する。
多くの場合、個々の業務を現状分析し、改善するよりは、モデルとなる業務システムを当てはめて全てをモデルに合わせてもらうところからスタートした方が明らかに早い。
処理手続きを標準的なものに限定し、そこでのデータ処理にはExcelなどの標準フォーマット(いわゆる計算図表)を設定して配布する。そうすることで使用するデータも標準化でき、ほとんどの処理作業がコピペで済むことになる。
イレギュラーについては、別枠で対応し、必要に応じて標準的なシステムを修正してそれを標準モデルとすればよい。
とりあえず、標準的なこと以外はやらないようにすれば、すべてが単純化できるし、データ処理もExcelなどの標準フォーマットへのデータのコピペで結果を導くことができる。データの読み方もマニュアル化すれば、個々に考えて判断する必要がなくなるから短時間で済み、精度も安定する。
実は個々に教育をするよりは、全員に標準的な仕組みを踏襲させるようにした方が全体のレベルを上げるのに早いだけでなく、一度に多くの人を一定レベルにまで引き上げる教育効果もある。
本質は業務システムに関する設計思想であり、個々の能力、特性を生かそうとするのであれば、いかに無駄な作業を省いて簡素化するかである。もちろん、情報システムのレベル、精度も重要であるが、それも業務全体に対する設計思想で決まる。
人の能力や機械の性能が企業の財産であることを考えれば、それらを生かすも殺すも設計思想次第である。
働き方改革をきっかけにいま一度根本から見直すことも必要だろう。

クラスター?

クラスターという言葉が今年の流行語大賞にノミネートされそうな感じであるが、業界によって、その意味はずいぶんと違っている。
一般に理工系の人間であれば、クラスターと言えばクラスター分析となるだろう。
もともと集団とか群といった意味であるが、クラスター分析では似た特性のグループに分けて統計処理をするし、筆者はクラシフィケーションという言葉で商品特性による分類概念をマネジメントや商品構成に使っている。
そこで一つの疑問が残る。
実は特性の異なる大きな集団はそのままで状況をとらえるよりは、特性の似たものを集めていくつかのグループに分け、それぞれのグループの特性に合わせて対処した方が効率が良い。
ある意味、マネジメントの基本だが、それ以前に科学的方法の鉄則、キホンのキともいえる方法である。
もう何十年も学生には一番初めの授業で教えているが、「科学とは、現実の全体、或いはその特殊な領域、または諸側面に対する系統的認識 (広辞苑)」とある。言い換えると「 事実を正しく知る 」 「 事実の相互関係から仕組や法則性を見出す 」ということになる。
具体的には、たくさんあるものから似たものを集めてグループ化し、グループに共通する特性(仕組みや法則性)を見出してモデル化する、というのが科学的な方法の手順である。

なぜ、いまこんな話をするかというと、新型コロナウイルスへの対応で大阪方式なるものが注目されている。
単純に言えば、救急対応と同じで、はじめの段階で症状の重さや緊急性で層別(グループ分け)し、重症患者に対して必要となるベッドや医療整備を優先して確保しようということである。
ある意味、マネジメントの基本であるし、メーカーの工場などで生産管理や工程管理、品質管理をやっていれば当たり前に行われていることである。
それを前提に考えれば、医療の現場、このようなリスクマネジメントの現場ではマネジメントや科学的方法の最も基本となる原理原則が認識されていないことになる。
東日本大震災の時の原発事故ではじめて分かった原発設備の予備電源もそうであったが、科学的なマネジメントの世界では信じられないようなことが平気で行われている。
予備電源が同じ建屋の中になかったということが指摘されていたが、そんなことが問題ではなく、電気が使えなくなった時の冷却に同じ電気という原理で対応していたことに驚きを覚えたのである。あの時は結局電気がどうこうなったとしても通電できなかったということか後になって分かったが、おそらくチョットでも科学的なマネジメントをかじった人間であれば、冷却という目的に対して、電気という原理が使えなくなった場合の予備は別の原理を考えるはずである。例えば水であったり、化学反応で低温を実現するような全く異なる原理である。
リスクマネジメントという以前の段階で、科学的ではないし、マネジメントの基本からも大きく外れている。
恐ろしいのは、科学者と名のつく人たちが専門分野ばかりやっていて、マネジメントの基本については全くの無知であることだろう。政治家や官僚も同様なのかもしれない。

新型コロナウイルスに関する広報などについても、様々に指摘されているように日本に不利な情報ばかりが海外に報道され、イメージが定着している。
一度出来上がってしまったマイナスイメージを払しょくすることが如何に難しいかということが理解できていれば、どのような広報活動をすればよいかは自ずとわかるはずである。
いろいろな面でマネジメントの重要性が問われるべきだろう。

リスクマネジメント…?????

世の中、大変なことになっているが、こんな時にも「リスクマネジメント」という言葉が全く聞こえてこない。
ネットで調べるとリスクマネジメントと名の付く学界や協会もあるが、こんな時にもマスコミでは名前が聞かれないのは残念である。
何十年も前から団体や任意の資格をつくるなど動きはあったようだが、ネットを調べて出てくるのは、高額の通信研修の勧誘など怪しげな話ばかりである。

 本来、このような時にこそリスクマネジメントの本領発揮だと思うのだが、あまりにも範囲が広すぎて専門家が足りないのか、あるいは日本という国ではリスクマネジメントという概念に対して意識が弱いのか、枝葉末節の話ばかりで全体としてどのような思想、手法でプロジェクトマネジメントを行うのかという議論が見えてこない。
 元大阪府知事橋下徹氏が、自身の経験を踏まえて、このような状況が見えない場合は取り合えず最悪の場合を想定して多少大きく押さえておき、後になって状況が見えてきたら修正すればよいと言っていたが、医療ばかりでなく、外交、経済など総合的にマップを書いてバランスを見ながらシナリオづくりをしていくような手法が見えてこない。
 国会もへ理屈ばかりで危機的状況とは思えないやり取りに終始しているから、いつまで経っても実効が上がる結論が出せないでいる
 そもそもこんな非常時に根拠を示せ、説明しろということが平気で言えるセンスは国を滅ぼしかねない。「2番じゃダメですか!」はこんな緊急時にも発揮されてしまった。
 いまさら、後手後手に回っている、根拠を示せといっても何の解決にもならず、むしろ対応する動きを停止させ、すべてが前に進めずに状況を悪化させるばかりである。
 緊急時に的確な指示のもとに動けない現場は困るし、イライラするどころか諦めの境地にある。
 現状を見れば公衆衛生と医療現場の基準の違いが混乱を引き起こしている。オリンピックや外交、強いては経済などとは異なる価値観が支配するからいつまで経っても全体像が見えてこない。
 盛んに指摘されているように海外に対するアピール不足も相対的に状況を悪化させている。全て揃ってワンセットという理解がないのは致命的である。

 いずれにせよ、リスクマネジメントという概念が机上論だけで終わっていては、本当の危機的状況には対処できない。
 実務レベルでの体系的な具体論と技術者などからなる実行組織、そして何よりもこのような事態に際して全体を統括し、マネージできるプロフェッショナルな頭脳集団が必要である。
 大きな組織はいらない。必要なことは専門家に聞けばよいから個々の詳細な専門知識も不要である。
 本当の意味で必要なのは、様々な情報を総合的にまとめ上げて、全体としてのリスクやチャンスなど様々な可能性を整理してシナリオをつくり上げることができるプロフェッショナルな頭脳集団である。
 時間との勝負で重要なことは、時系列で個々の要素を把握、それらを総合し、様々な可能性、チャンスとリスクを想定したシナリオを時間軸に基づいて作成することである。
 意思決定者に分かりやすい資料を作成して提示し、説明、助言など、意思決定のサポートをすることも重要な仕事である。それとともに現場が的確に動けるためのマネジメントも必要になる。
 ある意味、表に立つ役者を動かすのは、裏で真剣勝負をする黒子であるが、それがバラバラ、あるいは不在であれば、意思決定者は専門ではない個々の情報、意見に振り回され、結論を出さなければならなくなる。
 典型的な例が意思決定、実行の遅れだし、400億円ともいわれるマスクだろう。

 現状を考えると、今の政府、官僚組織では緊急時には何事も意思決定できないし、実行できないことがよく分かる。それに加えて野党が机上論で足を引っ張るからさらに状況は悪化する。
 いまさら縦割り組織を嘆いてみても意味がない。
 そうであれば、政府に対して、全体像といろいろな可能性を基にしたシナリオを提示し、選択肢を提言できるプロフェッショナルな頭脳集団、政府が意思決定できるように状況を整理して的確に助言できるプロフェッショナルな頭脳集団を設置する必要である。
 平和ボケは怖い。   2020年3月5日

売上を上げるのは簡単!難しくせずに売上を上げよう!-1

◆売上を上げるのは簡単!難しくせずに売上を上げよう!
どんな企業でも売上と粗利率を上げることには苦労している。特に客数の落ち込みは売上に大きく影響するから、多少客単価を上げてカバーしたとしても、継続することは難しい。同様に、売上が減少しているからといって粗利率を上げようとしても簡単ではない。52週で売上と粗利率の関係を見ると分かるが、基本的に売上の高い週は粗利率が高く、売上の低い週は粗利率が低いといった傾向がハッキリと見てとれる。
もちろん、売価還元法であれば仕入れ次第で粗利率は変動するし、チラシや値下げの仕方によっても変動するから、それらイレギュラーを除外した時の話である。
このようなトレンドを考えれば、基本的にプロパー中心に売上を上げれば自然と粗利率は上がる。
机上の計算だけで客数が落ちたから客単価を上げる、売上が落ちたから粗利率を上げるというのは簡単だが、実際の売場にある法則性を見れば、そう簡単にはいかない。
時としては、現場を無視した空論が混乱を招くこともある。というか多いのかもしれない。
そんな状況にあれば、いろいろと考えすぎてしまうから、かえってモノ・コトを難しくして分からなくしてしまう。
多くのケースで、結果に結びついているのは簡単なことを徹底した時であり、決して複雑で難しいことではない。
◆無駄な商品をカットして、必要な商品のフェイスを広げよう
食品スーパーなど、日常的な商品を扱う業態で、なぜかアイテム数が増える傾向が見られる。
理屈は単純で、アイテム数が多いことが品揃えが良いという勘違い、アイテム数が少ないと競合他社に負けるという不安心理(科学的ではない) がほとんどである。
しかし、考えてみればアイテム数と品揃えの良さの間に必ずしも相関関係はない。同様に、売上との間にも相関関係があるとは言えない。
売上と直結しているのは商品構成と売場での表現であり、商品構成は品揃えする個々の商品を全体としてバランスさせることであるし、売場表現は商品の特性=お客の買い方(商品の売れ方)に見合った的確な陳列ができるか否かで決まる。
価格が重要な商品をディスプレーしてもしょうがないし、イメージで買う商品に大きな価格訴求POPを付けて山積みすればイメージはだいなしになる。同様に必要な時にしか買わない商品を日替わりやタイムサービスに使ってもお客の反応は鈍いだろう。
問題は、必要な商品、欲しい商品がリーズナブルな価格(消費者が買いたい、買ってもよいと考えている納得価格)で置いてあるか否かであるし、商品の特性(お客の買い方)に応じた売り方ができているか否かである。

もう一つは、買いやすさである。
勘違いをしている人は、食品スーパーのポジションがよく分かっていない。
食品、特に調味料などは特定のものを使い続ける傾向が強い。言い換えれば、品揃えの良さはアイテム数の多さではなく、自分が使い続けている、自分にとって重要な銘柄の商品が価格を含めて買いやすい状態で売っているか否かである。
アイテム数が多いと自ずとフェイス数、最大陳列量が減り、欠品の機会が増える。店側は補充頻度が増え、お客は探しにくくなるから、誰にとっても良いことはない。
そもそも商品にはいろいろなタイプがあるのに、そのタイプ分けも明確にできていないから、どんな商品でも同じに扱ってしまう。
常備し、定期的に買う商品/その都度必要になった時に買う商品、代替えが利かずその商品(銘柄)でなければだめな商品/他の商品でも代替えが利く商品、いつも同じ銘柄を買う指名度の高い商品/いろいろな銘柄を試して同じ商品はあまり買わない商品、お客が基準とする一定範囲の価格でないと買わない商品/価格に関係なく必要に応じて買う商品、いろいろな商品から選びたい商品/買うのが特定商品に決まっている商品、….等々。
言い出したらキリがないほど、商品には様々なタイプがあり、それぞれの特性に応じて売れ方=消費者の買い方は大きく変わる。
そんなこともわからずに何でも商品をたくさん集めればよいというのは、昔、ホームセンターが自嘲の念を込めて「品集め」と言っていたのとまったく同じである。
他の業態でのことだから学習効果はないのかもしれないが、小売業界全体として考えれば無駄が多い。
とりあえず、商品の売れ方=買い方の特性を理解して、その特性に応じた対応をすれば、無駄な品集めを止めて必要な商品に集中することができる。
「競合店には並びますよ」というメーカー営業の悪魔のささやきにも簡単には耳を貸さないことである。
メーカーにとっては納品=売上であるが、小売りにとっては納品=在庫の増加であって、必ずしもそれで売上が上がるかどうかは分からない。
新たに入れる商品が売上にプラスに働けばよいが、既存商品にとって代わるだけならその商品が売れる代わりに他の既存商品の売上が落ちる。
アイテムが増えた分だけ在庫が増えるから商品回転率は落ちる。棚割を作り、バイヤーが自らその棚割を崩すことにもなる。
小売店頭における商品構成、売場づくり、売上や粗利率、商品回転率、そして個々の商品の特性=お客の買い方、…など、基本的な関係さえ理解していれば無駄なことをやらなくても自ずと売上は上がる。売上が上がれば粗利率も上がるからこんなに良いことはない。
何事も原理原則、物事の道理に従って単純であることが一番である。

ワークマンの講演を聞いて分かったこと

1月29日マーケティング・テクノロジーフェアで㈱ワークマン 専務取締役 土屋哲雄氏の講演を聞いてきた。
注目される企業だけに、アチコチにいろいろな解説が増えているが、ある意味、当事者が説明している内容が最も分かりやすい。
限られた時間であったが、考え方や取り組んでいる内容について具体的に説明されていた。
細かなことを省いてシンプルに考えると、大きく2つのことがポイントになるのだろう。
一つは、商品は値下げしないで売り切る。
すべてが定番商品であれば、継続するからロットは大きく、値下げロスも出ないから粗利率も高い。多くのマスコミが商品の品質・機能・性能と売価に注目しているが、重要なのは値下げしないで粗利を確保する仕組み、要するに「定番」を頑なに守り、崩さないことだろう。あとは商品回転率だけであるが、これはやり方次第でどうにでもなる。
そのためには定番づくり、商品作りが真剣になる必要がある。1アイテム、1SKUでいくら売るか、いくら稼ぐかである。MDの鉄則である。

これは、昔バイヤーをやっていた頃からの鉄則であり、コンサルでアパレル商品部を指導する際の鉄則でもある。(タイプにもよるが…)
アチコチの商品に目移りし、スポット買いでアソート投入を繰り返していてはロスばかり増えて粗利の確保ができない。商品づくりにも集中できないからレベルの低い商品が増える。バイヤーも店も忙しいだけで何もいいことはない。

もう一つは、チラシを入れないことである。
定番とは別にチラシ商品を投入すれば、売場はスポット的に投入した商品の残でゴミの山になる。
商品の出し入れ、残の処理に明け暮れれば作業量は増え、売場も荒れて生産性が落ちる。
誰が考えてもわかることだが、フェイシングをキチンとしていても、住所を持たない商品が次から次へと投入されれば確実にフェイスは乱れる。
バイヤーがフェイシングを組み、自ら乱していく最も愚かな行為である。
多くの企業で見られる現象であるが、誰も直そうとはしない。
定番づくりをキチンとし、チラシを入れなくても、業績が上がればマスコミがこぞって取り上げてくれる。
金額に直せば、ものすごい額に相当する効果である。こんな上手いプロモーションはない。
ワークマンの凄さというか、賢さである。

小売業を複雑で難しいものにしてしまった責任がどこにあるかわからないが(多分マスコミと机上論や昔の経験をベースにしたのコンサルタント?)、シンプルに原理原則を守り抜いて業績を上げる企業が現れたことはよいことである。
複雑で難しいことが優れているのではなく、シンプルであることが最良であるという理解が進むことを望んでいる。
だれか早く「王様は裸だ」と声を上げるべきである。

香川県がネット・ゲーム規制条例案…?????

香川県がネット・ゲーム規制条例案を公表したと話題になっている。賛成、反対、いろいろな意見があるが、面白いのは、議論をすればするほど、認識、価値観のズレが明らかになっていくことである。
テレビを見ていたら、ゲームなどをやる時間を守れない子ほど学力が低い傾向にあるというグラフを示して、だからゲームをやると子供の学力が下がるというような議論をしていた。
誰が見ても議論のすり替えであることは明らかだが、脳学者 茂木健一郎が、はじめにゲームは悪いことだという前提があるだけではなく、「そもそも学力とは何かという解釈、定義そのものが違う(違うというよりば現状を考えれば、そのような価値観は時代錯誤、全くズレている)」というような発言をしていた。

まさにアナログ・ネイティブとデジタル・ネイティブの価値観の違いのような気がする。
昔は髪の毛を伸ばしただけでも不良と言われた時代があったし、エレキギターを抱えてロックをやっていれば不良という時代もあった。
どこかシルバーー・デモクラシーとも通じる部分があるが、一つ分かることは、次の世代をイメージし、デザインできない人達が、古い概念、価値観、思い込みだけでモノ・コトを(現状を維持する方向で)決めていくことのリスクが増しているということだろう。
ブラック校則(拘束)も話題になっているが、今の時代に….と驚かされるばかりである。
様々な世の中の変化が分からない(情報に触れる機会がない)人達が、将来の可能性の芽を摘んでしまわないうちに、どこかに保護する仕組みをつくっていかないと大変なことになる。
ただでさえ、人口減少、高齢化で大きなリスクを抱えている国なのに、政治ばかりでなく、将来を担うはずの教育までもが前に進むことを妨げているのでは、この国はいったいどうなってしまうのだろうか、と心配になる。
将来の責任をとれない人たちが旧態依然とした常識、価値観で正論(と思い込んでいる)を振り回すことの危険性を認識する必要がある。

ソニーのAIBOを使ったプラットフォームをつくろう‼

■ソニーのAIBOを使ったプラットフォームをつくろう‼
一時期完全に撤退し、組織も解散したソニーのAIBOが再びバージョンアップして発売されたが、その後日談がほとんど聞かれなくなっている。
現在、ソニーのaiboストアでペットというポジションで売られているが、こんな重要な資産を生かすことができないソニーはいったい何なのかと疑問に思うし、腹立たしくも思えてくる。
以前から、ことあるごとに書いているが、現在は、aiboがブレークするのに非常に適した時代と言ってもよいだろう。
簡単に状況を整理すると次のようになる。
⓵AI、ロボット技術、センサー技術、通信技術などデジタル技術が非常に発達している。
⓶現在はAIスピーカーなど無機質なインテリア的な機械だけであるが、それに姿形を持たせたスマートハウスのホームコントローラーは必ずニーズが高まってくる。
⓷5Gの時代には全てのモノがつながると言っているが、具体的に何をどうつなげるのかを考えると、日常生活の中ではある程度限られる。
⓸aiboをペット兼ホームコントローラーと考えると、大きさ的にも大きいことがデメリットどころかメリットにさえなり、しかも動けることは大きなメリットになる。喋る、会話することができたら、さらに良いだろう。
⓹高齢者(特に女性の75歳以上)を中心に一人暮らし世帯が増え、また共稼ぎ世帯も増えるから、従来にない動ける複合機能、マルチタスクのロボットは大いに役に立つ。
特にペットとしての癒し機能、各種センサーによるセキュリティ、安全安心機能、ネット通販や外部とのコミュニケーションを図る通信端末機能、ホームコントローラー機能、映像や音楽などの機能、…など様々な機能が一つに集約されることのメリットは大きい。
⓺動物愛護法の改正により、ペットの終生飼育が義務付けられたことで、高齢者がペットを飼うことが難しくなっている。ホームコントローラーなどマルチタスクを果たすばかりでなく、ペットとしての癒し効果に見守り機能、その他日常生活に必要な買い物(ネット通販)や通信など一通りの機能を果たすことができれば、非常に有効な端末・ネットワークということになる。

ぜひとも実現して欲しいテーマである。

生産性を上げるには粗利率を相乗積で見てみよう。いかに無駄が多いかわかる。

人手不足が深刻化している。生産年齢人口が減少し、なかなか採用が進まないというのが実情である。
ロボットなどIT、デジタル技術の活用で対応しようとする流れもあるが、それだけではとても間に合わない。
基本は、負荷と能力の関係である。
負荷は売場の作業量、能力は売場の人間の処理能力(質×量)である。
現状を見ると、負荷を減らす努力をせずに、働き方改革なるものを強引に推し進めようとするから、そこに大きな矛盾が生じる。
結果的に必要なことでもやらずに済ますか、家に仕事を持ち帰る、記録に残せないというような目に見えない残業、労働強化が社会構造として進んでいく。

売場を見てわかることは、アイテム数が非常に増えていることである。大きな理由として考えられることは、メーカーが棚確保のためにアイテム数を増やしていることである。1SKU(絶対単品)で済むものをフレイバーなどを増やして5SKUにすれば、自ずとフェイスは広がり、初回の納品数、納品金額も増える。
一方、売場の作業は取り扱うアイテム数(SKU数)に比例することが確認されているから、無駄にアイテム数(SKU数)を増やせば、発注、補充など直接商品に関係する作業量は確実に増える。売上分析、在庫管理など管理機業務も複雑になるから、その分業務は複雑になり、作業量も増える。
しかも、商品構成を様々に分析して分かることは、取り扱いアイテム数(SKU数)と売上の間に明確な相関関係は認められず、アイテム数(SKU数を増やすことに明確な根拠があるとは思えはない。
総合スーパー、食品スーパー、ドラッグストア、ホームセンターなど、様々な業態で実際に分析してみれば分かるが、重要なことはアイテム数(SKU数ではなく、商品構成のバランスであり、数多くの類似アイテムが集中した場合などには意味のない在庫が売場に溢れ、かえって売場の生産性を落とすことにつながってしまう。
お客にとっても、日常的に高頻度で使う商品を、たくさんの、しかも類似した商品の中から選ぶことに買い物の楽しさを覚えるとは思えず、むしろストレスと言ってもよいだろう。
これらの状況を簡単に知ることができるのは、売上数量、売上金額、粗利率などをABC分析や商品構成マトリックス(C-Cマトリックス、C-Pマトリックスなど)で見直してみることである。
これらの分析を行ってみれば、いかに無駄に扱っている商品が多いのか、一目で確認することができる。
食品スーパーのパンやグロサリーなどアイテム数の多いものを見ると、上位10%位のアイテムで粗利率の5-8割を稼いでおり、特に重要になるのは、上位の5-10アイテムである。
一方、ロスリーダーになる5-10アイテムの商品がマイナスに大きく働くから、そのアイテムが全体の粗利率を大きく引き下げる働きをしていることが分かる。
言い換えれば、上位10アイテム、下位10アイテムさえ管理していれば十分粗利率はコントロールでき、その間にある非常に多くのアイテムは粗利を構成する上ではあまり重要な働きをしていないことになる。メーカーが次々に発売する新商品に踊らされ、むきになってたくさんのアイテムを扱う必要はない。
キーを握る上位、下位のアイテムが特定できれば、あとはそれらを中心にして全体のバランスがとれるように商品構成を組めばよい。
商品構成のバランスを考えるにはクラシフィケーション(商品特性)に基づいたC-Cマトリックス(商品特性同士)、C-Pマトリックス(商品特性と価格)を用いればよい。
重要なことは、売上を作る商品、粗利率を確保する商品、売りたい商品を引き立てるための無理に売らなくてもよい商品、見せて専門性や店としての特徴、イメージを打ち出すための商品など、商品それぞれの役割を明確にしてバランスよく組み合わせることである。
アイテム数を減らしてバランスを整えれば、作業量は減り、売上も粗利も上げることができる。
科学的に取り組めば、売上を上げることも、粗利を上げることも決して難しくはない。

さらに、これらのことを売場で具体的に表現することも重要である。
アイテム数が多くなれば、個々の商品のフェイス数(最大陳列量)も必然的に少なくなるから、売場で視認しにくいばかりでなく、売場在庫が少ないために発注、補充、前出しなど様々な管理業務が大幅に増え、欠品もしやすくなる。

売場の作り方なおける優先順位が明らかに違っている。
限られたスペースを効果的に使うには、優先順位の高い商品に優先的に必要なスペースを与え、残りの余ったスペースで他の商品を置くようにするべきである。
売上、粗利に大きく貢献する商品に十分なフェイス数、スペース与えれば、自ずと残るスペースは限られるからアイテム数は減る。そこにどんな商品を並べるかが商品構成上重要なノウハウになる。
目指すのは、限られたスペースの生産性を限られた人時で最大限に高めることである。
横並び意識で、競合店が扱っているからという単純な理由だけで商品を取り込み、売場を作っていれば、どの店も同じレベルから抜け出すことはできない。
重要なことは、知恵を使うことであり、科学的な思考と技術を使いこなすことである。
生産性を高めることが長年の課題であり続けることに疑問を持つ必要がある。(実現しないからいつまでたっても目標が変わらない)
やるべきことをきちんとやれば、生産性は確実に上がる。
売上を上げることも粗利を上げることも、科学的に取り組めば決して難しくはない。

2019国際ロボット展に行ってきた。前進はしてるけど、でもチョッと残念⁉

12月18日、2019国際ロボット展に行ってきた。
目的は毎回同じで、次のステージをリードするような新しい思想の発見である。
別項でも書いているように、産業用ロボットはセンサー、アタッチメント、動作の精度が高まれば、様々なことができるようになる。
特に柔らかなものや、様々な形状のものが取り扱えることは非常に重要である。
今回も物流、加工・組み立ての分野で、様々な形状のもの、様々な素材・硬さのものを、しかも混在していてもAIを使って上手く扱えるような機械が数多く出品されていた。
特にECで大きく膨らんだ物流センターの自動化には大いに役立つことだろう。

ただし、筆者の主目的はいささか違っている。
ロボットがAIとつながって動きの精度が高まってくれば、人間とは異なるロボット特有の精度やスピード、動き方ができるはずである。
そこで加工・組み立て作業などの対象となる製品の問題が出てくる。
もともと製品は人間が加工・組み立てしやすいような形でパーツ・ユニットが作られ、接合方法、加工・組み立て工程も人間の身体、動きに合わせたものになっている。
従来、ロボットの動きも人間のそれを忠実に守って自動化するように設計されてきた。
理由は製品設計、構造、加工組み立て工程が基本的に人間のそれを基準とし、人間の代わりとして機械化・自動化・ロボット化が行われてきたからである。
そこで大きな疑問である。
人間とロボットと比べてロボットの方がセンサー、動作などが速く正確でしかも自由であれば、人間とは全く異なる加工・組み立ての仕方が可能なはずである。
そう考えれば、従来の人間を前提にした製品設計とは異なるロボットの性能を前提とした製品設計が出てきてもいいのではないかという疑問である。
このことが知りたくて展示会に足を運ぶがなかなか答えは見つからない。
ロボットによる製造と目的物である製品と人間による製造と製品の関係とは異なるのではないかという疑問はなかなか相手にしてもらえない。
チョッと残念。

もう一つ、技術オリエンテッド、シーズ発想が強いために残念なことがいくつかあった。
例えば、物流センターでお菓子など様々な形状の商品を店舗ごとにピッキングするデモンストレーションがいくつか見られたが、ロボットというハード面ばかりが強調され、検品や店頭での品出しといった後工程と結びつけるシステム面が空白になっていたことである。(機械の差はなかなか見えづらいが、システム面で差を出せば誰から見てもわかりやすい)
40年も昔のイトーヨーカ堂では、1枚の納品伝票に一つの中分類とし、納品伝票と商品が入る段ボール箱を一致するようにして納品させていた。
理由は、検品のしやすさはもちろんだが、特に店頭での品出しに際して、中分類でまとめることで、アチコチの通路の商品が同じ段ボール箱に入ることを避け、移動せずに品出しができるようにという配慮である。
(学)産業能率大学に移って以降もコンサルティングで大手企業の状況を見ているが、40年経った今でもこのような仕組みができていない企業は多い。

また、別のブースではカキの養殖に使うホタテの貝殻に穴をあける機械を紹介していたが、ごつい機械が周囲を囲うフードを大きな音を立てて揺らしながら動いていた。
非常に多くの貝殻を物凄いスピードで処理をするためにこのような形になると言っていたが、はなはだ疑問である。
左右に早い動きを繰り返しているのは、クルマでいえば急発進と急停車を繰り返していることになり、物凄いエネルギーのロスが生じる。
しかも1サイクルで1つしか処理できないからものすごいスピードでこの動作を繰り返す。ゴツく丈夫な機械が必要になる。
単純に考えれば、動きを直線の往復運動ではなく、曲線にすれば速い速度で動いてもエネルギーロスは少なくて済む。
アタッチメントも1つではなく、円盤状の形に複数のアタッチメントを取り付けて回転しながら貝殻を処理するようにすれば1サイクルでの処理数、時間、エネルギーのすべてが少なくて済む。
どこか、モノづくりの本質である設計思想、モノ・コトの原理原則を忘れているように感じてしまう。

いくつかのブースで話をさせてもらったが、とにかくクライアントの要求に対応するのが一番、とにかく言われたことを忠実に守ることが自分たちの使命といったニュアンスの答えしか聞けなかった。
ロボットは日本の得意技である分野だとは思うが、何かどこかが違っているように思えてならない。
ロボットという機械を作ることにおいてもそうであるが、全体の仕組みの中でどう生かすのかという「全体」の絵が上手く描けていないと、ただ精度の高い機械というだけで終わってしまうような気がする。
世界を相手に進化していくには大事なものが不足しているように感じるが、業界としてはどう対応するのだろうか?