新型コロナウイルスと正常性バイアス(normalcy bias)  ⋆bias 偏見、先入観、思い込み

3.11東日本大震災から月日が経ち、正常性バイアス(normalcy bias)という言葉もほとんど聞くことがなくなった。
正常性バイアスは、災害時に被害を大きくする要因として注目されている人間の意識のことである。
もともと正常性バイアスは、一々些細なことに反応しないようにする心の安全装置の一つとも説明されるが、「まだ大丈夫」「まさかそんなことは起こらないだろう」という気持ち=油断、自分に都合の良い解釈が被害を大きくする。
さらに、そこに多数派(集団)同調バイアス(majority synching bias=迷った時に周囲と同じ行動をとる)が加わり、正常性バイアスと同時に起こると一層被害を大きくすることが指摘されている。(要するに、みんながやっているから自分も…という安易な意思決定の仕方である。責任はどこにもないから、何か起こっても誰も悪くない?という、誠に無責任な、ある意味日本人的な状況といえる。)

そこで新型コロナウイルスへの対応である。
誰も小説や映画に出てくるような、こんな状況が実際に目の前で起こるなどとは思わなかった、あるいは今でも思っていないというのが正直なところだろう。
武漢、イタリア、スペイン、ニューヨークなどの惨状をテレビで見ても、まだ日本で実際にそんなことが起こるはずはないと思っている人がたくさんいるはずである。
悲惨な状況にある海外で実際に働く医師たちの取材・警告ビデオもテレビで流れることが増えているが、それをテレビで見ているのは自宅にいる人ばかりだから、関係ないと思っている人たちにその情報はおそらく届いていない。
どんな場合でも言えることだが、大多数の人と外れて行動している人たちは、情報のルートや量、質も異なる。情報が違っていることが認識を違わせているということだろう。

3月の連休の緩みは明らかに政府の間違いといえるが、緊急事態宣言が出ても商店街や潮干狩り、鎌倉などの様子を見れば、多くの人たちが正常性バイアスの真っただ中にいることは確かだろう。
感染し、回復した人たちのインタビューを聞けば、明らかに事態を軽く見ていた、ナメていた、反省しているといった何とも言えない気持ちが伝わってくる。
分からないから、可能な限り、想定できる以上に注意を払うのか、分からないから仕方ない、その時はその時と安易に考えていつも通り行動するのか、その違いは大きい。
ただし、新型コロナウイルスに関しては「分からない」のではなく、もう海外の様子などから多くのことが分かっている。
分からない人たちは、その情報を知らないか、あるいは正常性バイアスの中にいるかのどちらかである。ただし、その人たちはいずれ自分が加害者になる可能性があるということまでは認識していない。(都会を離れ、地方に疎開するという人たちも同じである)
自分の勝手で感染した人と必死になって医療現場で働いてが感染した人が、どちらも同じに扱われることは不公平だし、許せないという批判もある。
物事の道理、道義上の問題である。
今一度、状況を冷静に見直す必要があるだろう。

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