消去法から考える地方企業の生き残り方

◆地方企業の課題
中小零細規模の地方企業が、限られた原材料、限られた設備、限られた人材(発想・アイデア)で商品開発しようとすると、類似する素材を用いて、似たような加工をした、似たような商品がアチコチの産地で生まれてしまう。現在の規模であれば損益分岐点が低いため、現状のままでも十分事業が成り立つかもしれないが、このような状況を長く続けていては将来的な展望が描けない。つまり、事業としての発展、成長は難しいと考えられる。
強くなるには、コア技術を確立し、生産性を高めて規模を拡大する必要があるだろう。

◆いかに生産性を高めるか
生産性を高めるには、IE、QC、VE、デジタルなど様々な管理技術が必要になるが、それと同時にある程度の規模拡大が必要になる。それなりに資本も大きくないと投資がしたくても対応できないし、状況を安定させることも難しくなる。
一つの選択肢として水平、垂直統合が有効だが、「地域」にこだわれば、よほど大きなシェアを持つ産地でないと水平統合は難しいから、どうしても選択肢は垂直統合に限られる。
ところが多少大きな企業が加わっても垂直統合では原材料供給、生産能力、販売能力など、いずれかの段階の能力に制約されてしまう(最も規模が小さいボトルネック)。
ここをクリアしない限り、垂直統合は上手く機能しないから、規模を拡大して生産性を高めることは難しくなる。多くの地方が行き詰まる構造的問題である。

◆地方を超えて水平統合する 業種を超えて機能統合する
ある意味、グローバル化を前提として考えた場合、規模を拡大することができれば、素材の生産、商品開発、製造、販売などを統合して効率化を図るとともに強化することも可能になる。
そのためには、①地域を超えた水平展開が有効だろう。類似する素材を持つ産地が国内で競合するよりは、共同して素材の生産、商品開発、製造、販売などがパワーアップすれば対外的な競争力は明らかに増す。知識、技術、経験、ノウハウ、人材など、様々な点で、国内で競合し合うよりも協力・分担し合う方が有効である。
また、②多品種少量生産で機能別工程が有効であることを考えれば、地域内で素材別に細かく分かれている企業を機能別に集約することも一つの方法として考える必要がある。
機能別工程は、素材の生産、製造、商品企画・開発、販売促進、販売、物流など、従来の業種別に細かく分かれていたものを機能別にまとめ直すことで、人材・知識・技術・経験・ノウハウ・設備など相乗効果を得ることができる。部分的にでも大量を実現できれば生産性を高めるも可能になる。
どんな業種でも全てを機能別にまとめればよいというわけではないが、少なくとも小規模のままバラバラに運営するよりは、部分的にでもまとめていく方が、メリットがあると考えてよいだろう。

これまでがどうであったかということにこだわるのではなく、これからを考えた時に、どのようにしたらより生産性を高め、競争力を高めて発展できるかを考えるべきである。
「地方」には様々な可能性のある「シーズ(種)」が埋もれている。重要なことは、その活かし方が理解されていない、あるいは活かす方向、方法が明確になっていないことである。
もう一度、基本となる前提から見直してみることも必要だろう。

いまのまま義務教育を続けて大丈夫???

最近、AIの進化に関連して、現在の教育の仕方、仕組みなどを危惧する記述が目立ってきた。先日も『現在の仕組み・価値基準で「勉強ができる子」「偏差値の高い子」は真っ先にAIに取って代わられる』という記事を目にしたが、まさに的を射た指摘だと思う。
小学校6年、中学3年、高校3年の12年間をどう過ごすかは子供たちに選択することができない。中学の内申点が高校受験に影響すれば、その枠組みの中でよい成績を得るために塾に通い、模試を受ける。高校に入ってからも大学受験という訳の分からない関門を突破するためだけに時間、エネルギー、資金を費やすから、それ以外に目を向ける余裕はない。
よく考えてみれば、そこでやっていることのほぼ全てがインターネット上にあり、検索すれば瞬時に手に入る。しかも無料である。
例えば、123456789×123456789= と式を入れて検索すれば、電卓がなくても1.52415788 × 1016  と答えが示される。答えは簡単に手に入るから、問題はそれをやる意味である。単にテストの点数を取るためだけであればwebから瞬時に得られるもので評価することには疑問が残る。
そればかりか、123456789という数値にまつわる様々な発見、うんちくなどまで一回の検索で得られるから、この式の計算をするよりも、一つの疑問をWeb検索し、その周辺にある様々な情報が得らることの方が余程視野が広がるし、ためになる。
情報、知識がWeb上にたくさんあり、その気になればいくらでも無料で得ることができる時代に、「勉強」と称して知識を詰め込むことにどれだけの意味があるのだろうか。そもそも「勉強しろ」と言いながら「勉強とは何か」を明確に伝えない、「なぜ、勉強が必要か」を伝えないのでは、「疑問を持つ」「考える」ということせずに機械的に言われたことだけやるという人間を育ててしまう。しかも、それで入れる学校が決まり、就職や人生まで決まってしまうという古い価値観でいたら、今度はAIに置き換わってしまうかもしれない。将来、どう変化するか分からない時代に、こんなことを続けて、誰が、どう責任を取るというのだろうか。
iPhoneが発売されて昨年2017年でやっと10年目である。言い換えればスマートフォンが大きく普及しだしてからまだ10年も経っていないことになる。しかし、スマートフォンの普及は、わずか10年足らずの間に様々な分野で大きな変化を引き起こしている。
特に大きな変化は、一人一人が特定/不特定多数を問わず、世界中の多くの人や情報と双方向でコミュニケーションをとれるネットワークにリアルタイムでアクセスできるようになったことである。しかもSNSは、米大統領選の結果を左右するような影響、そして突然のピコ太郎の出現、..というように短時間のうちに現実の世界を変えてしまうほどの影響力を持っている。
そのSNSもFacebookの設立が2004年(日本語化2008年)、YouTube2005年、Twitter2006年であるから、スマホと共に急激に普及し、我々の日常生活を大きく変えてしまったことになる。
そう考えると、義務教育の9年間(あるいは高校までの12年間)という時間が、現状、如何に大きな意味を持つか分かるだろう。
過去の時間の流れにこだわらず、将来のためにその時間と費用を費やした方がはるかに有効と考える人が出てきてもおかしくはない。
デジタル技術の進化は我々の想像をはるかに超えており、9年間(あるいは高校までの12年間)もの長い時間、寄り道をしてから取り組むには、あまりにも膨大すぎるし、何よりも頭の構造がついていけなくなってしまう。確実に浦島太郎になってしまう。
かつて中学で音楽の試験問題に作曲家の亡くなった年を書けというのがあった。こんなものを覚えて点数をとることにどんな意味があるのか、問題を作った教師に聞いてみたい。
かつて鎌倉幕府がどんな意味を持つのか分からなくても「いい国作ろう鎌倉幕府」と覚えさえすれば点数をとれていたが、いまでは1192年から1185年へと変わっている。
源頼朝の肖像画は、実は別人だったという話や聖徳太子は実在しなかったのでは?という話まで出てくると、結構いい加減なものが基準になって、それで人生が変わってしまった人がいたかもしれないと思えてくる。
「教育を神聖なもの」と言いくるめて村社会の中に閉じ込めてしまう時代はすでに終わっている。社会、経済の構造が大きく変わった今、教育の意味も手法も求められるものも変わっている。実社会を知らない人が子供に教えることに無理があるのかもしれないし、決められた枠内だけで実態とかけ離れたことを記憶させることにも意味がなくなっているのだろう。
一つしかない物差しで型にはめ、機械的に評価をするために大切な時間を使うのではなく、個々の持てる能力(脳力)、可能性を引き出すことに重点を置いた時間に切り替えることをしないと、将来が危ぶまれる。
すでに多くのモノ・コトが変わっているにも拘らず、そのことが認識できず、大きすぎる仕組み、重たすぎるインフラを維持することばかり考えて動いているのでは、将来を犠牲にするだけである。

 

 

ICT・デジタル・AI・ロボットなど情報系の総合大学・総合機関をつくろう‼

芝浦工業大学で非常勤講師として教えだして今年で25年である。
大学で教えるには、普遍的なことはもちろん重要だとしても、それを進化にどうつなげていくのか明確になっていないと足踏みをしてしまう。

筆者が学んだのは工業経営という学科であり、様々な学問分野を横断的に活用するのでインターディシプリナリーと表現されていた。同様にサービス工学の分野でも様々な分野の専門知識が必要なために、こちらはマルチディシプリナリーという言葉で表現されている。そう考えると、現在のICT、デジタル分野でもそのような更に多くの専門分野を横断的に結びつけるような分野が確立される必要があるだろう。
現在、疑問に思うのは、これだデジタルの進化が速く、次世代の中心を成し、様々な分野に広がっているにもかかわらず、ICT・デジタル・AI・ロボットなど情報系に特化した総合大学・総合機関がないことである。単に大学というのではなく、小学、中学、高校、大学、大学院、研究機関、ベンチャー企業など、人材育成から実践的な応用まで、一貫してあらゆる要素を網羅する複合的な機関でないと意味がない。今のような義務教育を9年間続けた後に、いきなり新しい発想、思考を要求しても対応は難しい。その間趣味や塾など個人的な活動に委ねていたのでダイヤモンドの原石を発見することは難しい。はじめから視野を広げるような環境で育てていく必要がある。身近にある日常そのものが変わらなければ何事も本質から帰ることはできない。世界の動きを見れば、今の日本にこのような機関がないこと自体が不思議と言ってもよい。急激に人口、特に子供が減少していくことを考えれば、無駄な議論をしている余裕はない。トヨタやソフトバンクのような企業数社が財団をつくってこのような機関をつくらないと難しいのかも知れないが、いずれにせよ早急に具体化しないと人材が間に合わなくなる。
HMR(human resource management)の発想が必要だろう。

シンギュラリティ? 急激に進化するデジタル技術、増え続ける情報量、AI時代に人はどう対処する⁉

だいぶ前になるが、「情報爆発」という言葉が言われていたことがある。その時代が情報爆発だったのであれば、いまは情報ビッグバンとでも言えばいいのだろうか。
Susieというサイトに掲載された「これから10年の間に大注目される!驚くほど近未来な11の職業」という記事の中に8:ニューロインプラント技師という職業がある。
脳研究のテクノロジーは大きく進歩し、頭のなかで考えていることをコンピューターにダウンロードできる時代になると脳のバックアップエンジニアやリアルタイムMRスキャナーの技師などが活躍するのではないかという近未来的な話である。
脳を研究してAIに応用し、そのうち脳とコンピュータが一体化するような話である。
この記事のように「頭の中で考えていることをダウンロードする」のも重要だろうが、ここまで情報量が増えてくると、「膨大な情報量を頭の中に入れて処理するインプットの方法とプロセス」を革命的に変更しないと頭の中に情報を入れるのに時間がかかり過ぎてどうにもならないない。
頭の中で考えていることをダウンロードするのもよいが、それよりも頭の中で情報を処理して考えるには外界にある膨大な情報を頭の中に入れ、認識させる(ダウンロード?)上手い方法を見つけ出す必要がある。
将棋電王戦の様子を詳細に追いかけたテレビ番組を見たが、すでにモニターを見ながらコンピュータとの戦い方をシミュレーションしていたのでは、経験できる=頭の中に入ってくる情報量が少なすぎて、いくら時間があっても人間の持つ24時間365日では対応できない。

残念なことに、現在我々が目や耳からインプットできる情報の形は文字、図表、音、画像、動画などでしかない。音も動画も情報量の割にはインプットするのに時間がかかり、現在のデジタルのレベルとはあまりにも掛け離れている。デジタルファイルをダウンロードするのとは単位時間当たりの情報量が桁違いである。
そうであれば、どこかの段階で文字、図表、音、画像、動画などを超える「膨大な情報量を瞬時に人間の頭の中に入れる新たな方式・仕組み」が必要になる。
一つは、文字、図表、音、画像、動画などに代わる情報の方式・形式(記号化)であり、もう一つは頭の中に認識させる(インプット)方法・仕組みである。
これができない限り、AIがどんどん進化しても、その先を開発する人間が何処かで限界を迎えてしまう。
以前、一生のうち、脳は100%有効に使われることがなく、多くの部分が未使用のままであるというような話を聞いたことがある。その未使用部分を目覚めさせて全く異なる進化をするのか(サバン症候群やアスペルガー症候群がヒント?)、PCのメモリーとCPUのようなものを脳に補助具としてつけるのかは分からないが、いずれにせよ、そのようなことが研究され、具体的になる必要があることだけは確かだろう。

教育の仕方も知識優先ではなく、頭の使い方=思考方法に切り替えていかないと、本来持っている能力を目覚めさせないまま封じ込めてしまう。
将棋電王戦を見てわかったことは、人間はコンピュータと違って「怖がる」「迷う」「自信を無くす」「後悔する」ことで本来の能力が発揮できなくなるという点である。このような感情は、実に「人間らしい」ことなのだが、人間にとっては、それらの要素を残しながらも能力を十分発揮できるような方法を見出す必要があるのだろう。

 

 

 

 

 

 

人口が減る都市、減らない都市を見分けて対処しよう‼

◆7月13日、住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数(平成28年1月1日現在)が公表された。それによれば東京23区内には約920万人が暮らす。東京都は社会増ばかりか自然増も加わり、この1年間で118千人も人口が増えている。先回の国勢調査では5年間で東京都35.4万人、うち23区32.7万人増えているから、このペースで2020年東京オリンピックを迎えれば、次の国勢調査までに東京都だけで60万人以上の人口が増えてもおかしくはない。 平成27年国勢調査 人口速報集計結果では、この5年間に全国で94.7万人減少しているにもかかわらず、東京圏(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県)では、その5年間に鳥取県の人口(57.4万人)に匹敵する人口(50. 8万人)が増加している。 東京臨海副都心など超高層マンション(集計上、一つの目安として20階以上 株式会社不動産経済研究所)が建設されると平均して一棟当たり300~500戸、50階以上の超超高層マンションになると、一棟当たり800~1000戸もの規模になる。 首都圏だけで2015年~2019年までに178棟、77,824戸の完成が予定されており、うち東京オリンピックへ向けて50階以上の超超高層マンションだけでも西新宿、勝どき、晴海などに14棟、13000戸も計画されている(分譲済み含む)。 単純に世帯人員が2人とすれば、一棟につき1000~2000人の人口が増えることになり、何棟かできれば町や村と同規模の住民が新たに加わることになる。  また、都内には千葉県、埼玉県、神奈川県などから毎日300万人弱が通勤通学で通ってくる。さらに国内外からのビジネス客、観光客も多いから山手線の29駅(JR、私鉄、地下鉄など)の中には東京駅、品川駅、秋葉原駅、新宿駅、渋谷駅、池袋駅など1日の乗降客数・乗り換え客数が100万人を超える駅がいくつもある。1つの駅だけでも毎日1つの県の人口が行き来しているようなものであり、山手線29駅(JR、私鉄、地下鉄など)を合計すれば延べ2100万人と四国・九州を合わせた人口にも匹敵する。 マンションばかりでなく、超超高層オフィスビルの増加によって、周辺エリアから通勤で通う人も急激に増加し、しかも局所的に人が集中する。昼夜人口比率が極端に高まるエリアでは、新たに様々な人が集まることで多様なニーズによるマーケットの急拡大が起こる。 一方、全体で約100万人減っているのに東京圏は50万人増えているということはそれ以外の多くの道府県で150万人の人が減少していることになる。人口が増えているのは、平成27年国勢調査では8都県ということになっているが、住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数(平成28年1月1日現在)では、滋賀県がマイナスに転じているから、人口が増加しているのは、東京圏1都3県と福岡県、愛知県、沖縄県の7都県の実である。 ただし、「日本の地域別将来推計人口 —平成22(2010)~52(2040)年— 平成25年(2013年)3月推計」の値と平成27年(2015年)国勢調査 人口速報集計結果を比較してみると、人口の減り方が推計値よりも小さくなっている道府県は多く、増加すると推計されている県の増え方も推計値より大きくなっている傾向にある。 これらを整理したのが 図表1 都道府県別 平成27年国勢調査と日本の地域別将来推計人口(2013年3月推計) 2015年人口の差 である。
グラフでは、右上(2010年~2015年までの5年間で人口が増え、なおかつ2015年実績値は「日本の地域別将来推計人口(平成25(2013)年3月 推計)国立社会保障・人口問題研究所」推計値より多い)、右下(2010年~2015年までの5年間で人口が増えているが、2015年の実績値は同推計値よりも少ない)、左上(2010年~2015年までの5年間で人口が減少したが、2015年実績値は同推計値よりも多い)、左下(2010年~2015年までの5年間で人口が減少し、なおかつ2015年の実績値が同推計値よりも少ない)という4つのエリアに分けて、都道府県の状況を整理してある。
★東京都ははるか右上に位置し、値が大きいためにグラフのメモリの関係でカットしてある。(5年間の人口増加354,317人、推計値との差164,281人)
詳細はまた機会を改めて詳細に説明するが、それぞれの都道府県について市区町村のポジションを同様にグラフ化してみても、人口集中が局所的に起こっていることが分かる。

◆「日本の地域別将来推計人口 —平成22(2010)~52(2040)年— 平成25年(2013年)3月推計」から見る人口が減少する都市と増加する都市の見極め方
平成27年国勢調査 人口速報集計結果では、平成27年10月1日現在の人口は1億2711万人(平成22年比▲94.7万人)、市町村単位では、1,719のうち実に8割以上(1,416、82.4%)の市町村で人口が減少し、5%以上減少した市町村も48.2%と半数近くにのぼる。うち10%以上減少も227(13.2%)ある(いずれも平成22年比)から、日本全体としては、人口が増える市区町村は珍しい存在ということになる。
一般的に考えれば、人口規模の大きい都市が周辺の中小規模の都市から人口を吸収するから人口減少の仕方は少なく、規模が小さければ小さいほど減少の仕方が大きいと考えがちである。
しかし、「日本の地域別将来推計人口 —平成22(2010)~52(2040)年— 平成25年(2013年)3月推計」について、将来の人口増減に影響を与えると思われる要素をいろいろと分析してみたところ、人口規模が大きい市区町村でも大幅に人口が減少するところがある一方、人口1万人規模の市区町村でも人口が将来増えると推計されているところがあることが分かった。
キーを握っているのは図表2 2015年65歳以上人口率で層別した8パターンの状況図表3 2015年65歳以上人口率別 2015年総人口と2025年総人口指数 からも分かるように、現在の65歳以上人口率である。
以前にも3万人、5万人、7万人、10万人、15万人、20万人、25万人、30万人と8つの規模の都市の中から2040年の総人口指数(2010年=100)が100超(人口が増える)と60~70(人口減少幅が大きい)の都市をランダムに選んで比較してみたことがあるが、都市の規模からでは人口減少について明確な法則を見出すことはできなかった。
それに対し、65歳以上人口率が18.0%以下(12.4-18.0% 23都市)、20.0%(19.5-20.4% 31都市)、25.0%(24.5-25.4% 90都市)、30.0%(29.5-30.4% 90都市)、35.0%(34.5-35.4% 77都市)、40.0%(39.5-40.4% 40都市)、45.0%(45.4-45.4% 23都市)、50.0%(50.1-60.9% 17都市)というほぼ値が一定範囲内にある8パターン、391都市について調べてみると、
図表3のような散布図になった。
横軸に総人口指数(2010年=100)、縦軸に総人口(人)をとって、散布図を作成してみる。仮に人口規模が大きい方が人口の減り方が小さい、あるいは増加し、人口規模が小さい市区町村の方が減少の仕方が大きいとなると、各市区町村は左下から右上に向かって正比例するように並ぶはずである。
しかし、実際には総人口指数が同じであっても、縦に長くばらついてプロットされている(特に65歳以上人口率が20-25%で縦に長い)。人口規模が大きく違っても総人口率が同じということが見て取れる。また、例えば50,000~100,000人規模の市区町村というように同規模の市区町村(横に見る)を見ると総人口指数は80-120くらいというように大きくばらついているから、人口の減り方は人口規模とほとんど関係していないことが分かる。
要するに65歳以上人口率が将来の人口の減り方に大きく影響していると考えてよいということになる。
ただし、ここで見ているのは、2015年に対して2025年がどういう状況にあるかというあくまでも10年後までの予測である。その先にどんな状況が待っているかをさらに進めてシミュレーションすれば、現在65歳以上人口率が低い市区町村は、人口は減らないが将来は急激に高齢者が増え、その後一定数値に収束する。一方、現在65歳以上人口率が高い市区町村は、人口は減るが高齢者は大きく増えることはなく、ほぼ一定の年齢構成に収束して人口が減少していく。
サイクルが20年くらいずれていると見てもよいだろう。

◆人口が減少する都市と減らない都市を見極めてどうするのか?
全ての市区町村について、ほぼ人口の減り方について見極めをすることはできると考えてよいだろう。問題は、見極めたうえでどうするのかという対応の仕方である。
多くのチェーンストアがドミナントを形成しているからある地域の人口が急激に減少したり、あるいは急激に高齢化したりすれば、ドミナント全体が立ちいかなくなる。それは単一地域でも複数の県にまたがっていても同じである。
団塊の世代が約500万人おり、2020年には70歳を超え、すぐに健康寿命を超えるから、状況の大きな変化は一気にやってくる。
「茹でガエル」の話のようにならないようにするためには、すでに動き出していないと間に合わない。「経営」が試されていると考えるべきである。