いまの教育で育った子は10年後大丈夫か?

 現在の小学校6年、中学3年、高校3年の12年間、その後の大学4年で何を得ようとしているのか、実際には何が得られるのか、いま一度冷静になって見直す必要があるだろう。
 たまたま見た12月18日放送のTBS「中居正広のキンスマスペシャル」で東京海洋大学名誉博士のさかなクンの特集をやっていた。
 魚が好きで他の勉強をやらないさかなクンにとことん好きなことをやらせたのはお母さん、それに対し、学校の先生はお母さんにどうにかすべきと注意をしたという。要するにいまのままで特殊なままいくのか、それとも当り前の平均的な生き方をとるのかという選択を迫ったことになる。
 結果論ではあるが、さかなクンはお母さんがバリアになったから現在があるが、そうでなければ一つの個性が開花せずに消えていたかもしれない。
 現在の状況を考えると、教師は一人の人生を大きく変えるだけの影響力を持つ。満遍なく基礎をつくってから、その上に応用を...という発想で、なんでも積み重ねていくのがいまの教育の基本である。しかし、そのつもりでやっていても、結果的に何も残らずに、ただ意味なく年だけを重ねてしまうことの方が多いのではないだろうか。形骸化した時代遅れの制度の中で、古臭い、過去の遺物のような正論、アルベキ論だけで運用していたのでは、これからの時代に潜在的能力を開花させるのことは難しい。
 いじめについても同番組で触れていたが、何か夢中になるものを持っている人間には、いじめなどムダなことに時間を割いているヒマはない。ネガティブな足の引っ張り合いはヒマの産物、夢中になるものを持たない子が、やりたくないことを強要されるストレスのハケ口として生み出しているのではないだろうか。
 「奇跡のレッスン(NHK)」を見ても分かるが、プロのコーチがたった1週間、中学生を教えただけで、彼らは見違えるほど自信を深め、まさに「化ける」と言ってよい変化を遂げる。「教育の目的とは何なのか」改めて考え直し、早期に修正しなければ、多くの可能性の芽を埋もれた潰してしまうだろう。
 現在はデジタル化して進化のスピードが信じられないくらい早い。大昔に出来上がった制度をベースに社会経験のない浦島太郎のような人達が教えているのでは、せっかくの才能も開花できずに終わってしまう可能性が高い。
 一芸入試があるのであれば、一芸教育、一芸卒業まで徹底してやるべきである。
 いろいろな世界を見てみると、応用から入った人の方が返って基本にこだわっていることが多い。応用から入ると、基本に時間を割いていられないから、本当に必要なことだけを正確に抑える。ムダがなく本質をきちんと抑えるから、ダラダラやるよりよほど速く精度も高い。
 1年、あるいは数か月でできることに12年もの時間をかけて、挙句の果てに中身が空っぽでは、次の時代を生きる子供たちがかわいそうである。年齢に関係なく早いうちから才能を開花することができれば確実に違う人生を歩むことができる。その可能性を奪ってしまうのはあまりにも無責任である。
 さんざんゆとり教育をやってきて、やはりあれは間違いだったから制度を元へ戻すというのではゆとり教育で育ったいわゆる「ゆとり世代」はただのモルモットだったことになる。
 いま中学1年生が10年後には大学を卒業して社会に出る。その時に果たして社会で通用するだけのベースを身につけることができるのだろうか。少なくとも小学生で物事に対する基本的な取り組み姿勢=興味を持ち、観察し、試し、思考するという習慣、素養を身につけていないと、その後の非常に大切な年齢を無為に過ごすことになる。
 受験が悪い、社会が悪いと他のせいにする人もいるだろうが、古い体制を拒否する選択肢もある。自衛しないと次の世代が大きく苦労することは目に見えている。
 すでに不登校などで現状の体制になじめない子の中から才能を見出して特別な教育をするという新しい試みも始まっているが、まだほんの一部でしかない。
 日本の人口が減り、生まれてくる子供もすぐ100万人を切るところまで来ている。しかもそれぞれの国で教育に関する考え方の違いが大きな差となって現れだしている。いまこそ、どのように子供を育てるのか再考するべきだろう。
 いつまでも「教育」の世界が村社会では進歩できない。一部大学などでは先進的な取り組みが始まっているが、特に幼稚園、小学校、中学校の大切な時期をどうするのか....。空白をつくらない修正が早急に必要である。
 学校=勉強を聖域、特殊な世界にしてしまうのではなく、社会との関係において成り立つようにしないと、ただいたずらにモラトリアムの期間を長く過ごすだけで終わってしまう。卒業してから苦労するのは個も組織も国も皆同じである。
 「奇跡のレッスン(NHK)」のように、プロが教える状況を早急につくる必要があるだろう。
 いまの枠組みを正常と見るのか、それとも異常、狂気とみるのか、ものの見方、考え方はいろいろかも知れない。そうであれば、いろいろな可能性のある選択肢をつくることが必要だろう。
 日経新聞電子版を読んでいたら「ロボットに勝る人材 日本の学校では育ちにくい」ブランドン・ヒル(米ビートラックスCEO)[日経産業新聞2015年12月22日付]という記事が出ていた。人間でしかできない仕事のタイプは「クリエイティブ系の仕事」「リーダーシップ・マネジメント系の仕事」「起業家系の仕事」の3つであるが、今の日本の学校教育には、この3つの仕事をするための能力を育成する内容が欠如しているという。要するに、いまのカリキュラムでは何年かけて教育していても、いずれAIやロボットに置き換わってしまうような能力しか身につかないということである。
 あと10年~20年でなくなる職業(機会に置き換わる)が発表されて注目されているが、10年後に社会に出る子供たちが、その頃にはなくなる職業に向いた教育しか受けていないのではあまりにもかわいそうだろう。そして、やっぱり違っていたから教育を修正するというのでは、「ゆとり教育」と同じことの繰り返しでしかない。しかも「ゆとり教育」から続けて半世紀も間違った教育が行われたのでは、この国はいったいどうなってしまうのだろうかと心配になる。
 少なくとも長い年数と高額な費用をかけて学校に通うのであれば、その後に役に立つような能力を身につけることが重要であるし、それが教育に携わる人達の責務だろう。
 現在は、物凄いスピードで変化している。「無知の知」を教える立場にある人達が、自らの無知を認識できるか否かが子供達の将来、国の将来を左右することになる。
 気が付いた人は自衛すべきだろう。

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