教育、躾の必要性

 いろいろな企業、組織を見ていて感じるのは、企業による組織風土の違い、組織を構成する人達が織りなす特性の違いである。
 我々が外部の人間として関与した時、受け入れられやすいのは、フレンドリーで穏やかな組織である。基本的に躾が行き届いており、穏やかで親しみやすい。物事に対する姿勢はポジティブであり、進化することを楽しめるから、変化することに躊躇はない。当然、成果も早く出るから、モチベーションを含めた全ての面で相乗的に改善していく。
 一方、どこか緊張感が漂い、外部の人間を警戒してピリピリしている組織は、保守的・排他的であり、変化を嫌う。業務の修正・改善も、自分達が否定されていると感じるのか、感情的になりやすく、攻撃的な態度が目立つ。
 「誰々が悪い」、あるいは「○○ができていない」というようなネガティブな発言が多く、批判的で不平不満が多い。多くの人が「自分は悪くない」と思っているから、その分、よそに「悪者」をつくる傾向にある。協調性はなく、それぞれが鎧を着てガードしているからコミュニケーションは図りにくい。インフォーマル組織中心に動くため、公式な決め事も徹底しづらい。異質なものは受け入れず、見えない力によって自然と排除されるから、組織全体がどこかよそよそしい。自浄作用が働かないので、組織は澱み、沈滞化する。
 中には、皆が我関せずといった感じで、自分のこと以外、全く関心を示さないケースもある。組織図はあっても、皆バラバラで実質的に組織とは言えない状況にある。

 言葉としての意味、解釈は様々あると思うが、一般的な解釈として「躾とは社会・集団の規範、規律、礼儀作法などに合った態度・行動がとれるように訓練すること」という説明が妥当だろう。
 人と会ったら挨拶をする、挨拶をする時にはキチンと相手の目を見る、笑顔で挨拶をする、…等々。「決まりだから」「マニュアルにこう書いてあるから」といった表面的、形式的理由によって外部からコントロールされるのとは訳が違う。「責任」「自制」という自らの意識に働きかけることによって、態度、行動レベルは自主的、主体的にコントロールされる。
 一般的な知識教育とは本質的に異なる「躾」の持つ意味、重要性である。多少大袈裟かも知れないが、ある意味では経営者の思想、商売に対する哲学、原点といったものを個々人に求めている、と言ってもよいのかもしれない。 
 物事を発想する上での原点、判断する上での基準が明確になることで、業務上どんなことが起きた場合でも、全てはそこから発想するようになる。
 躾が行き届いた上に知識教育がなされるのと、躾をせずにただ知識だけを教育する違いは大きい。単なる知識だけでは分からない、一般常識、規範、道徳、分別、物事の善し悪し、物事の道理などの要素が加わることで、判断の仕方が大きく変わる。
 組織を構成する各人がお互いに「リスペクト」し合い、フレンドリーに物事に協力して取り組むことができるか否かは、結果に大きく影響する。

 ウィキペディアでは、教育を『教え育てることであり、ある人間を望ましい状態にさせるために、こころとからだの両面に、意図的に働きかけることである。教育を受ける人の知識を増やしたり、技能を身につけさせたり、人間性を養ったりしつつ、その人が持つ能力を引き出そうとすることである。』とし、また訓練は『基本的に、馴れるまで練習させることである。ただの、文字・言葉という形で表現された「知識」を伝えることにとどまる「教授」とは異なり、実際に何かを行わせることで、何かを実際にできるところまで習熟させることである。』としている。
 この定義に従えば、実に多くの組織で本当の意味での教育が行われなくなり、機器の操作、手続き、作業などの訓練だけに終始していることになる (例えば、発注機器の操作手順は教えるが、発注の意味、発注数量算出に関連する要素、発注数量の算出方法などは教えないから、発注業務は発注作業だけで終わる) 。
 特に、ローコストの名のもとにパート・アルバイト比率を高めた際に、売場業務から多くの要素が排除され、教育は訓練へと大きくシフトした。
 しかし、一方では、能力の高いパート社員まで機械的作業に限定してしまい、長い間、本来持てる能力を引き出すことをしなかった。組織だけでなく、個人としても大きな損失である。
 本来、ローコスト=ハイパフォーマンス(成果÷投入資源の比が大きい)のはずであるが、なぜか小売業では、長年成果を無視してコストカットだけがローコストとされてきた。結果的に機械的な手続き、作業、機器の操作だけが現場作業として残り、マネジメント要素までも形骸化してしまった。
 教育における「こころ」「能力を引き出す」というのは、動機づけ、向上心・目的意識、意欲、自主性・主体性などを重視し、機械的に型にはめるのではなく、個性(得意なこと、長所)を重んじて、潜在能力を開花させるというように解釈できる。
 そのように考えると、多くの組織がスタッフの持てる能力の半分も引き出していないように思えてならない。もったいない。

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