カラスの話

 もう、40年以上も前の話である。大学2年の時に行った工場見学で生産管理部長である真鍋さんが次のような話をしてくれた。
 「カラスが泣いて西の空へ飛んでいく」この文章を読んで君たちはどう思うかね?
皆は何を言われているのかよくわからずに黙って聞いていた。真鍋さんは続けて、もし、これが文学部の学生だったら、子が待つ巣に帰るのだろうとか、夕焼けの中をカラスが飛んでいく情景を様々な思いを巡らせながら延々と綴っていくだろう。しかし、君たちは工学部の学生だから、事実を「定性と定量」で整理して話さないといけない。
 カラスは嘴太ガラス1羽、飛んでいる高さは地上から20m、飛んでいる方角は西南西 西22°30‘南、羽ばたきは30回/分、…、という具合である。
 ある意味、この話が筆者の重要な原点となっている。「定性と定量」…定量は物理、あるいは化学など何らかの単位が付いた数値、定性はそれらの数値が何を意味しているかを説明したものである。よく「数値で物事をとらえなさい」というのがこのことである。
 面白いのは、数値で物事をとらえても、本質を理解していないとかえって間違いが大きくなることである。例えば、カラスが飛んでいる高さ20mが高いか低いかと学生に質問すると、それぞれが判断して高いとか低いとか言い始める。しかし、カラスが飛ぶ高さに関する客観的な判断基準を持たずに、それぞれが勝手に判断するのでは、例え20mという高さが事実であり、正確に測定した正しい数値だとしても、そこから先は間違いということになる。客観的な判断基準=根拠なくして、数値を盾に自分の感覚だけで物事を判断、主張するのは本来の姿とは大きくかけ離れている。
 「事実なのか、それとも自分で勝手に判断したことなのか、どちらなのか…」芝浦工大の恩師である津村豊治氏から学生の時に繰り返し何度も教わった重要な視点である。
 たしか「統計でウソをつく法」という本があったが、数字を盾にした主張は意図してやればウソで他人を騙すことになるし、知らずにやれば、信じきっているだけに多くの人を間違った方向に導き、大きな混乱を生じさせることにもなりかねない。
 定性と定量で事実をつかむことは重要であるが、あくまでも事実を把握するまでであって、その先にある判断とはまた別物である。
 このようにして把握した数値もバラバラで見ていると分かりにくいから、それらを関連付け、全体の関係を整理するには「図表化」という手順が有効である。絵を描いて整理すること物事の状況を把握する上で重要な技術である。
 また、「科学」という言葉を広辞苑で引くと、「科学とは、現実の全体、或はその特殊な領域、または諸側面に関する系統的認識」とある。これを「現実=事実を正しく知る」「系統的認識=事実の相互関係から仕組みや法則性を見出す」と言い換えると、事実を正しく知るには定性と定量が必要であり、事実の相互関係から仕組みや法則性を見出すには、図表化したり、グルーピングとモデル化という手順によって類似する特性の要素をまとめることが必要になる。
 類似する特性の要素をまとめるには、分類=クラシフィケーション(Classification)概念が重要になるから、これらの一連の要素が科学的な方法の基本ということになる。
 このようにカラスの話から学べることは多い。
 真理は単純で分かりやすく、しかも普遍的であるが、どうも世の中難しいことが高度であり、単純なことはレベルが低いという勘違いがある。多くの人材を育て、進化をするためにもどうにかしたいものである。
 

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