論理が違うと議論が噛み合わない-2

相撲界の「日馬富士暴力事件」は、いつの間にか「貴乃花問題」に変わってしまった。
一連のプロセスを見ていると、実に日本人らしいと思えてくる。
特にテレビで繰り広げられる様々な解説者、ゲスト、MCの仕切り方を見ていると、どこかコミュニケーションゲームを見ているようで、人間社会の本質を見ているようである。
あるテレビ番組で、子供たち数人にスマホを渡して自由にLineをやらせ、どのように進捗するかを観察するという企画を見たことがある。
テーマがないから、はじめはモジモジしているが、そのうち次第に会話が進むようになる。しかし、ある時、つまらない一言から、場の雰囲気は一変し、言葉も荒れてくる。顔が見えない言葉の世界ということもあるだろうが、チョッとしたニュアンスの違いから、言葉が新たな言葉を生み、感情の世界を突き動かしていく。

全く同様なことが、今回の暴力事件を扱うテレビなどのマスコミ報道、ゲスト、解説者、さらにはそれを見た視聴者のSNSへの投稿などでも起こっている。
まるで状況は子供たちのLineの企画と一緒といってもよいだろう。
ほとんど情報を持たないに等しい人達が、限られた情報、しかも確実に検証されてもいない限られた情報を頼りに自分の意見、感想を口々に言い合い、そのうち、感情的な好き嫌い、自分の判断基準、一般論としてのアルベキ姿によって、いつの間にか「日馬富士暴力事件」が「貴乃花問題」へと変わっていく。
唯一、論理的に状況を整理していたのは、弁護士の八代英輝氏くらいだろう。
加害者と被害者、現場にいた当事者・同寮と現場におらず間接的に事態を知った貴乃花、加害者側、被害者側という前提を置いた上での辞任と降格の意味の違い、…など、判断する上で状況が客観的に見えるように一つ一つ要素に分けて整理していた。
面白いのは、「場」全体が日馬富士の件はどこかに行ってしまい、とにかく貴乃花が悪いといった雰囲気になっているのに、八代英輝氏が状況を一つ一つ整理していくと、なぜ貴乃花が悪いという結論になるのか、皆が分からなくなってしまうことである。おそらく、詭弁、騙されているような気分になるのだろうが、論理と感覚の違いし大きい。
感情的な指摘とは別に、事実はどうかという全体的な構図を整理することの重要性を示していたと言ってもよいだろう。ただし、どれだけの人がそれを感じることができたのかは分からない。
情報量が偏っているからこそ、客観的に全体を整理することが重要だが、何故かそうならないのが一般社会なのかもしれない。

そこで「論理」が重要になる。
客観的事実を道筋に添って積み上げていくことで一つの結論へと導いく。
そういえば、野党が森友問題に夢中になっていた国会で、もう一つ自衛隊や米軍基地周辺の土地が外国資本に買い占められても、それを規制する法律がないということが取り上げられていた。安全保障上、非常に重要であるし、他国では考えられないことだろうが、マスコミもほとんど取り上げていないし、大臣の答弁も検討中という曖昧なものだったように記憶している。
北海道の土地(山だと水源も含まれる?)がどんどん外国資本に買われていることや、何代にも渡る相続によって、所有者が分からない土地が九州の面積ほどもあるという話など国土に関する問題は驚くほどある。将来を考えると重要なテーマはたくさんあるが、なぜか国会もマスコミも優先順位が違うようである。
森友問題が10億円とすれば、国会のコストは1日3億円だというから、森友問題のためにはるかに多くのコストが使われ、しかも喫緊の重要案件がストップしていることになる。国民の税金が、、、といいながら、はるかに大きな税金がムダに使われていることは誰も指摘しない。「世論」「正義」を振りかざされては、それを指摘することも難しいのかもしれないが、一番質が悪い状況に陥っていると言ってよいだろう。

日本が抱える問題は急激な高齢化と人口減少、過疎化を含めた前述のような国土問題、廃炉にしても核のゴミを処理できない原発問題、農業従事者の高齢化や法整備のミスマッチで身動きできない食料問題など、数え上げたらキリがない。
テレビである解説者が言っていたが、北朝鮮=拉致問題、日銀副総裁問題など目の前の課題を無視するのではなく、優先順位を明確にして別のところでやらないと、国際、経済問題など、多くのモノ・コトがガタガタになる。
少なくとも後ろ向きな足の引っ張り合いばかりでなく、現在、分かっている課題への対応をしないと日本の将来は危うい。野党、マスコミも政権を引きずり下すことに血眼になるのなら、最低限、その後のビジョン、その後現状より良くなるということを担保しないと、あまりにも無責任である。
もし、それ無しでやっているのであれば、ただ壊しただけで終わり、また失われた20年が始まるだろう。
東日本大震災の時と同様、大変な思いをするのは国民だから、マスコミも冷静な報道が必要である。東電の責任を追及し、賠償を突き付けた当時の政権は、その賠償が国民の税金から出ることには一切触れていなかった。詭弁ととらえられても不思議はないが、何故かそのことを明確に指摘する声はない。
尖閣の時にも、日本には名前もついていない無人島がたくさんあるということが発覚したが、その後談は全く聞こえてこない。
その場だけ騒いで後は忘れてしまうから、いつまで経っても日本の課題は解決しない。
「正義」を振りかざし、現状を否定するのであれば、その後どのように修正するのかという具体案を明確にする責任がある。一見、正論に見えることが必ずしも現状をよくすることにはならないことは、民主党政権の原発事故後の処理を見ればよく分かる。
スーパーコンビュー開発に対する「二番じゃダメなのですか⁈」という認識のレベルがある意味全てを表しているのかもしれないが、ITの進化=経済的支配が実質的に戦争に変わる意味を持ちだしている現状は一つの判断ミスが将来の日本の姿を大きく変えてしまう。

長年、人口問題を調べているが、人口問題だけではなく、分かれば分かるほど、この国の将来が心配にである。
マスコミのリーク合戦とそれに乗る政治家、さらにそれを垂れ流すマスコミ。フェイクニュースとは思わないが、世論を誘導していることはよく分かる。
少なくとも、週刊誌的な情報をこれでもか、これでもかと垂れ流すのであれば、未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (河合 雅司著 講談社現代新書)ではないが、日本の置かれている状況、課題をきちんと整理し、それに関連するニュースをわかりやすく報道するような前向きな姿勢が必要だろう。

情報過多の時代であるから、情報発信者の責任はそれなりに大きい。受け手としても冷静に論理を組み立てれば、優先順位、選択肢なども客観的に見えてくる。
国民には知恵が求められる。

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