1.目に余る社会的なエラー 常識では考えられないヒューマンエラー、組織的構造的エラーをなくそう
通園バスの閉じ込めという痛ましい事故が相次いだ。その後、いろいろと対策が検討されたが、未だにヒヤリハット事例はなくならない。先日も園児21人を乗せた送迎バスが幼稚園についた際、4歳の男児1人を降ろし忘れて別の送迎ルートに向かい、途中で気付いたという。
添乗スタッフが目視による確認で男児を見逃し、降ろし忘れを防ぐ安全装置はエンジンを切らないと作動しない仕組み、さらに添乗スタッフと迎えた幼稚園の教諭がチェック表で確認する決まりを守らなかったという3つのエラーが重なった。
物理的に様々な装置を設置し、マニュアルなどの決め事やチェックリストなどをいくらつくっても、それだけで100%エラーはなくならないという典型的な事例である。どんな対策をとっても現場で使わない・使えなければ意味がない。
長年、現場で改善を指導してきた経験からすると、どんな装置を設置しても、操作が複雑では現場が混乱する。役に立たない装置は現場ですぐ分かるが、そのような声は上がらない。机上論で一生懸命つくったマニュアル・チェックリストは、厳密であればあるほど手間と時間ばかりがかかる。人手不足の現場実態とかけ離れれば、運用ができない・しないから、エラーを見逃しても問題発見が難しくなる。
「仏つくって魂入れず」、解決を急ぐあまり、問題の本質がどこにあるのか、どのような解決=ゴールを設定するのか、という最も基本的な改善トータルの設計思想、組織全体の共有がないまま手段・方法論だけで運用するのは最悪である。
過去の通園パスの閉じ込め事故、そして今回のようなヒヤリハット事例を見ると「仕組み」「管理」が実に安易に行われていることがわかる。「つい」「うっかり」「たまたま」で多くの園児が危険にさらされ、尊い命が失われている。
多くの人・組織、指導する行政が「施策の実施=手段」ばかりを重視し、「目的・ゴール=エラーの100%排除」から逆算して「結果を保証する」ための手順を怠るとこうなるという典型的な事例である。
かつて製造現場で取り組んだ品質保証の考え方、手順が有効であるが、残念ながらそのような知識・経験・知恵は一般社会にはない存在しない。複雑で難しく、特殊な世界のものであるが、現場実態に合うように分かりやすく翻訳すれば、その考え方・手順だけでも十分効果が期待できる。
ポイントは「単純で簡単」「いつ」「だれが」やっても必ず同じ結果になる仕組みを確立するという「設計思想」「100%エラーを排除するというゴールの設定」「そのための原理原則」を明確にすることである。
事故やヒヤリハット事例の構造を見ると、ある意味、性善説的に一つの手段で全てが解決すると思い込んで取り組んである。そもそも「人は間違える」「イレギュラーは必ず起きる」ということを前提として施策を設定していない。
100%エラーを排除するには、工程ごとに関連する要素を洗い出し、あらゆるエラーの入り込む可能性と排除方法を明確にして対処する必要がある。
今回の事例のように「たまたまエラーが3つ重なった」ことで起きる重大エラーは、各工程の小さなエラー(安易に見過ごしてきた)の可能性(まさかそんなことが起きるはずがない、きちんとやってさえいれば….といった根拠のない安易な思い込み)が放置されてきた結果である。
高度で信頼性が高いとされる99.9999%、いわゆるシックスナインでさえ100万回に1回のエラーが起こるかもしれないと認めている。日本に約10,000ある幼稚園が1台ずつバスを運営し、送り迎えしていれば50日に1件の割合でエラーが起こる確率である。実際にはバスの台数、コースまで加えればはるかに多くのバスが運営されているから、99.9999%などのレベルでは事故が頻発してもおかしくはない。
通園バスのような人命にかかわるケースに求められる100%と99.999999999….%は本質的に違う。しかも現場は人手不足、高度な教育訓練・動機付けもなかなか難しいとなれば、「単純・簡単で分かりやすく」「いつ」「だれが」やっても必ず同じ結果になることが求められる。決め事が人の資質やその場の状況に依存しない、「つい」「うっかり」「たまたま」などの要素が混入しない=完全に排除されることが必要になる。。
「結果を保証する仕組み」はプロセスの管理によってしか生まれない。装置を設置し、マニュアルやチェックリストを作ったらそれで終わりではなく、それらはエラーの100%排除という目的のための一手段、しかもそのほんの入口に過ぎないことを理解すべきである。
2. 「フールプルーフ(バカ除け)」
半世紀以上も前、作業者の手・指を落とす事故が頻繁に起きていたプレス加工の現場では両手でスイッチを押さない限り機械が作動しないような仕組みに変えた。さらに周囲にセンサーを設置し、センサーが反応すれば機械が作動しない、途中で止まる仕組みにすることで、事故の可能性を排除した。(作業者がつい、うっかり、たまたま変な動きをしても事故は起きない)
かつて製造現場で盛んに研究、工夫された「フールプルーフ(バカ除け)」などによる改善は、様々な現場で取り組まれ、多くの改善事例とともにエラーのタイプ別に改善方法(やり方・効果・利点/欠点)・法則などを汎用的な知恵として蓄積した。
しかし、様々な改善活動の結果、現場の安全が保障・効率が確保されるようになると、そのような状況が当たり前になる。いつしか改善の必要性も改善活動によって蓄積されてきた知恵も必要がなくなり、改善という有効な知識・経験・法則・手法などは伝承されなくなってしまった。
一方、一般社会、特にサービス産業の様々な現場は、そのような経験的進化をしていない。知識・経験とも皆無といってよい。
通園バスの事例を見ても分かるように、半世紀以上も前の製造現場より、はるかに遅れた状況=人の資質や感覚だけで運用されている。しかも、マニュアル、チェックリストの何たるかといった本質の理解、正しい定着のさせ方も分かっていなければ、人手不足の現場業務はチェック作業やマニュアルによってより複雑で煩雑なものになる。
「究極の改善はなくすことである」というのが基本である。余分なことをしなくてもエラーがない100%の結果が出せることが理想である。
現場の仕組みを変えることなく、様々なモノを押し付ければ現場はかえって混乱し、状況は悪化する。
人手不足、高度な教育訓練が難しぃ、人の資質や動機付けに頼れない、….等々、小規模なサービス産業の現場における条件を満たし、誰でも簡単にでき、楽しみながら業務ができて、100%エラーを起こさない、しかも安価で水平展開しやすい、…など、改善の最も基本となる仕組みを作り上げる必要がある。
3. 幼稚園・小学校で改善を教えよう‼
前述のようなおかしなこと、起こるべくして起こるエラーは、一般社会の中に数多くあり、しかも誰も気が付かずに放置されたままである。しかし、モノ・コトに対する見方をきちんと訓練すれば小さな子供でもおかしなことは分かる。
複雑で難しいことが良いのではなく、単純で、誰でもすぐに理解でき、簡単で同じにできることが一番である。
そのような視点を素養として小さなうちから身に着けておくことは有効である。ゲーム感覚で遊びながら習熟していけば小さな子供のうちに身近な「改善」を通して多くのことを身に着けることもできる。何よりも論理的、かつ多角的で「事実を基にモノ・コトの法則性を見出す」という科学的思考のトレーニングにもなる。
「一目見てやり方などの違い、おかしな点が分かり、どのようにすればもっと良くなるかがイメージできる」そんな「素養」を小さなうちから身に着けていけば、社会全体は大きく変わる。
ここで紹介した「フールプルーフ(バカ除け)」「IE(Industrial Engineering)の方法研究にある動作経済の原則」「QC;Quality Control品質管理、QA;Quality Assurance品質保証」など、いまでは誰も知らない・聞いたことがない、あるいは昔聞きかじっただけの人が、何を今更とバカにするような改善の法則・原理原則が、人口減少・高齢化し、サービス化したいまの社会には大いに役に立つことは確かである。
*ただし、身近な事例を用いて簡便な形にアレンジ、翻訳して普及する必要がある。
「温故知新」近代的な工業は様々な歴史の上に成り立っているが、いまの一般社会、特に行政をはじめ、サービス化した産業の現場にはそのような基盤はない。
過去に指導した和洋菓子の製造販売は複数の工場、店舗を持ち、20億円弱の売上、従業員数もパート・アルバイトを含めて100人以上いたが、標準作業・工程分析・工程管理はなく、原価計算方法も間違った考え方で行っていた。人手・時間がかかり、技能によって出来栄えが違う工程にちょっとしたジグを導入しただけで生産性は何倍にも上がり、不良も大きく減少している。
様々な経験・知識を持つ人から見れば信じられないようなことが、日常当たり前のように起こっている。
昔から伝わる「おばあちゃんの知恵袋」には、科学的根拠に基づくものも多く含まれている。「知識ではなく、知恵が重要」と言われて久しいが、急激なデジタル化しとAI活用が叫ばれる現在、知識も知恵も失われてしまえば、多くの人、そして社会全体が進化を止めて退化するしかない。
新型コロナウィルスの流行をきっかけに様々な行政の仕組みのおかしな点が顕在化したが(恐ろしいことに、それがなければ誰も気付かなかった)、マイナンバーカードの紐づけ問題では信じられないようなヒューマンエラーとヒューマンエラーが防げないシステム設計(紐づけ時のやり方)による構造的エラーが顕在化している。現状認識の甘さ、設計思想の問題がある限り、どんなに人数と時間、コストをかけてもまともなものは作れない。
おそらくチョッとでもシステムの知識がある人(情報を専攻する学生ばかりでなく、プログラミング知識のある小さな子供でさえ)なら「何故そんな手順、入力画面にしたのだろう?」と疑問に思うことだろう。
工程分析と各工程の構成要素、それぞれのエラーが混入する可能性(シミュレーション)を洗い出して、一つずつ潰していけば(いわゆる品質工程表)、ほとんどのエラーは防げる。コロナ初期のアプリ開発ではないが、今回のマイナンバーカードも、はじめに多少の時間とコストをかけて現状分析に基づく設計思想(正しい論理に基づく)を明確にしていれば、後からの検証に信じられないほどの膨大な時間と税金を使う無駄は起こらなかったはずである。
知恵を使うことなく、基本、原理原則を守らなければ、結果的に多くの無駄が生じることは多くの事例が示す通りである。分かる人にはやる前から見えているが、分からない人は結局やっても何も分からない。そんな状況はもったいない。
通園バスのエラー防止もマイナンバーカードの紐づけ問題も「フールプルーフ(バカ除け);人はエラーをするから、絶対にエラーが起きないような仕組み」を理解して取り組めば十分防ぐことができる。
いまでは全く聞かれなくなったIE(Industrial Engineering)は、100年以上前から現場で工夫を繰り返し、蓄積されてきた知恵の集大成である。QC;Quality Control品質管理、QA;Quality Assurance品質保証も考え方と手法をうまく応用すれば、特に人が多くかかわるサービス産業の現場では大いに役立つだろう。(過去に遡ればすでに大きく改善された事例も数多くあるから、あとはそれらを応用するだけで改善できる。知っているか否かの違いは大きい)
製造現場を前提とした手法というイメージ(実際にはサービス業でも行われている)を取り払って、日常生活、社会一般の中に広く応用・浸透できる生活の知恵、万人がより良い生活を送るための生活の知恵というように考えれば、小さな子供の時から素養として身に着けておくことは大いに役に立つ。
頻繁に使うものは取り出しやすく仕舞いやすい所に置き、あまり使わないものは高い所などに置くというのは、日常的に主婦が当たり前に行わっていることである。
全てはこのようなモノ・コトの道理、理にかなったことの積み重ね、その延長線上にある。それが様々なケースについて実証的に体系づけられた学問分野があるのではあれば、有効に生かさない手はない。
「無知の知」は全てのスタートになる。水は高い所から低い所に流れると考えれば、低い所に流すべき水は多くの人が知らない・気付かないだけで、どこかに仕舞い忘れたまま放置・忘れられていることを知るべきである。
いまこそ、このような価値ある財産を見直して有効活用する時だろう。
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