モノ・コトを考える時には常に絵を描く(図に描く)ようにしている。理由は「全体を目で見て確認できるようにすること」である。
モノ・コトを考える時、何か拠り所がないと思考が整理できずになかなか前に進まない。目で見て確認できると積み木を組み立てるような形で一つずつでも形づくることができる。さらに複雑なモノ・コトを対象とする時にはジグソーパズルを組み立てるような感じになる。そんな時には一つの図が出来上がるまで何回も書き直し、出来上がるまでに3ヶ月から半年近くかかることも珍しくない。
ただし、このようにして出来上がった図は何十年経っても使える普遍性があるから、3ヶ月から半年という時間はむしろ短いといってもよい。
図に表す、あるいは絵を描いて整理・確認する内容はモノ・コトの関係性、法則性などが中心である。場合によっては、いくつかの手順を経ることで一つの目的を達成するために複数の図を作ることも珍しくない。ある意味、論理的思考と試行錯誤の組み合わせだから、行きつ戻りつ答えに向かって収束していく。
探しているのは原因=結果(特性=要因)、目的=手段、I/P=Process=O/P、時系列、構造/メカニズム、グルーピングなどであり、これらの関係が組み合わさることでいろいろなモノ・コトの真理に近づくことができる。
単に思考の整理というよりは、思考の道具を用いた思考そのものといってもよいだろう。
大切なことは、全体が目で見て確認できること=visibility(可視性、一覧性)を得ながら(具体的に確認しながら)思考を進めることである。
学生にもA3の紙を渡して絵を描くことを推奨している。慣れない人は紙を持て余すが、中学、高校などでトレーニングできている人だとマーカーで色分けするなどして絵の中に要素を整理していく。
筆者が「絵(図)を描いく」ことを推奨するのは、よほど頭がよいか、直感が優れている人でもなければ、モノ・コトを瞬時に整理・理解することなどできないからであり、凡人は絵という道具を使いながら一つ一つ思考を整理するという技術を身に着け、習熟することが大切だと考えているからである。
できれば、小さな子供の時からこのような習慣を身に着けるようにしていくことが大切であるが、残念ながら大学に入学し、初めて経験するという子供は多い。
つまらないことを暗記することが勉強などという勘違いが根強く残っているが、そんなことに時間を費やすのであれば、遊びながらでも勉強(モノ・コトを理解しやすく整理する)の仕方を身につける方がはるかに有意義だろう。
根本的に「教育」の本質を見直すことをしないとグローバル化、デジタル化する時代に全く通用しない子供をたくさんつくり出してしまう。
コメントを残す