東日本大震災によって福島第2原発の電源が停止したということに関し、様々な議論が巻き起こった。
不思議なのは、偉い学者やあれだけ危険なものを扱っている人達が何の疑問も持たずにおかしなことを平気でやっていたことである。
「電源が命」ということから、主電源がダメになった時の予備電源をどこに置くべきだったのか、なぜ同じ建屋の中になかったのか、….等々、マスコミも大騒ぎし、評論家という人達も好き勝手なことを言っていたが、いずれも「論理」が違っているのではないか、というのが率直な感想である。
「冷却するための電源」というものがワンセットになっているから、皆一様に「電源」の話しかしないが、本来の目的は「冷却」であったはずである。
おそらく、IE(Industrial Engineering)、QC(Quality Control)・QM(Quality Management)・QA(Quality Assurance)、VE(Value Engineering)などをやっていた人であれば、常識的に「冷却」と「電源」は切り離して考えるだろう。
本来的な目的=上位目的は冷却であり、電気を使って冷やすというのはその手段、つまり下位目的でしかないから、一緒に考えること自体が理解できない。まして、そんなに「冷却」が重要であるなら尚更である。
皆が電源にこだわった議論をしていたが、結局は海水で冷やすという手段を採用していることを考えれば、電源がダメになった時の対処法として電源以外の「冷却」手段を予備に持つというのが、当り前だろう。
ある目的を達成することが絶対条件であれば、目的を達成するために採用する原理を1つに限定して、装置の予備を複数持つよりは、目的を達成できる異なる原理を複数持つ方がカバーできる確率は高くなるはずである。別に予備電源を否定しているのではなく、今回のように電源、排水管など、要するに電気を使って冷やすという原理を実現するための構造物が使えなくなった場合、別の原理でないと対応ができなくなるという、至って単純な話である。
圧力を下げるためのベントも同様だろう。「いざとなった時の非常手段」として減圧するために外に排気するのであれば、「当然、排気は汚染されているはず」だから、少なくとも除染装置と一体化させるということは誰が考えても常識以前の話だと思う。
知れば知るほど怖くなるのは、原子力や地震の専門家がたくさん集まっているのかもしれないが、どうやら信頼性工学やIE、QC・QM(品質管理)・QA(品質保証)、VEなど、経営工学の専門家は全くと言ってよいほど関与していないのかもしれない。
これらの例は、個々の詳細な現象や経緯をいろいろ議論するより、その大元にある「論理」を見れば、簡単にその本質が判断できるという典型的な事例である。
物事、多少理屈っぽく見えても「論理」にこだわり続けていれば、確実に本質を見極めることができるようになる。思考を整理する上でも非常に重要なことである。
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