なぜか日本では複雑で難しいことが高度で優れており、単純で簡単なのはレベルが低いといった評価が一般に広く定着しているように思う。
東洋経済ONLINEに『仕事ができるアナタが「万年試験バカ」な理由』という記事があったので、少しは似た問題意識を持った人がいたかと思って読んでみたが、全く違っていたのががっかりした。
例えば、高校しか出ていなくても、そして成績があまり良くなくても、とにかく「賢い」「頭がいい」と感嘆を覚える人もいるし、東大で博士号をとっていても、思わず「ウソーッ」と思えてしまう人もいるから、単に学業の成績だけ見たのでは分からないことは多い。
試験の出来不出来だけでいえば、単に価値を見いだせないから集中できないというのが筆者の実感だが、日本の社会では評価されにくい状況にあることは確かである。
例えば、7割と70%と70.0%はどう違うのか、という問題を見て、「いったい何を言っているのか、同じだろう」という人もいれば、「70.0%の方がより正確だから、こちらの方がよい」という人もいるだろう。
どれも同じという乱暴なとらえ方よりは、小数点までとらえた方が、より正確だし、その分だけ優れているという見方の方が、何故か理屈が通っているように思える。
このような思い込みが、多くの偏見を生み、判断を誤らせている。
7割は、1割を単位として物事をとらえており、70%は1%を、70.0%は0.1%を単位として物事をとらえているので、それぞれ物事をとらえる時の細かさが違うというだけでしかない。
どの単位で物事をとらえるべきかは、測定可能な単位や精度、使う時に必要となる精度など、状況によって変わるから、最も適した単位を用いることが望ましい。
分かりやすいのは、地図を作成する際と使う際の精度の違いである。
地図を作成する際に、距離や曲がる角度、方向など、一定以上の精度がないと大変なことになる。1度くらい違ってもいいか、などと思っても10Km、20Km、30Km、…と距離が延びるにつれて、その誤差はどんどん大きくなるから、いい加減なものでは用をなさない。
しかし、使う時には、あまり詳細すぎるとかえって分かりにくくなる。多少デフォルメしてもポイントとなる曲がり角や目標近くの目印が分かった方が見る側には都合がよい。
我々の身近にある物事を見てみると、そんなに厳密な精度を要求するものは見当たらない。
物事の構造、メカニズムに関しても同じである。大手自動車会社の役員をされていた方が、「クルマは、走る、止まる、曲がるだから…」と言われたのがとても印象的であった。物事、本質に近づけば近づくほどシンプルになっていくのだろう。
小売の売場でも、商品をいろいろ分析してみると、いろいろなことが分かってくる。
例えば、昔調べた紳士衣料のサイズ構成を見ると、百貨店S:M:L=1:1:0.5、量販店M:L:2L=1:2:1、専門店M:L:2L=1:2:2、同様にイヤリングとピアスの比率は、百貨店6:4、量販店1:9というように、客層の年齢構成が商品やサイズ構成によく表れている。
難しく考える必要はなく、おおよその目安として、こんなものだということさえ分かっていれば、大きく間違えることはない。
毎日、お客が入れ替わるから売れ方も変動するし、それに伴って在庫も変動するから、全てにおいて厳密にとらえることは不可能だし、過去のデータを厳密にとらえたからと言って、それがそのまま将来に当てはまるとも限らない。
変に物事を難しくするよりは、単純で簡単なモノ・コトとして扱った方が楽でよい。
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