第12回 スモールカンパニーのメリットを活かせ!

1. スモールカンパニーのメリットを活かせ!
「スモールカンパニーのメリットを活かせ!」の連載も今回で12回目になる。
原稿を書き続けたこの1年の間にも状況は様変わりしている。
これまで、将来のこととばかり思っていた我国の人口減少はいよいよ現実のものとなってきた。2030年までには急速な地方の過疎化と都市部への人口集中、さらにその都市部でも急激な高齢化が予測されている。
 小売業界では、ダイエーが中・四国から撤退し、3大都市圏中心のリージョナルチェーンへと変身することを打ち出したし、イトーヨーカ堂も30店舗もの不採算店の撤退を発表している。
 このことは、撤退店舗がある都市の急激な小売販売額の減少、地価の下落、雇用の減少など地域経済の衰退を意味している。すでに一小売企業の問題という域を超え、行政をも含めた地域経済、さらには地域の歴史・文化の存続までを左右しかねない状況が目の前に広がっていることを改めて認識すべきであろう。
 国土交通省は、重点施策の一つとして『地域活力の維持強化、地域構造の再編』 (平成17年8月12日http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha05/01/010812/02.pdf)
を打ち出している。
 具体的テーマとして『中心市街地の再生、振興』を採りあげるなど都市部の空洞化を避けるために、都市機能の立地の見直し=公共公益施設、大型商業施設などの立地の見直しをしようという動きである。
 2001年3月時点で約3200あった地方自治体の数は、2006年3月には4割減の1920(実際には1800代まで減っている)まで減少すると言われている。
地方自治体としての村や町はすでに存在しないが、市町村合併によって合併した地域は生き延びられるという考えである。しかし、過疎で小学校が廃校になれば、就学児童を抱える家族は小学校のある都市部に引っ越すしかない。
 高齢者の病気や介護も十分な設備のそろう都市部へ人口が移動する重要な要因となるだろう。大型店舗の撤退により、地域経済が衰退すれば仕事を求めて都市部への人口移動が加速することも考えられる。
 就学、就労、病気治療、介護など自然減(出生数が死亡数に満たない)に加えて社会減(転出が転入を上回る)が過疎に拍車をかけることになるだろう。
地方の崩壊が始まったとみてよいだろう。

(1) スモールメリットの行き着くところ
『スモールメリット』というものを提唱したきっかけは、無謀とも言える『チェーンストア理論への妄信』に対するアンチ・テーゼ、問題提起である。
さまざまな業態、さまざまな企業が衰退していく原因を探っていけば、店齢、および商圏に住む人達の高齢化、企業組織の肥大化・硬直化など共通する原因が見えてくる。一方、小規模企業のオーナーの志向は、成功し、大きくなった企業の話を好んで聞き、マネしようとばかりしている。大きくなった企業が目標であるから理解できないでもないが、大きい企業と小さい企業の状況は明らかに違う。大きい企業の手法を取り入れたからといって、そのまま上手く適用できるとは限らない。
 また、他人の芝生はなぜか青く見える。大きくなることで陥ったさまざまな構造的問題点は見ずに『スケールメリット』ばかりを見て何でもかでも無闇に取り入れようとする。
 冷静さを失っては見えるものも見えなくなり、せっかく培ってきた自分達の良さも捨て去ってしまう。本来の良さ=強さを自ら放棄してしまえば、このような難しい時代を生き抜くことは難しい。長い時間をかけてせっかく育ててきた特徴ある企業が、情報に踊らされて自滅していくのを見るのは忍びない。総ては勘違いと言ってしまえばそれまでだが、間違った意思決定の積み重ねは取り返しのつかない事態を招く。
 『スモールメリット』は、このような状況に対する警鐘、アンチ・テーゼであり、問題提起である。
 さらに、人口動態を追いかける中で消費に直結するさまざまなことも分かっている。
 最も重要なことは、高齢化に伴うライフステージの変化、特に家族構成の変化は消費支出の優先順位、量・質を大きく変えてしまう。
 日本人の平均年齢は1970年の31歳からすでに10歳以上上がっている。小さな子供を抱えるニューファミリーは、小中学生を抱える世帯へと変わってしまった。このまま行けば、近い将来子供が独立した中高年夫婦のみの世帯、あるいは単身の高齢者  
世帯が日本の標準的な世帯像に変わってしまうことだろう。
 時代とともにお客も年を重ね、変化していくのであるから、これまで売れていたものが売れなくなるのは当然である。
 店舗間の競争の激化は明らかだが、インターネットの普及も商品の販売チャネルや価格形成に大きな影響を与えている。
 すでに大きな店を構えて商品をたくさん並べたからといって必ずしも競争力があることにはならない時代になっている。
価格についても同様である。価格比較サイトでは最も安い価格をリアルタイムで知ることができるし、商品を購入して使った人の生のコメントも読むこともできる。商品を購入する前に消費者が得られる情報は信じられないほど増えている。しかも、これまでには有り得なかった『自分と同じ目線で商品を見ている消費者』の生の声=疑問、賞賛、非難、嘆きである。消費者の購買行動が変化するのも当然だろう。
 東証一部上場のあるホームセンターでバラの品種を調べようとしたことがある。しかし、販売している品種が載っている本はない。『インターネットで簡単に調べられる』と販売員に提案したが、店ではインターネットを使うことができないと言う。
 消費者がインターネットを用いて簡単に世界のバラを調べられる時代に何ということであろうか。大きな企業のアキレス腱とも言える決定的な弱点である。
資材館ばかりに目を奪われ、情報の重要性を認識できなかった結果だろう。情報戦略の遅れは機器の導入、インフラ整備だけの問題ではない。
 ローコストを推進するために人員を減らし、パート、アルバイトばかりにしてしまえば、いくらインフラ整備を急いでも、それを使いこなせるだけの人員を確保することは難しい。
 POSをはじめとした情報化の設計思想が『限られた人員の有効活用』『情報化による質的向上』ではなく、『コストとしての人員の排除』であったことが今後致命的な差となって現れてくることは確かである。
 小回りが利く小さな企業が生き延びるためには、インターネットなどIT(情報技術)を駆使することでより専門性を高め、地域に密着して消費者との関係を築き上げていくことが重要になる。
 一生懸命に汗かくことを避け、豊富な資金量だけを頼りに大きな店舗と広い駐車場、何処にでも売っているたくさんの商品と低価格だけで商売をしようとしてきた企業と戦うには一生懸命に汗をかき続けることが一番である。
 そのような企業には絶対にできない手間隙かかることをやるのが正攻法である。

 「スモールカンパニーのメリットを活かせ!」では、はじめはこの点に集中して考えていた。しかし、大きい企業よりももっと手ごわい相手が次々と現れてきた。
 一筋縄ではいかない相手は、地方で急速に進む「過疎」であり、日本という国に向こう100年は続くと見られる人口減少である。
 この時点で『スモールメリット』の考え方は、地域との共存なくしては成り立たない性格のものでもあるということが分かってきた。『スモールメリット』の理論的な修正である。
 もし、人口減少に直面する地方都市の小さな企業が生き延びようとすれば、現状で考えられる選択肢は大きく分けて3つである。
 一つは人口の多い都市部への事業移転、二つ目はインターネットによる全国的な商圏の確保、三つ目が行政や他企業・他産業と協力して地域の活性化を図ることである。 
 すでに人口減少が避けられなくなっている状況を考えれば、地方自治体同士の人口の取り合いは現実的、かつ避けられない問題である。人が住みやすい、魅力ある地方自治体は他の地方自治体から住民を得ることが可能である。
 『日本の市区町村別来推計人口』(平成15年12月推計 国立社会保障・人口問題研究所http://www.ipss.go.jp/)によると、2000年を100とした2030年の人口推計で人口が増える都道府県は僅かに東京都、神奈川県、滋賀県、沖縄県の4都県のみである。個別に見ると50を切る市区町村に対し、逆に110以上の高い指数を示す市区町村もある。多くの場合、企業が地域に根付き、雇用の増加・安定が従業員を中心とした人口の増加に寄与している。当然、宅地開発も盛んであり、人口増のほとんどが社会増(他からの移転)であることが分かる。
 人口の増減は、社会増減と自然増減の相乗効果でどちらか一方へぶれやすい。雇用、住宅が確保され、社会増で人口が増えれば、さらに自然増も見込まれる。
 小売業者、地場産業、農林水産業などが従来のような大資本や行政からの補助金頼り=他力本願から脱皮し、自らの力で発展し、雇用を確保することができれば新たな住民=消費者を確保することもできる。行政もこれまでのように国からの補助金は見込めないから、自らの努力で発展するしかない。
 地方自治体間の競争だとすれば、行政と企業が協力して汗をかくしかない。
 重要なポジションにあるのは、全体を企画・統合し、特に販売を支えることができる企業である。小売業者がこれまでとは別の意味で重要な役割を果たす時代と言ってもよいだろう。

第11回 小さな企業だからこそできること

1.こうしちゃおられん
 学校法人産業能率大学の創始者であり、我国の経営コンサルタント第1号でもある上野陽一氏の言葉に『こうしちゃおられん』というものがある。
 科学的に物事を見ることができるようになると、それまで見えていなかったさまざまなことがよく見えるようになる。世の中にたくさんあるおかしなことが嫌でも見えてしまうから『こうしちゃおられん』ということになる。
 現在もまた『こうしちゃおられん』状態がたくさんある時代である。
 ある経済誌が少子高齢化・人口減少は日本にとってチャンスであるという特集を組んでいた。給料は上がるし、企業収益も上がる。消費は活性化して日本経済は復活するということである。
 ことの真偽はともかくとして、これまでの延長線上には答えがないだろうから、大変な時代であることだけは確かである。
(1)『こうしちゃおられん』から どうせならジタバタしよう
 どんな企業でも業績が悪化すると何もしないでジッと止まってしまうか、ただ闇雲に動き回るかのどちらかである。どちらのケースも『理に適ったやり方』とは言いがたいが、どうせなかなか答えが見つからないのであれば、筆者はジタバタする方がよいと考えている。どんなに分からなくても、分からないなりに動き回れば動いた範囲内で分かることもある。やって意味があることとないことが少しずつでも分かってくれば、次につなげるヒントにもなる。
①やってはいけないこと(negative list)の発見
 あるドラッグストアでは何年にも渡ってDM(ダイレクトメール)を使って得意客対象に割引セールを行い、効果を上げてきた。しかし、近年の動きを見ると特売の事前告知は買い控えを招き、特売でのまとめ買いが特売後の低迷を招くようになってきた。
 売上の高い山(年々小さくなっている)の前後に深い谷ができ、山と前後の谷を均してみると何もしないのと変わらず、むしろ悪化していると言ってもよい状況である。
さらに特売を組むことで確実に粗利率は低下し、結局経費を使って忙しいおもいをし、業績を悪化させているだけ、ということが分かった。
 過去に何社かのデータを分析したことがあるが、大手総合スーパーがカード会員を対象にして行う特招会もまったく同様のことが言える。
 冷静に評価することさえできれば、やってはいけないことを見つけることができる。
これまで『よいと思ってやっていたこと』あるいは『当り前と思ってやっていたこと』の中から『やってはいけないこと(negative list)』を発見することができれば、それは一つの大きな前進である。

②やって効果のあることの発見
 ある小型の食品スーパーでは食パン、玉子、牛乳の3アイテムを他店の日替わり価格と同程度の価格で毎日売るようにしている。いわゆるEDLP(everyday low price)ということになるのだが、いろいろ試してみると通しのチラシ価格程度に中途半端に安くしても、来店の動機付けとしてはほとんどインパクトがないということが分かってきた。
 他店と差別化を図り、明らかに来店の動機付けとなるようにするには『日替わり価格』というのがEDLPの一つの目安になるようである。
 『とにかく安ければよい』という思い込み(あるいは風潮)から何でも安く値付けする企業は多い。しかし、単に価格を安くしても売り上げが伸びるわけでもない、客数が増えるわけでもない、ただ粗利率を下げ、単価を下げているだけ、というケースは多い。
 そういえば、以前取材に行った時にバイヤー経験もあるという食品スーパーのベテラン店長がこういうことを教えてくれた。
『いろいろな商品について、いろいろと価格をいじって販売したことがあるが、一番効率がいいのは68円か78円である。それ以上安くしても数量がそれほど伸びないから売上は上がらない。それ以上高いと数量が伸びないからやはり売上が上がらない。ちょうどいいのが68円、78円くらいの価格である。』
 小売業にとって経験的に知っているということの強さは何物にも替え難い。ただ頭で考えているだけでは分からないことも目の前で結果として確認した事実はさまざまなことに応用できる。

③ジタバタしよう
 売れないで困っている店の人間には、困ってばかりいないでジタバタするように言うことにしている。ところが、売れない店の人間に限ってジタバタできないことの方が多いから困ったものである。普段から売れない状況に慣れ親しんでくると、売れないことが当り前だから『ジタバタしろ!』と言われてもどこから手をつけてよいか分からない。何をジタバタしたらよいのか分からない。
a.一番初めにやることは陳列替えである。売りたい商品を決め、目立つように大量に並べる。他の売場とは一目見て違うように変える。目立つ売場をつくるには、それ以外の売場を目立たなくする必要がある。POPも同様である。
 身体を動かすには『陳列替え』がいい。頻繁に『陳列替え』をしていると何か仕事をしているような気分になってくる。皆が身体を動かしているだけで活気が出てきたような錯覚を起こす。売場をいじっている時には不思議とお客の買上げ率も高くなる傾向にある。売れない商品を引っ張り出して処分し、よく売れる商品を前に出してフェイスを拡大すれば少しは売上も変わってくる。
b.次は何でもいいから声を出す。売れない店はお客が来ても『いらっしゃいませ』一つ言えないケースが多い。まずは『いらっしゃいませ』と大きな声で言うことから始める。
 人間は腹から大きな声を出すと身体がシャキッとする。自然と動きもキビキビしてくる。
 『いらっしゃいませ』が言えるようになったら、次は本日のお買い得品を大きな声で案内する。それもできるようになったら店頭に出て呼び込みをする。店頭でタイムサービスをやるのもいい。
 ここまで来ると売場の雰囲気も随分変わってくる。
c.身体を動かし、声も出るようになったら、次はいろいろな商品を安く売ってみる。
 何でもいいから安くしてみると『安くして売れる商品』と『安くしても売れない商品』があることが分かってくる。いろいろな商品をいろいろな価格で売ってみると商品と価格の関係が分かってくる。
 『安くして売れる商品』もいくらの時に最もよく売れるのか分かってくれば、価格設定の仕方が変わる。
 ジタバタすることで、それまで見えなかった売場のことが見えてくるし、それまで分からなかったお客の反応が分かってくる。何もしなければ、いつまで経っても何も見えない、分からないことが分かるようになるのだから効果は大きい。

(2)ジタバタしながら精度を上げる
 指導先のある企業、客数は毎年減り続け、各店の売上はピーク時の半分にまで減っている。売上低迷が長く続くとそのような状況(前年実績割れ)に慣れてしまい、皆が諦めてしまっている。売上が悪くてもおかしいと思わないからエネルギーも湧いてこない。しかし、ジタバタしながら2年、3年と経つと売場も大きく変わってくる。売上が下げ止ったとは言い切れないが、売上の中身も大きく変わっている。
 まだ声が出るところまでは行っていないが、社員の動き方は変わってきた。
小さな店だからアイテム数を増やし、専門店らしくする、という方向で動いている。
 『一番の間違いは、小さな店が量販店を志向し、量販店の経営手法を取り入れたことだ』と気付いてからの変化は早い。
とにかく、はじめは売場を直すことからスタートである。身体が動くようになるまでは売場を徹底して直す。商品も入れ替える。売り方も変えれば、陳列方法もPOPも変える。『近い』『安い』しか来店理由のない店は競争力がないから、近くに店ができればお客を取られる。近くに安売りをする店ができればお客はもう来ない。
 したがって、ジタバタしながら『近い』『安い』以外の来店理由=『他店にはない専門性』を創り上げる必要がある。
 今では他店で扱いのない商品も徐々に増えている。POPも工夫している。個々の商品に日本酒や焼酎の専門店がやっているのと同様な説明POPを取り付けている。
お客に詳細な専門情報を提供するのと同時に滞店時間を長くするのが狙いである。
買い物に時間をかけることで商品購入に意味=重みを持たせる。さらにコンビニエンスストアの雑誌と同様にお客がたくさんいる店=入りやすい店をつくり出す仕掛けでもある。これらのことができた時には確実にお客との関係が変わるはずである。
 売場再生のためのジタバタは、たくさん時間をかけて精度を上げるしかない。どんなに時間がかかっても(時間がかかるからこそ)5年、10年、20年とジタバタを続ければその時点で追いかけてくる企業はなくなる。

 4歳から60年もエレキギターを弾き続けているという寺内タケシが60年間ギターを弾いてきてたった一つだけ分かったことがあると言っていた。
 『ギターは弾かなきゃ音が出ない』 まさに真理である。まず音が出なくては上手いも下手もない。スタートすることである。
 時間をかけてやるべきことをやり続ければいつしかやり方も上手くなるし、精度も上がる。店をつくり、商品を安く売るだけで商売が成り立つと安易に思ったことが間違いである。
 このように見てみると、日本中、アチコチで『こうしちゃおられん』状態がたくさんある。
 まずは、小さな企業だからこそできるジタバタを実践することからスタートである。

第10回 小さな企業のメリット-4

1. 小規模マーケットの時代
 99プラスの好調に目を付けたローソンが100円コンビニを展開して注目されている。
業績が回復しない限り(現状では考えににくいが)、大企業もなりふり構わず、さまざまなことに手を出してくる。
 一方では、新しい時代に適応した急成長企業も生まれており、その動きは激しい。
 しかし、冷静に状況をとらえると、マーケットの変革期ほどビジネスチャンスは大きいものである。従来の価値観では計りしれない商売の形態が出現する時期でもある。
 先回、事業展開マトリックスで説明したような物販を中心としない事業分野はアイデア次第で無限の可能性を秘めている。個人事業でなければ成り立たないような小規模市場も大企業には容易に参入できない残されたマーケットである。
小さな企業がその特徴を活かして成長するためのキーワードを整理すると、次の3つに集約することができる。
①事業展開マトリックスに示した物販以外をメインとするビジネス
②他社が簡単に真似できないような技術・ノウハウを要し、手間暇のかかるビジネス
③コスト構造の違いから大企業では簡単に採算ベースに乗らない小規模市場
いずれも、大企業が資本力にものをいわせて参入することが難しい分野であり、小さな企業がコツコツ拾っていけるマーケットである。

(1)成功企業に見る共通点
 先日、『スモールメリット』をテーマとするある団体主催のセミナーがあった。
筆者が基調講演を勤めたが、企業家の事例発表はまさに本物であり、説得力あるものであった。
 大型家電量販店の出店に対し、逆に顧客件数を絞り込んでサービスレベルの向上を図った家電専門店、都市部に小型店を集中出店するプチ食品スーパー。
立地、取扱商品、商売の形態などは違うが共通する点は多い。
①家電専門店
 家電専門店の社長は、『高齢化が進めば進むほど我々の商売にとって益々有利になる』と言い切る。長年に渡り培ってきた顧客との信頼関係ゆえの自信であろう。
 営業社員は、チョットした蛇口の水漏れぐらいは訪問したついでに直してくるという。確かに専門的な工具があり、このような作業に慣れていれば10分もかからない簡  単な修理作業である。しかし、知識も経験もない人にとっては何処から手を付けてよいのか全く想像もつかない大事である。専門業者を呼べば、100円もしない部品の交換、僅か10分足らずの作業に数千円は請求される。まして、このような物騒な時代である。高齢者にとって、全く知らない人を家に上げることはできるだけ避けたい。
 お客が困っていることに対して日常的なケアをしている営業社員は、客先で食事をご馳走になったり、ご祝儀をもらったりすることもあるという。すでに家電専門店の営業社員と言うよりは、信頼できる相談相手とも言える地位を確立している。
 このような状況を短期間に入手することは難しい。何事にも手間隙かけず、資金力だけを頼りにしてきた大企業には理解できない世界だろう。
 小さな企業が生き残るために開拓してきたマーケットであり、家電量販店が大きな店舗をたくさんつくっても決してカバーすることのできない独自のマーケットである。
規模の大小とは関係なく、マーケットに密着して生き残る強い企業の事例と言ってよいだろう。

②都市型プチ食品スーパー
 公設市場からスタートしたというこの食品スーパーは40店舗253億円(平成17年2月)、僅か3年で二倍近い成長を実現している。赤字店舗は出さない、という徹底した利益コントロールの仕組みを持ち、順調に業績を伸ばしている。
 店数だけを見ると一見チェーンストアのようでもあるが、『本部はコスト部門』と割きって最低限の本部機能・人員(数名)しか置かず、全ては店中心に動いている。
仕入(バイヤー)も店長が兼務しており、専従する商品部組織はない。
 店舗は居抜き物件が多く、店舗面積、形状などはみな違っている。基本的なレイアウト・フェイシングなどはあるが、細かな部分については各店で調整する。
 一つの頭が数多くの身体をコントロールするというチェーンストアの形態ではなく、独立して動くことのできる店舗がアメーバ状の集合体を形成しているというイメージである。
 今後、首都圏への進出も考えているというが、このままの形態で店舗数を拡大していくのではなく、適正規模の集合体(30~40店舗 200億円~250億円くらいのビジネスユニット)を確立し、その『クローン』を別エリアへ移植するという方法がよいだろう。
 これまでのように一律に同じ店舗を数多くつくるというのは、あくまでも標準化=画一化という誤認から生じたものと考えられる。実態を無視した理屈はマーケットを無視した店づくり、商品構成、店舗運営などさまざまな弊害を生みだしてしまった。
既に多くの事例が証明するこのようなチェーンストアのジレンマ(理屈上、店舗レイアウト、商品構成、フェイシング、人員面などあらゆる面で全店を同じにして一つのシステムでコントロールしようとするが実際の運営では決してそうはならない等々、絶対に埋まらない理屈と実態のギャップ)に陥らないためにも、コントロール可能な適正規模のユニットを確立し、そのユニットのクローンをアメーバ状に増殖させる方法がよい。
 資本は持ち株会社をつくればよく、独立したユニットは立地するエリアの経営環境に適応して進化する。
 立地条件が異なり、マーケット・ニーズが異なれば同じDNA(遺伝子)を持つユニットが異なる進化を辿ってもおかしくはない。いたって自然なことである。
 重要なことは、『個々に完結する独立した店舗集団=プロトタイプ(雛形)となるユニット』を確実につくるあげることである。
 チェーンストアが一つの頭(全ての権限は持つが権限と表裏一体の関係にある責任は果たせない)と頭を持たない数多くの身体(状況認識できず、意思決定できず、修正できない)で構成されていたのとは異なり、頭を持つ(認識できる、意志決定できる、修正できる)店舗の集合体(運用に適した規模のユニット)がクローンをつくって全体を形成するというのが理想である。
 この企業がどのように発展するか、楽しみである。

(2)原点回帰
 これらの企業は、一見すると他の大手企業とは全く異なる思想、生い立ちの企業のようにも見える。
 しかし、セミナーに出席していた大学の教え子が『ひょっとして、昔はダイエーもこうだったのですか?』と訊いてきたように、おそらく初期の小売業は皆このようにしてスタートしたのだと思う。そうだとすると、何処かで何かが狂ってしまったようである。
 筆者の解釈はこうである。
 どのような企業でも、はじめは、店舗立地や店舗規模、レイアウト、商品構成など標準的なものはなく、バラバラである。
大きくなるために必死になっていた時期であれば体裁を整えることなど後回しである。全ては実態の中でしか動いていない。
 ところが、企業規模が大きくなり、現場とは別の部署が専門的に計画をつくり、統制するようになると現場に指示、伝達するためにさまざまなものの体裁を整えはじめる。
 かくして、実態の中でのみ動いていた組織は加工された『情報』を媒体としてしか動けない組織となる。
 おそらく、アメリカ小売業に関する先進的な情報も日本に紹介されたチェーンストアという経営形態も『情報』という意味では全く同様と考えてよいだろう。
 全ては実態ではなく、抽象化し、象徴的に表現した『情報」が伝わっている。しかし、受け手にはそれらの情報が実態を抽象化、象徴化したものであるということは伝わってこない。
 例えて言うとこうである。
 『人間』について絵を描いて説明する。頭があり、胴体には手と足が二本ずつついている。頭には髪の毛があり、眉と目、鼻、耳、口がある。一見すると肌はツルツルしており、髪の毛と眉以外に毛などは見当たらない。
ところが、そのように教わってきた人達が実際に『人間』を見ると顔にも腕にも足にも体中に毛が生えている。これは『人間』とは似て非なるものだと思い、説明された通りの『人間』を探し回る。
 いま流行りの『萌え』にも似ているが、抽象化され、象徴化された世界を追い求めると、現実とは全く異なるものへ行きついてしまう。本物が何かを見失えば、いつまで経っても『人間』という実態に辿り着くことはできない。
 『情報』を媒体として頭だけで考えた結果であり、情報というものが抽象化、象徴化されたものであるということを理解できなかった結果である。
それが、教え子の『ひょっとして、昔はダイエーもこうだったのですか?』という一言に凝縮されていたような気がする。
小売業は実態からスタートし、全ては実態の中で完結していたはずである。ところが、
 大きくなりすぎた企業はいつしか現場という実態を忘れ、情報だけで全てを判断する組織へと様変わりする。他社情報にやたら詳しい経営者が自店の実態については全く無知というケースもある。全ては勘違いである。
情報の世界にはまり、日常的に来店するお客が誰で、どんな生活を送り、どんなことで困っているかという実態の世界が分からなければ小売業は成り立たない。
1兆円の売上も100円、200円の積み重ねであることを忘れてしまえば小売業を維持することは難しい。
 そのような意味では、情報の世界にはまって実態を忘れてしまった企業を反面教師とし、事例のようなすばらしい企業家が生まれてくる環境が整いつつあるのかも知れない。いつまで経っても『昔は..』と言われない本物の経営者、本物の企業が出現することを期待している。

第9回  小さな企業のメリット-3

1. 潜在マーケットの開拓
(1) sightseeing(観光ツアー)からsight doing(体験型ツアー)の時代へ
 旅行業界では、ただ見てまわるだけのツアーではなく、体験型・参加型の企画でないと売れないと言われている。
 すでに消費者は、A.H.マズローの『欲求の階層』で言えば、初期の①生理的欲求;食欲,睡眠,性欲、②安全性欲求;住居,衣服,貯金 というレベルが満たされ、次の③社会的欲求;友情,協同,人間関係、④自我欲求;他人からの尊敬,昇進、⑤自己実現欲求;潜在能力の最大限の発揮 というレベルへ移行したと解釈してよいだろう。
 高度な欲求によって動機付けられるようになると,もはや生理的欲求や安全性欲求などの初期的欲求は動機付けの要因にはならなくなる,という。
 これが現状の消費者の状況と考えれば、ただ価格だけのチラシ、売り方に反応しなくなった消費者の行動パターンも理解できるだろう。

(2) 事業展開の可能性
 図表は、事業展開の可能性を整理したものである。
表頭(横軸)は、物が変化していく様子(製造工程、ライフサイクル)を『企画・計画・設計』『素料・資材調達』から『素材・原材料』『部品・二次加工品』『製品・でき上がりの姿』、..というように整理したものであり、ビジネスとして取り扱う商品がどのようなレベルにあるものなのかを見るためのものである。
 一方、表側(縦軸)は、ビジネスが対象としているものを『物』『知識・技術・ノウハウ』『機能代行』『情報・ビジネス』『場』というように分けて整理している。
この事業展開マトリックスから分かることは、ビジネスの可能性はマトリックスが示すようにたくさんあるにも関わらず、小売業が取り扱っているのは『物中心の販売』の内『素材・原材料』から『製品・でき上がりの姿』『道具・工具・副資材』までというごく限られた範囲の商品でしかないということである。
 言い方を換えれば、小売業(ある意味ではメーカーも含めた旧流通構造を形成する企業)は『物売り』にこだわるあまり周囲の状況変化が全く見えず、マーケットニーズ(可能性)のウェイトが他に移っているにも関わらず、限られた範囲の中でしか活動せず、その狭い範囲内で無意味な過当競争を繰り広げていることになる。
 だからこそ、こんなに店も商品も溢れているのに消費者を満足させることができない状況が続いているのだろう。
 未開のマーケットはたくさんある。消費者の志向・欲求が『物の充足』から『状態・状況の充足』へと変化していることさえ理解できれば、マーケットの持つ可能性を理解することは容易である。
 しかし、大きな企業では、これまで形成してきたビジネスを簡単に切り替えることができない。このようなマーケットチャンスは、小さな企業に与えられたアドバンテージと考えるべきだろう。

2.未開のマーケット
(1)未開のマーケット
 基本的にマーケットの可能性は『消費者が困っていること・不便に思っていることの解消=solution(問題解決)』にある。
 これだけ店も商品も溢れている時代でありながら、消費者が困っていること・不便に思っていることは一向に減る様子がない。むしろ、多くの物、情報に囲まれる生活は、昔よりも複雑であり、普通の生活を送るだけでもはるかに多くの知識や知恵を必要とする。類似店舗、類似商品は溢れ、商品はさまざまな価格(一物多価)で販売される。
 よくテレビで商品のチラシ価格を調べて最適な購入価格を設定し、ひじょうに低い生活費を実現している主婦の特集をやっている。
すでに類似店舗、類似商品、一物多価の商品価格は、消費者にとって『何時、何処で、何を買うことが最善なのか?』という最も基本的なことさえ分かりにくくしている。『困っていること・不便に思っていること』の重要な一つである。
 おそらく、このような情報を提供するだけでなく、実際に最も安い価格で必要な商品を買い集める代行業ができたら、消費者の猛烈な支持を受けることは間違いないだろう。単に買物だけでなく、家計支出全てをカバーするものができるかもしれない。赤字を垂れ流してNB商品を売るよりはるかに有意義なビジネスと言えるのではないだろうか。『知識・技術・ノウハウ中心のビジネス』あるいは『機能代行(代わりにやる)ビジネス』と言ってもよいだろう。

(2)未開のマーケットの整理
 未開のマーケットはたくさんあるここではその一部を整理してみる。
①知識・技術・ノウハウ中心のビジネス
主婦が困っているのは、毎日の『おかず』や『収納』である。『弁当のおかず』『夕飯のおかず』の相談に乗り、 教えながら一緒につくるビジネスがあってもよい。仕事や趣味の世界だけでなく、一般的な生活(健康、食事など)にも高度な知識・技術・ノウハウが必要な時代である。
②機能代行ビジネス
 家事(掃除・洗濯など)を代わりにするという単純なものから、健康状態を考慮して食事や運動メニューを提案するような機能代行。素材の選択、仕入れから、下拵え、調理などを代わりに行うものなどプロが消費者に対して直接機能代行を行うもののバリエーションは限りなく考えられる。
③情報・ビジネスの仲介
 インターネットが発達し、個々の分野の情報。ビジネスが細分化すればするほど横断的にそれらを組合せることの意義は増す。価格.comのような価格比較サイトが支持されるのも、個人でカバーできなかった情報収集と情報比較ということを実現したからである。
④『場』を提供するビジネス
 以前から言っているように、食品スーパーの中に『○○さんの自慢料理コーナー』があってもよいと思っている。ビジネスにするまでではないが、本当に好きでやっている人達は発表する『場』を求めている。人口が減り、高齢化が進む(高齢者の単身世帯が増える)という状況を考えれば身近にある店が地域の『デポ』『コミュニティの場』になることの意味は大きい。

 市町村合併で行政が力をなくしている現状を考えると、このようなことに確実に取組むことができるのは、地域にしっかりと定着した小さな企業だけである。

第8回  小さな企業のメリット-2

1. 小さいということをどのように『理解』するのか
(1) 小さいことのよさを整理してみる
 これまで『スケールメリット』『バイイングパワー』など大きいことばかりがよいことで、小さいことはあくまでも不利というのが一般的な常識であった。
 しかし、環境の変化によって、これまでのように大きな企業が成長し続けることはかなり難しくなっている。
 また、先回、個人商店と企業が経営する店舗のコスト構造の違いについて触れたように、一つ一つ冷静にとらえてみると必ずしも小さなことが一方的に不利ということにはならない。
 特に運営面での違いは、小さな企業が大きな企業と差別化を図り、生き延びていく上でメリットとしうるものが多いと言ってもよいだろう。

 例えば、あるディスカウントストア チェーンではレジの所に1円玉を入れた小さなアクリルの箱が置いてある。精算する際に一円玉が足りないお客に使ってもらうためである。(お客は、状況に応じてその箱から4円まで使ってよいことになっている)
 1円(厳密には1円~4円)足りないために発生する9円(9円~6円)のお釣りの受け渡しは、お客にとっても店側にとっても煩わしい作業である。
 たかが1円であるが、お客にとっては何かとても得をしたように感じるし、店側としても大きなコストをかけずにレジの作業性を高めることができる。
 IE(Industrial Engineering 業務・作業改善のための考え方・手法)的に考えると、お客が財布から小銭を探して取り出す手間とレジで釣銭をピッキングする手間の数が軽減されることでレジの処理時間は短縮される。
 筆者は過去にホームセンターの改装セールで10円未満を切り捨て、レジの精算時間の短縮を図ったことがある。主たる目的は如何にレジの処理時間を短縮し、お客を効果的に流すか(駐車場とレジの流れをよくすることで確実に売上のキャパシティが高まる)ということであったが、結果的にお客からは得をした気分になるということで大変喜ばれた。お客にとっては、レジでの精算が早く済むこと以上に多少の金額でもまけてもらえることにインパクトがあったようである。

 このディスカウントストアの場合、箱に『ご自由にお使い下さい』という旨の表記はあるが、知らない人から見ると募金箱が置いてあるようにしか見えない。
従業員にどのような指導をしているのか定かではないが、お客が小銭を探していても、レジでさりげなく1円玉の使用を勧めているという光景はほとんど見られない。また、お客がそのようなサービス(仕組み)があるということを熟知していて便利に活用しているという様子も見受けられない。

 企業が大きくなり、パート・アルバイトなどさまざまな身分の従業員が増えてくると運用はどうしてもマニュアル任せになる。
どんなによい仕組みを考え出しても、その趣旨を皆が理解した上で運用に当たらない限り、本来の目的通りに活用することは難しい。
 3店舗、5店舗なら比較的容易にできることも50店舗、100店舗という規模で、しかも一定以上の水準を維持しながら実施することは難しい。
 小さな企業であれば運用に当たる人数も限られる。店数が少ない、従業員数が少ないことをメリットとして活かすことは小さな企業にとって重要な戦略の一つである。

(2)小さなことのメリットを活かす取り組み
 筆者が小さな企業に指導している内容は、『大きな企業がやりたくてもできないことをやることで差別化を図る』ということである。
 小さな企業が大きな企業と伍して戦う、あるいは大きな企業を超えてより有利な状況を創り出そうとした場合、お客に喜ばれることでありながら大きな企業では簡単に対応できないことを徹底的に洗い出して取組むとよい。
 『全てはマニュアルを超えたところにある』と考えてよいだろう。

①従業員が普段から飴やゼリーを用意しておき、小さな子供が来店すれば保護者に『あげてもよいか』という確認した上でそれを子供にあげる。子供にとって、なくてはならない店舗である。
②ある園芸店では、雨が降ると生もの(苗や鉢物といった植物)が2割引になる。雨による客足の減少を逆に増加に変える有効な手立てとなっている。しかし、チェーン展開するホームセンターが全社的に取組むにはなかなか難しい。
③ある八百屋では、買い物客の顔を覚えており、いろいろな商品をまけてくれる。また、半端に残ったものであれば無料でくれたりもする。全ての商品をパックしてしまい、売場に従業員がほとんど現れることもない食品スーパーでは考えられない。
④ある八百屋では、食品スーパーでは絶対に手に入らないような珍しい商品を取り扱っているだけではなく、調理の仕方、美味しい食べ方なども教えてくれる。
全ての店で扱えないような少量の商品、セルフサービスで売れない商品(接客しないと売れない商品)は扱わない食品スーパーでは、とても対応出来ない。
⑤あるドラッグストアでは、一定以上の金額を買上げたお客に試供品や粗品、低価格の商品(特に原価率の低いものであれば、お客に見える商品価格の割にロスが少なくて済む)などをさりげなくあげる。
⑥あるドラッグストアでは、先に挙げたディスカウントストア チェーンの真似をして1円の半端が出た場合には、お客に1円玉の提供をしている。状況によっては端数を割り引くこともする。          .............等々
                            
 一つ一つをとらえてみれば、別にたいしたことではないようにも思えるが、実際にこのようなサービス(厳密にはサービスと言うよりは販売促進のパターンと考えた方がよいだろう)を提供している店舗はほとんどない。
 昔であればあったかもしれないこのようなサービスもチェーンストアばかりの現代にはなかなか実施することが難しい。
 理由は簡単である。従業員による『不正』の温床となるからである。
 チェーンストアの運用で重要なことの一つは、従業員による不正の可能性を仕組みによってことごとく排除することである。
 さまざまな人が従事する大きな企業では、従業員の裁量による金品の授受を極力避けなければ、何時、何処でどのような不正が発生するか分からない。特に小売業の内部事情をある程度熟知した者であれば、不正を働くことはさして難しくないということも大きな要因となっているだろう。
 アメリカでPOSの普及が進んだのも従業員による『不正』を極力避けるためという理由があったと言われている。
 企業規模が大きくなれば不正の規模も計り知れなくなる。企業が正当な利益を確保し、組織を統制していく上では重要なテーマである。

 しかし、お客の立場からすれば、そのためにつまらない買物を強いられていることも事実である。ここに挙げた事例のどれ一つをとっても、自分がお客として買物をした時にしてもらえれば嬉しいことばかりではないだろうか。
 ある意味では買物の楽しみ、醍醐味と言ってもよいのかもしれない。
その証拠にアメ横へ行けば相変わらず叩き売りのような売り方が支持されているし、値引きしない販売などは考えられない。
 例え5,000円の表示がある冷凍マグロが何時でも1000円で買えたとしても、誰も不当表示だと騒いだりしない。お互い分かってやっているのだから、その雰囲気の中で買物が楽しめれば十分である。
 大きな店をたくさんつくって、マニュアルでがんじがらめにし、買物の楽しみを奪ってしまったのがチェーンストアだとすれば、もう一度買物の楽しさをお客に取り戻すことができるのは小さな企業と言うこともできるだろう。

2.構造の見直し
 小売業の成り立ちを考えて行くと『市』というものにたどり着く。余分にできた物、余分に採れたものの交換、売買が発展し、専門に作る者、専門に採る者、専門に売る者というように役割分担が進み、現在のような製造、物流、販売などへと機能分化している。
 しかし、人口が減り、高齢化する中で物も店舗も溢れ、これまでのように物はたくさん売れなくなっている。
売ることに特化した小売業がその規模故に高コストとなり、自店を維持することが難しくなる日が来るかもしれない。
 筆者の自宅近くでは、小規模農家が無人販売所を数多く設置している。品質はまちまちであるが、ほとんどの物が100円という価格であり、中には食品スーパーよりもはるかに価値観のあるものが数多く見受けられる。
 もし、これらの無人販売所を一箇所に集めたら簡単な『市』ができることになる。
食品スーパーでなくても、とりあえず必要な野菜くらいは揃う。足りない物は食品スーパーで買えばよいから、毎日全ての商品が揃う必要はない。それでも、これまでよりもはるかに新鮮で品質のよい野菜が安く消費者の手に渡るようになるかもしれない。
 すでにインターネットによるオークションやテレビ通販などで店舗を構えた小売業の役割は綻び始めていると言ってもよいが、このような無人販売所を有効に活用する企業が現れてくると、さらにその綻びは大きなものになると考えられる。
 大きな企業にとっては自己否定になるから、分かっていてもなかなか取組むことはできないだろう。
 これまで絶対のように思っていた流通構造に大きな変革をもたらすことができるのは小さな企業、あるいは流通以外の発想豊かな企業になると考えられる。

 小さな企業のメリットの一つは、小回りが利くことである。大きな企業と違って、守るべきものが少ないだけに自由な発想で事業を組み立てることができる。
 小さな企業にとってチャンスの時代と言ってもよいだろう。

第7回  小さな企業のメリット-1

1. 個人商店と企業の構造的な違い
(1) 一つのシミュレーション
 例えば、60代の夫婦が薬店をやっていると仮定する。夫が薬剤師、妻は薬種商である。店舗は自宅を兼ね、ローンの返済も終了している。子供は既に独立している。
 この夫婦の生活=薬店の経営は、いったい、いくらの売上があれば成り立つだろうか。
 すでに、ローンが終わり、子供も独立していることを考えれば夫婦二人の収入は1000万円も必要としない。住んでいる地域にもよるが、600~800万円もあったら十分だろう。店舗はそれほど大きくもなく、医薬品、衛生用品など高粗利商品が中心になるから、粗利率は25%、どんなに低く見積もっても20%以上確保できる。
 経費は、照明などの電気代と包装用品、POPなどの販促媒体、用度品など販売費が多少かかるくらいである。月10~20万円もみれば十分である。
 このようなケースであれば、粗利額のほとんどは夫婦の収入と考えてもよいだろう。
 この条件から、年商を算出してみると次のようになる。
 粗利率20%で年収600万円とすると年商は3000万円、月10~20万円の経費を加えたとしても一ヶ月当り260~270万円程度の売上があれば成り立つ。客単価1000円とすると一日当り100人の客があればよいことになる。
 同条件で年収800万円なら年商4000万円(経費を加えた月商は約350万円)である。もし、粗利率が25%あれば、さらに年商は少なくてすむ。年収600万円で年商2400万円(同 月商約220万円)、年収800万円で年商3200万円(同 月商約290万円)である。
 現在、この売上規模で経営が成り立つドラッグストアは存在しない。このケースの年商金額が月商(つまり年商に換算すると2~3億円)にならないと企業が経営するドラッグストアは成り立たない。
 ペットショップなどを見ても、一時期のブームで参入した多くの企業が挫折、撤退していったのに対し、昔から続けてきた個人商店はしっかりと生き残っている。
 長年培ってきた地域との密着度、経験と専門知識、それ以外にも上記のような経営の構造的違いは大きな差となって現れる。

(2) 小売業の構造的特徴
 売上が伸びている限り、多少の投資をし、経費がかかっても企業の経営は成り立ってきた。しかし、競争が激しくなり、思ったように売上の伸張も見込めなくなると小売業特有の利益/経費構造が裏目に出てくる。
 『損益分岐点が高く、経費が固定費的に発生する』ため、売上が一定規模を超えて伸び続ける限り、利益は級数的に伸び続けるが、一度売上が落ち込むとすぐに赤字に転落する、という売上偏重型の利益/経費構造である。

 コンビニエンスストアが高い利益を出している理由も実はこんなところにある。
フランチャイズのチェーン本部とチェーンを構成する店舗(フランチャイジー)の間には直接的な資本関係がない。あくまでも契約関係によってさまざまな経営ノウハウを提供しているにすぎない。
 直接店舗運営に当る膨大な数の従業員もフランチャイズのチェーン本部とは関係ない。当然、社会保険などは関係ないし、必要となる教育も自社のコスト負担(支出)ではなく、ロイヤリティーという形の売上(収入)として計上できる。
 もし、全ての店舗を直営として運営しようとすればコストは膨大なものとなり、経営は成り立たない。経費構造が全く異なる個人商店を組織化したからこそ成り立つ経営システムである。

2. 環境変化がもたらす企業規模・店舗規模の有利、不利
(1) 環境変化
 以前から言い続けているように、我国は極端な少子高齢化から今後100年以上に渡り急激な人口減少に向かう。
 この環境変化は大型店、大型企業よりも小型店、小型企業に有利に働くと考えられる。

①我国の人口は、今年(2005年)か来年(2006年)に約12,780万人でピークを迎え、その後100年以上の長期に渡って減少し続ける。
『日本の将来推計人口(平成14年1月推計)』(国立社会保障・人口問題研究所  http://www.ipss.go.jp/ )によると20年後の2025年には約650万人減(年平均約33万人減)の121,136千人(中位 推計値)、2050年には約2700万人減(年平均60万人減)の100,593千人(同)、2100年にはおよそ半分(年平均68万人減)の64,137千人(同)になるという。
1年で鳥取県、7~8年で四国や北海道に相当する人口が減る計算である。
( 5年前の平成9年1月時点の推計値よりもはるかに減少のスピードは増している。平成14年1月の推計値も平成19年、平成24年と年を追うごとにさらに大きくマイナス方向に修正される可能性がある。)

②国土交通省が明らかにした資料では,人口の減少により2006年-2010年の新規宅地需要は2001年-2005年の3分の2まで減少し,5年間でおよそ1万ヘクタール(総宅地面積の約1%,東京ディズニーランドの120倍に相当)もの余剰が生じると予測している。
地価の下落により、地方に拡散(ドーナツ現象)していった人口は全国的規模で都市部へ集中(アンパン現象)し始めている。人口集中と過疎という状況は人口だけではなく、資金、物、情報、そして公共などあらゆる面での二極化を生み出す。
このような状況は市町村合併によってさらに加速されると考えてよいだろう。

③日本のほとんどの県で人口が減り、かつ高齢化が進む。
2000年の人口を100とした場合の2030年時点の人口推計では、70以上80未満が 2県、80以上90未満が28県、90以上100未満が13県である。
人口が増えると予測されたのは、わずかに東京都、神奈川県、滋賀県、沖縄県の4都県のみである。
市町村レベルで見ると、さらに状況は深刻である。全国的に見ると、たった30年の間に人口が半減すると推計された自治体はかなりの数に上る。
インターネットから簡単にダウンロードできるので、自社店舗が位置する自治体が将来どのように変化すると推計されているのかチェックしておくべきだろう。
(国立社会保障・人口問題研究所 日本の市区町村別将来推計人口平成15年12月推計
 http://www.ipss.go.jp/pp-shicyoson/j/shicyoson03/syosai/syosai.html )
撤退するのか、その地に残って地域活性化のために活動するのか。
状況を冷静にとらえ、正しい判断が求められる。

④商品販売額は、1997年147.7兆円でピークをつけ、その後2002年135.1兆円、2005年には128.9兆円まで減少する。一方、売場面積は1997年12,808万㎡から2002年14,062万㎡と増え続け、現在もなお増え続けている。
1,997年から2005年まで商品販売額が1割以上減っている(しかも、その間テレビ通販、電子商取引などが急速に伸びているので、店売りの減少は数値以上)にも関わらず、売場面積は逆に1割以上増加している。単純に考えても単位面積当たりの売上高は7~8割になる。

(2) 環境変化がもたらす規模的な有利、不利
 足元人口の減少と高齢化は我々の想像をはるかに超えた形で進むと考えられる。
また、無店舗販売への購買チャネルの変更は、これまでの店舗間、SC(ショッピングセンター)間のような目に見える競争とは全く異なる状況をつくり出す。
既に百貨店の売上を抜くといわれる無店舗販売への購買チャネル変更は、店舗側からは全く見えず、明確に認識することは不可能といってもよい。気づかないから、どんなに侵食されようと状況を放置するしかないし、何の抵抗もできない。
 このような環境変化に対しては、大規模企業、大規模店舗ほど対応が難しくなると考えられる。
 大規模店舗は、店舗を維持するのに必要となる売上規模が大きい(損益分岐点が高い)。一時期NSC(近隣型ショッピングセンター)中心に郊外への大型出店が相次いだが、今後のことを考えると地方に行けば行くほど人口減少が進み、売上の確保が難しくなる。
 大型化するのは、複合化することで競争力をつけ、商圏(=商圏人口)を拡大することが目的であるが、一方ではイニシャル・コスト、ランニング・コストも大きくかかる。
 もし、維持するために必要な売上規模が確保できなくなるほど足元人口が減れば、例え地域一番店であってもそこに留まることは経営的に難しくなる。
 環境変化は、結果的に小回りが利く小型企業、小型店舗に有利に働くと考えてよいだろう。特に個人商店のような経費構造を持つ店舗、楽天などのWeb上で成り立つ小型企業あるいは個人(電子商取引を行う業者)は、店舗を前提とした小売業者よりもはるかに低い損益分岐点=かなり少ない売上でも生き延びることができる。関連企業同士が連携(コラボレーション、企業間ネットワーク)を図るため、自社では大きな資本投下をしない。
 また、大規模企業、大規模店舗が何十年もの間につくり上げてしまった機械的にしか動けない現場(サラリーマン的社員、パート・アルバイト)とは異なり、小回りが利く小型企業、小型店舗は目的意識も明確であり、一寸したチャンスでも見逃さずに商売につなげていく(ただし、規模が小さいだけで大規模企業、大規模店舗と同様な体質になっている企業、店舗には難しい)。
 結果的に、小型企業、小型店舗は大型企業、大型店舗が環境変化に対して構造的に対応できず、自滅することで飛躍するチャンスを得るケースが出てくると考えられる。
 大型店調査などの結果を見れば明らかだが、100億円を超える店舗の中には単年度で10億円を超える減収を起こすケースが珍しくない。小型企業、小型店舗が十分に潤うことができる金額である。

 運さえ良ければ努力なしでも恩恵にあずかることは可能かもしれない。
しかし、あくまでも環境変化がもたらすものであるから、環境変化に適応し、何処にマーケットチャンスがあるのか、目ざとく、しかも機敏に動く必要がある。
 このような環境下で小型企業、小型店舗のよさはいくつもある。
まず、意思決定が迅速にできる。個別の状況に対して細かな対応も可能である。しかも現場の修正まで短時間でできる。さらに損益分岐点が低く、小規模でもペイすることができるから、細かな売上を積み上げることもできる。大規模企業、大規模店舗には絶対真似のできない領域である。

 冷静になって自分の周りを見直してみれば、大規模企業、大規模店舗の真似をして全く同じことをやっていることが数多くあるのではないだろうか。
また、上記のような視点から物事を見直してみれば、今まで気づかずに放置してきたマーケットチャンスも多々見えてくるのではないだろうか。
 そこが『新たな時代へのスタートライン』である。

第6回  小さな企業のメリット、デメリット-1

1. 小さな企業に見られる共通点
(1)小さな企業に見られる共通点     
 大きな企業に共通点があるのと同様に、小さな企業にもいくつかの共通点がある。
特に長い歴史を持ちながら大きくならなかった(なれなかった)企業には、創業以来極端な拡大を志向してこなかったという企業が多い。
 拡大を志向しないことによる違いはさまざまな面に現れている。
①人で動く
 基本的に社員数は少ない。長い間固定されたメンバーで運営されており、人の入れ替わりは少ない。組織や肩書きが変わっても、メンバーはいつも同じだから、全体的に大きく変わることはない。
 人の要素が強く、人だけで動いているようなところがある。チームワークがよく、上手く動いている場合はよいのだが、組織内が変にバランスして動きにくくなっているケースでは状況を打開することがなかなか難しい。
 多様な知識、経験、価値観などに触れる機会が限られるから、ものの見方、考え方もそのような限られた環境の中で形成される。
 ある意味では『のんびりしている』と言えるが、多分に好き嫌いだけで動いているような面もある。現在のような難しい時代には無防備な組織である。

②シビアさの欠如
 拡大を志向しなかったことであまり経験的に持ち合わせていないのが、仕事に対するシビアさ(確実に結果を出す)、人に対するシビアさ(結果を要求し続ける)、競争に対するシビアさ(戦略的に展開し、ある程度の犠牲を払っても確実に相手に勝つ)だろう。
 どれも実行力、徹底力と通じるものであるが、ベースにあるのは何が何でも結果を出すという精神的なタフネス、厳しさである。
大企業組織では、結果を求めるあまり自分の好き嫌い(自分の信条に合っているか否か)、道徳、世間の常識、物事の道理など『一人の人間』としての価値基準と関係ない ところで無人格に動いているようなところもある。法に反することまでは別としても、結果を出すためには時として信条的にやりたくないこと、決して褒められないようなこともやらざるを得ない。
 自分の意志とは関係なく、会社(無人格で責任の所在が見えない)の命令、上司の命令で半強制的な返品や値引き、リベートなどの交渉(一方的だから交渉にはならないが…)などもやらざるを得ない。
 『仕事のため』という理由で高圧的、威圧的な態度を取ることが必要な場合もある(分かって演じている内はよいのだが....)。
 本音だけでなく、あえて建前を押し通すことも組織としての規律を守り、確実に目標が達成できる土壌をつくりあげる上では重要となる。
よい意味でも悪い意味でも『仕事だから…』『会社のために…』という理由によって、ある程度のことが抵抗なくできる組織でないとなかなか大きくなれないのだろう。
 この一線を超えられるか否かが、企業が大きくなれるかどうかの境目であるような気がする。
 逆な言い方をすれば、さまざまな関係において、ある意味では『人間的に』、ある意味では『ルーズな状況を放置して』いては大きくなることが難しいということだろう。
 どちらも一長一短あるから、ケース・バイ・ケースで使い分けるバランス感覚が必要だと思うが、いずれにせよ、曖昧さ、シビアさの欠如が実行力、徹底力の弱さにつながっていることだけは確かである。

③重要な経営者
 小さな企業では、社会的に見ても経営者=企業と言ってもよいから、資金調達も、人材集めも、さまざまなコネクションもすべて経営者次第と言ってよいだろう。
言い変えると、経営者を超える社員、あるいは経営者を超える組織が出現しない限り、経営者自身がその企業の壁となり、その企業の限界となってしまうことになる。
 経営者が自分独りでやっている内は、組織が大きく発展することは難しい。
重要なことは、周囲にいる人達を存分に動かすことで自分独りでは成し遂げることのできないことを実現していくことである。
 存在意義のある特徴的な企業を創りあげてきたのは経営者であるが、逆にその企業が更なる発展をする上で大きな障壁となるのもまた経営者自身である。
 多くの企業に見られる共通点である。
 資金調達もたくさんの担保を持つ大企業と比べたらはるかに難しい。会社の担保=社長と考え、それだけで大金を貸してくれる銀行も少なくなっている。
 人材集めも企業の知名度、安定性、成長性がなければなかなかよい人材は集まらない。小さな企業であればあるほど『人』が重要な意味を持つから、人を集めることができるだけの魅力を『会社の顔である社長』、そしてその会社の『事業そのもの』が持つ必要がある。

(2)小さな企業の構造的特長
 小さな企業のメリットを認識し、活かしていくためには、小さな企業の持つ構造的特長をよく知っておく必要がある。
常識的に考えれば、小さな企業が大企業よりも人、物、金が集めにくいのは当然である。しかし、それ以上に小さいことと共通して、経営を難しくしている要素は多い。
①実行力、徹底力が発揮できない構造
 小さな企業に共通して認められる弱点は、実行力、徹底力の弱さである。これは先に述べたように『人』だけで動いているということに起因する。
先に『微妙にバランスして....』という表現を用いたが、長い間一緒にやっている限られた人達で動いているから、決め事が徹底されなくてもどこかそれを認めてしまう、あるいは諦めているようなところが組織の中にある。
 組織上の役職とは関係なく、ある人の言うことであれば従うが、別の人の言うことだと聞き流して実行に移さない。事実上の組織(インフォーマル組織)が組織図(フォーマル組織)とは別に存在しているから、組織としての規律(指示命令系統)が守られない。
 したがって、組織的なルールに従って指示を出しても簡単なことがなかなか実行できないし、徹底することも難しい。
 当然、仕事もそれぞれの考え方、やり方で行っているから、組織内で統制を取ることは難しい。個々に行われる仕事に整合性がないから、その狭間でさまざまな問題がランダムに発生する。
 組織が出来上がっていない、業務が安定していないから、何かあると一部の限られた人間が動き回って処理をする。いつでも後始末をしてしまうから原因が放置され、改善されることはない。
 特定の人が皆の知らないところでどうにかしてしまうから、いつまで経っても問題が明らかにならない。どんなに不都合なことが起こっても内々に処理されるから一部の人にしか深刻な状況は認識されない。
 特に小売業の場合、タイミングを逸したらやっても意味のないことが多いから、やらなければやらないで済んでしまうケースが多い。忙しければ、いちいち細かなことにこだわってもいられないから、いつも中途半端な状態が放置され、常態化する。
 組織ではなく、個々の人がそれぞれで動いているから起こることである。
 このような組織の特性を活かしながらどうにか動いていこうとすれば、何時でも目を光らせ、怒ったり、宥め賺したりすることができる『番頭』や『鬼軍曹』が必要である。

②組織の意識  
 経営者がいつしか自社を大きくしたいと考えるのは経営者として当然の夢である。
その原動力としてさまざまな企業、経営者との触れ合いやマス媒体などを通じた情報=刺激との触れ合いがある。
 しかし、経営者が社外に出てさまざまな情報を得、刺激を受けるのと比べると従業員が日常的に触れることができる情報=刺激の量ははるかに少ない。
 したがって、経営者が夢を膨らませたからといって、従業員が同様な意識を持っているかというと必ずしもそうではない。
 情報=刺激が少ないということもあるだろうが、現在自分が置かれている環境に大きな疑問を抱くこともなく、一定の範囲内で安定的に仕事を続けたいという意識は強い。
 テレビや新聞で報道されるような企業の出来事は、自分とは別世界、無関係の出来事であり、現在の自分、現在の仕事、現在の職場、現在の会社が大きく変化することなど想像もできない、というのが実情だろう。
 この意識のギャップは、さまざまな面で障害となる。
 重要なことは、日本には例え小さくても、世界的レベルの技術を持った企業や職人、中にはパート社員もいるということを知ることであり、自分たちにもその可能性があるということを組織全体が共通認識として持つことだろう。
 そのような共通認識を前提として、企業としての共通目標を持つことができれば、現状に甘んじることなく、どんどん進化することは可能である。
 自分たちの強み、弱み、他社との違い=特徴を正しく認識してこそ、次のステップを踏み出すことが可能になる。
 大きな企業、特に上場企業は常に外部から業績を評価され、限られた時間の中で結果を出すことが求められている。だからこそ多少乱暴なやり方でも実行に移し、結果を出さざるを得ない。
 従業員もそのような対応に慣れているから、割り切って動くことに何の疑問も持たない。要求されることが多く、かつ厳しくても、それが自分たちの仕事だと思えるから、実行できる。
 環境が違うと言ってしまえばそれまでだが、組織としてそこで行われている仕事の質、意識の違いは明らかである。

 小さな企業が自分たちの特長を活かすためには、まず自分たちの意識を変えるところからスタートする必要がある。
 『自分たちにもできる』という意識の上に長所、短所をよく認識し、どこに勝機があるのか知恵を使うこができれば、大企業を超えるようなことも可能になるだろう。

第5回  なぜ、大きな企業がダメになっていったか-4

■なぜ、大きな企業がダメになっていったか-4   
―イノベーション(革新、刷新、一新)の停止とモチベーション(動機付け、刺激、やる気)の喪失―
1.巨大化に伴い組織に発生する問題点
(1)組織が巨大化することによって発生する構造的問題
意図的に組織を拡大することは少ない。組織が大きくなるのは、組織機能の拡充を目指した結果であり、多くの場合、必ずしも望んで大きくすることはない。
組織を細分化する目的は、機能拡充(機能的なモレ・重複の排除)、機能分化による役割分担の明確化と業務の専門化による業務の質的向上、言い換えれば組織の効率的、かつ安定的な運用の実現ある。
しかし、これまで数多くの事例が示すとおり、組織の巨大化に伴い官僚化、組織の硬直化などの弊害が発生する。企業にとって避けては通れない難問である。

さまざまなジャンルの業務について、一人の人間、あるいは一つの組織が一定以上のレベルで対応するには限界がある。
ビジネスが拡大し、直面するさまざまな状況に対して的確に対応をしようとすれば、業務/組織を細分化していくことは、いたって自然な進化の方向である。
業務/組織が分化する方向は、経営企画、財務、経理、総務、人事、教育、情報、商品、販売、物流、店舗開発、施設管理などの機能別、あるいは取扱う商品ジャンル別、営業拠点のエリア別、商品の仕入先・販売先別などさまざまである。
また、業務目的の確実な達成を目指せば、マネジメントサイクル=Plan、Do、See(あるいは管理のサイクル=Plan、Do、Check、Action)も重要な機能分化の一つの方向となる。
いずれにせよ一人の人間、あるいは一つの組織が対応可能な範囲内に業務を納めてオーバーフローをなくすこと、組織全体として機能的なモレや重複をなくし、バランスよく補完し合うシステム的な業務/組織を実現することが最終的な目的となる。
しかし、前述のように業務/組織が細分化することによって『縦割り組織の弊害』『官僚化』『組織の硬直化』などさまざまに表現される状況が発生する。
組織が細分化すると組織全体は確実に巨大化する。組織が細分化し、巨大化すると組織運用は細分化した以上に複雑なものとなる。
細分化し、役割分担して実施する業務は、いずれどこかの段階で統合していく必要がある。統合する際、個々に進めている業務の方向や結果がバラバラで整合性のないものでは統合できないため、分担しながらもその途中で何度も調整する必要がある。
タイミング的には、はじめの役割分担に関する調整、業務を分担して進めるプロセスでの調整、最終的に統合する際の調整などさまざまな段階での調整が必要になる。
いったいどのくらいの調整が必要になるのか、試しに計算してみると次のようになる。
一人で総ての業務を行うのであれば、インターフェイスの数はゼロである。一番原始的な状況であり、機能的には未分化であるため機能のモレや弱体の可能性は高い。しかし、自己完結しているために調整を必要としない。
2人で分担することによってはじめて2人の間に調整を必要とするインターフェイスが生じる。この時点でのインターフェイスの数は1つであり、機能的にはまだ未分化な状況である。3人の場合、インターフェイスの数は3となるが、細分化した数とインターフェイスの数が同じである。
4人からインターフェイスの数は級数的に増え始め、細分化した数を大きく上回る。4人では6、6人では15、8人では実に28ものインターフェイスが発生する。
組織の細分化とインターフェイスの構造的な関係である。
特にピラミッド組織が細分化すると組織の階層数が増えるため、細分化する組織の数自体が級数的に増える。インターフェイスの数は、それに輪を掛けて増えるために実質的にインターフェイスを無視した運用となる。『風通しが悪い』『セクショナリズム』『官僚的』などと表現される所以である。
ここで試算したのは、あくまでも役割分担をした場合のインターフェイスの数であり、実際の運営で必要となる調整の総数は、これらのインターフェイスの数に業務プロセス(時間的な流れ)の中で必要となる調整の数を掛けたものとなる。
組織の細分化によって、如何に組織運用が複雑なものとなるか理解できるだろう。
これらの調整を行うために、調整機関としてのミーティングや委員会、会議などが必要となるだけではなく、日常的に調整を行うための管理・監督者=中間管理者も必要になる。
このように組織機能を拡充しようとして組織の細分化を図ると、組織間を調整するための業務と人員が増え、組織全体を構成する要素(個別組織、人員)は膨れ上がる。
つまり、組織機能を拡充し、役割分担を行って業務を専門化することは、同時に組織目的とは直接的に関係のない、組織運営上の調整機関(業務/組織)、中間管理職という間接的な業務、人員を大量に生み出すことになる。
本来の意図とは別に、細分化するということが構造的に抱える問題点である。

(2) 組織の肥大化、複雑化に伴うイノベーションとモチベーションの喪失
店舗数が増え、企業が大きくなると、組織は巨大化し、運用はますます複雑になる。
人員は増え、インターフェイスは限りなく増加してコミュニケーションをはかることは困難になる。満足にコミュニケーションをはかることができなければ、組織目標を全体に徹底することは難しくなり、モチベーションを維持することも困難になる。
特にチェーンストアが、規模による市場支配を目指す限り、組織は際限なく肥大化する。自分の企業内にどのような部署があるのかも定かではなく、ましてどのような人が、どのような仕事をしているのかなど全く分からない状況が当たり前になる。
顔が見えない組織のコミュニケーションがまともに成立することはない。詳細な状況を伝えることも、微細なニュアンスを伝えることも、相手の状況を理解することも、もはや不可能である。
決定事項を速やかに伝達し、実行に移す手段はマニュアルに頼るしかない。
マニュアルでは原理原則を決め、個別の状況に対する判断=実態への応用は個々の現場に任せるのが通常である。しかし、肥大化し、無人格化した組織では、個別の状況までも詳細にマニュアルで規定し、マニュアルで総てを管理する。個別に状況判断することを止めるしか、組織を動かすことができなくなる。
人を介した組織運用は失われ、より機械的な組織運用へと向かわざるを得ない。
現実問題として現場で実行不可能なこと、有得ないことが書いてあっても一度マニュアルとしてオーソライズされてしまえば、組織の中ではそれが基準となって一人歩きする。
実態を反映しない、使えないマニュアルは現場から無視され、明らかにおかしな記載があっても皆が盲目的にそれに従う、などの現象が日常化する。
『組織の硬直化』と言ってしまえばそれまでだが、意思の疎通が図れない、顔の見えない無人格な組織に共通する現象は、信じられないような事態を引き起こす。
肥大化した組織、マニュアルによる組織運用は、多くの場合『意思表示しない人』『意思決定しない人』『責任を取らない人』ばかりをつくり出す。
時として、常識では全く考えられないようなおかしな意思決定も組織の決め事となって堂々と行われる。顔の見えない組織の無人格ゆえの暴走である。

2.イノベーション(革新、刷新、一新)の停止  管理者の保守化
意思表示しない人、意思決定しない人、責任を取らない人が増えると組織はイノベーション(革新、刷新、一新)することを忘れる。
最近では、プロ野球の球団所有が電鉄系企業中心からIT企業に変わり、またライブドアによるニッポン放送株の買占めが注目される中で『古い体質・価値観と自由奔放な現代風の価値観の対峙』ということが話題になっている。
本質的にはいずれも同じだろう。昔の成功体験、価値観はいずれ保守化してイノベーションを阻害する。
至る所に矛盾を抱えながらの組織運営が当たり前になると、組織を維持することだけが目的となり、自浄機能を失っていく。
以前、東京都が財政危機に面して組織改革を目指した時、組織改革のための会議を開くというだけで7つ、8つの印鑑を押す(承認を得る)必要があった、という。
POSを活用した単品管理で有名な総合スーパーの傘売場では、長傘の在庫の3割近くがダークグリーンで占められていた(売上構成比と全く合っていない)。
どんなに高度な情報システムを組み込んでも、結局それを使って実行に移すのは『人』である。おかしな状況が、誰にもチェックされずに放置されているのでは高度な情報システムも業績悪化を食い止めることはできない。
組織が自浄機能を失った時、組織が抱える問題は日常化し、改めて問題として認識されることがなくなる。我々がよく言う『何が問題か分からないのが問題』という状況である。
組織のあらゆる階層にいる管理・監督者は保守化し、形骸化したルーチン業務以外取り組もうとはしない。
組織全体の危機意識は薄れ、最悪の場合、トップマネジメント、ミドルマネジメント、ロワーマネジメント 総ての階層においてそのような傾向が見られるようになる。
競争の激化によって企業がダメージを受けるのとは異なり、『企業組織が内部から崩壊する』構図である。

店舗数が増え、企業規模が大きくなることは成功の証であり、決して否定すべきものではない。しかし、規模の拡大がもたらす構造的問題をよく理解し、それを克服する術を持たない限り、このような状況は必ず繰り返される。
歴史に学び、新たな歴史を創ろうとすれば『成功体験』が保守化を生み、企業組織を破滅させていくことを知るべきである。
イノベーションの停止とモチベーションの喪失は、多くの企業が規模の拡大に伴って経験する、避けては通れないテーマである。
知恵を勇気を持って対処する必要があるだろう。

第4回  なぜ、大きな企業がダメになっていったか-3

1. 総合化・大型化と専門性の喪失
(1)総合化=ワンストップショッピングに関する勘違い
小さな業種店が、いつしかお客に利便性を提供するために取扱商品を増やし、複合化していった。ワンストップショッピングの起こりである。
ワンストップショッピングは、お客の利便性(とりあえず必要な物が一箇所で揃う)を確保するために自然発生的に生まれた概念と考えられる。
まだ、商品も乏しく、供給するチャネルが限られていた時代のことである。
現在、店舗は著しく増加し、全体的に大型化した。類似商品を取り扱う類似店舗が増え、オーバーストアは常態化している。業態は細分化し、大型専門店・カテゴリーキラーなど商品ラインに特化した業態しか生き残れない分野も明らかになりつつある。
一般消費者が入手可能な情報量は飛躍的に増え、情報誌やインターネットを通じてさまざまな商品情報を瞬時に入手することができる。さらに、さまざまな形態の通信販売によって商品情報とともに商品そのものも容易に入手できる。
価格比較サイトでは、商品の価格比較だけではなく、その商品を実際に購入し、使っている人達の生々しい声(良い点、悪い点、分からないこと、アドバイスなど)を知ることができる。
このような時代に、ただ多くの商品を物理的に集めて店舗に並べ、『お客の利便性=競争力を高めるためのワンストップショッピングの実現』と言うのでは、時代錯誤と言わざるを得ない。インターネット上には、はるかに多くの商品が揃いこれまでとは全く違う次元でワンストップショッピングを実現している。
『物』も『商品を供給するチャネル』も乏しかった時代から考えれば、『お客が買物する環境自体』が大きく変わっている。現在の環境下で『お客にとっての利便性とは何か?』ということを改めて見直す必要がある。
もし、商品ラインを複合化することによってお客の買物に利便性を提供しようとするのであれば、漠然と『商品を集める』のではなく、具体的にお客の買物の仕方を調べ、利便性を高めるために関連させる商品を特定すべきである。
これがMD(Merchandising)戦略の基本的な柱である。
例えば、用途・機能別で関連付けることが有効であればハード(器具、用品)とソフト・消耗品・メンテナンス用品などの組み合わせであるし、頻度でとらえるのであれば衣食住に関係なく購入頻度によって関連づけた商品のラインアップをすべきである。
以前、大型DSが極端な用途・機能MDを展開したことがある。
掃除関連は掃除機+バケツ+モップ+住居洗剤、洗濯関連は洗濯機+乾燥機+物干し台+物干し竿+四角ハンガー+ピンチ+衣料洗剤+仕上げ剤、...という具合である。
家電製品から器具・用品、消耗品までを用途・機能別に集めてみたが、お客の混乱を招いただけで、すぐに元に戻している。
いくら用途・機能と言っても、お客は高額な耐久消費財と日常的に消費する洗剤などを同じ売場で同じように買うことに対して違和感を覚えている。
この実例から分かることは、いくら商品をまとめて揃えたからといって、それだけでは『お客に利便性を提供するワンストップショッピングにはならない』ということである。
店舗を大型化する理由の一つに商品ラインの複合化・総合化=ワンストップショッピング=お客に対する利便性の提供=他社との差別化・競争力アップ、...等々を挙げるケースは多い。しかし、それは大昔からそのように言われてきたということであり、『ただ品集めをしているだけ』というのが実情だろう。
本当の意味で『お客にとっての利便性』を理解しない限り、巨大迷路のような売場の中でお客に商品を探させ、かえって混乱させるだけである。
実際にさまざまな商品の組み合わせを売場で実験し、検証しなければ、お客に利便性を提供するのに『有効な商品の組み合わせ』、『やっても意味のない商品の組み合わせ』、『かえってお客を混乱させる商品の組み合わせ』を知ることはできない。
ペットを例に取れば、『犬』という対象をベースに生体、フード、用品、トリマーなどのサービスを複合化させた方が有効なのか、それとも『生体』『フード』『用品』という大きな商品分類の中で、生体なら生体だけで犬・猫・小鳥・小動物・魚を集める、あるいはフードならフードだけで犬・猫・小鳥・小動物・魚用フードを集める、用品なら用品だけで犬・猫・小鳥・小動物・魚用品を集めた方が有効なのか。
豊富な商品情報、専門知識、経験を持つお客は、漠然と集めただけの商品が並んだ売場に決して満足しない。極端に言えば、犬を飼っている人にとって犬に関する用品やフードは重要であるが、他の動物は一切興味がない。他に付いても全く同様だろう。
何処にでも売っているようなペット関連の商品が、ただ漠然とたくさん並んでいるよりも自分の興味の対象となる商品が数多く揃った店舗の方が利便性は高く、良いに決まっている。
店舗・売場はどんどん大きくなるが、売場を埋めるために、売りやすい商品ばかりをいくら集めてみてもバイヤーは育たないし、専門性=競争力も失われていく一方である。

(2) 規模の競争と質の競争
総合化をすることによって専門性を喪失してきた業態の典型は総合DSとGMS(総合スーパー)である。
類似店舗・類似商品が溢れる時代に、消費者はどのような商品を、どのような店舗で、どのようにして買いたいと考えるだろうか。
日常的に高頻度で購入する消耗品は、とにかく安いことが重要である。ただし、何でも安ければ良いというのではなく、多少高くてもPB(プライベート・ブランド)商品よりもNB(ナショナル・ブランド)商品の方が信頼できる(ただし、いくら価格が違ったらPBを選択するか、といった調査データはない)。しかも時としてNB商品の方がPB商品よりも安いという価格の逆転現象が起きる。
時間をかけて遠くまで買いに行くよりは近場で、短時間で済ませたいから近所の食品スーパー、ドラッグストアを用いることが増える。
ショートタイムショッピングが重要な要素となる。
一方、家具や家電製品、パソコン、カー用品(メンテナンス)などは安さも重要な要素であるが、それ以外に品揃えの豊富さ、きちんとした接客、信頼できるアフターサービスなどが店舗を選ぶ上での重要な基準となる。専門的なアドバイスを受けながら安心して購入したい商品である。
このような商品は、大型専門店、カテゴリーキラーが寡占状態をつくっている商品であり、一般的な大型店から取り扱いが縮小、もしくはなくなっている商品でもある。
小売業は、誰でも容易に取り扱うことのできる商品だけを扱っている一般的業態と、専門的な知識・技術を要し、容易に参入することのできない専門的業態に大きく二分していることが分かる。
一般的な商品を扱う業態は、低価格と立地が重要な要素である。小型店はショートタイムショッピングを自店の武器とし、大型店は複合化・総合化することでワンストップショッピングを自店の武器として位置づけている。どちらもローコストであることが前提だから人を減らし、パート・アルバイト中心の売場運営となる。費用と時間がかかる専門的な知識・技術を高める余地など全くない。
近隣に類似店舗が増えた時には、お互いの力の差(接客応対、機能的サービス、売場管理などの管理レベルのみ)を明確に示すことが難しく、大型化しただけで簡単に商圏は拡大しない。
規模の競争力だけを追求した場合の限界と言ってよいだろう。
一方、専門的業態は、品揃え、接客(知識・ノウハウ)、アフターサービス(技術、品質)などさまざまな意味で専門性の競争である。もちろん、専門性を発揮する上で店舗規模、価格なども重要な要素となることは一般的業態と同じである。
専門的業態は、一般的業態と比べて品揃え(新商品、特殊商品、話題商品などの入荷状況)、価格(実勢価格に対する割引率)、接客(商品に対する説明の分かりやすさ、専門的な見解・アドバイスなど)、アフターサービス(修理・メンテナンスなどサービスの内容、無償の範囲、有償の際の費用、技術レベル、品質など)など企業・店舗間の差が直接お客の購買行動(どの店を選ぶか)に反映されるので分かりやすい。
単純に規模の競争ではなく、規模+質の競争である。
GMSからは家電売場(一時期打ち出したパソコン強化もすぐに絶ち切れ)が消え、スポーツ売場もウエアとシューズしか残っていない。
HC(ホームセンター)も、資材館は盛んだが、一方ではピットを持たない店舗のカー用品売場は消耗品中心に大幅縮小している。
専門店の集合体というように質的競争力を確立しない限り、規模的拡大だけで競争力を維持することは難しい。
『近い』『安い』以外の来店理由が『大きい』『何でも揃う』というのがGMSであったわけだが、結果的には巨大なコンビニエンスストアと化しただけである。

(3)『広く浅く』から『広く深く』の時代へ
すでに家電量販店の中には一万数千㎡の店舗を中心に展開する企業もある。取り扱う商品の中心は家電製品とパソコン関連である。
HCも限られた商品ラインでありながら一万㎡から中には三万㎡という店舗までつくり上げている業態である。
衣食住で一万㎡のGMSが『広く浅く』であるのに対し、家電量販店やHCは特定分野で『広く深く』を実現している。
30数坪のCVS(コンビニエンスストア)でさえ、ただ漠然と商品を扱うことはしない。
惣菜に代表されるような特定の商品分野についてはすでにSPA;specialty store retailer of private label apparel;製造小売業と言ってもよいほどに進化している。ここでも取組み方は特定分野について『広く深く』と言ってよいだろう。
競争力の根源である。
既にこのような専門的な業態でさえ、同質の競争に入りつつある。質的に変わらなくなった時に規模に答えを求めるとGMSと同様な結果になる。抜け出せるのは、『広く深く』を実践し、規模+質の競争力を進化させ続けた企業だけである。
ただ大きくなっただけでその代償に専門性を失くした業態・企業は確実に衰退し、消滅していく。

第3回  なぜ、大きな企業がダメになっていったか-2

■なぜ、大きな企業がダメになっていったか-2
チェーンストアが生まれるまでの間、我国の小売業を形成していたのは個人商店と百貨店である。チェーンストアが生まれたことで、それまでの小売業とは全く異なる商品流通・消費形態が誕生した。
チェーンストアは物凄い勢いで成長し、短期間の内に流通・小売業の主流を成すまでになっている。
しかし、これまで我々が経験してきたのは誕生(導入期)から成長期までのバラ色のシナリオであり、その後にどのようなことが起こるのか、本当の意味ではあまりよく分かっていない。これまで手本としてきたアメリカの事例がないわけではないが、法的規制、都市形成など店舗形成の歴史的背景が全く異なり、参考になるようでならないことがあまりにも多すぎる。また、我国にも破綻した企業は数多くあるが、バブル期に本業以外へ過剰投資したことが大きな原因となった場合が多いので、チェーンストアという構造的要因によるものとは言い切れないケースがほとんどである。
企業は、業績悪化とともに情報を公開せず、詳細な研究も行われていない。
『チェーンストアが抱える構造的問題』を整理し、『何故、チェーンストアが大きくなるとダメになっていくのか』ということを知ることは、今後の小売業の方向を知る上でいろいろと意味があることだろう。

1. チェーンストアのアキレス腱  成長のメカニズム、店舗年齢と商圏、競争状況の変化
(1)チェーンストア成長のメカニズムから見た構造的問題点
①チェーンストア成長のメカニズム
チェーンストアは『拡大再生産』の論理に基づいた経営形態の典型である。
既存店が上げた利益を再投資し、同様な規格の店舗を次から次へと出店していく。
既存店があげた利益→新店への再投資→新店を加えた全店の利益→新店への再投資→・・・、という形で出店を繰り返し、規模を拡大し続ける。
永久機関のようなメカニズムをもつ経営形態である。
この経営形態は小売業の経費・利益構造と実によくマッチする。
チェーンストアが小売業においてひじょうに有効な経営形態として取り入れられたのも、小売業がもつ経費・利益構造によるところが大きいだろう。
小売業は損益分岐点が高く、ほとんどの経費が固定費的に発生する。売上が下がるとすぐに赤字に転落する脆弱な特徴を持つ反面、売上が上がると利益は飛躍的に増加する。
いくつかの店舗で試算してみたが、売上を2~3割上げると(経費は固定費的に発生するため売上が伸びても大きく増えない)経常利益は2~3倍にも増えてしまう。
したがって、売上を伸ばしやすい条件がそろっている企業にはひじょうに有利な経営形態である。
このような条件に当てはまる典型的な例は、店舗数が少なく、売上規模のまだ小さな企業が出店攻勢をかけた場合である。売上は何割という単位で急速に伸び、利益も何倍というように飛躍的に拡大する。資金的なゆとりができるため、このようなサイクルにはまると何年かの間は利益(質)を伴った規模(量)の拡大が可能になる。
もしも既存店30店舗の企業が1年間に10店舗の新店を出店すれば、単純に新店の寄与分だけで売上は3~4割伸びる計算になる。まして、新店が既存店よりもいろいろな面で改善され、面積も大きくなっていれば5割以上の売上増加も可能である。
その時に経常利益がどのくらい増加するか、信じられないほどの増益である。
もちろん、出店コストはかかるが、資金が回転している限り、永久機関としての構造はチェーンストアが最強の経営形態であることを証明することだろう。
まさにチェーンストアのよい面が象徴的に表れる場面である。
問題は、この状況がいつまで続くかということである。
既存店が前年実績を維持している限り、新店売上は企業の売上増加に寄与し、資金は順調に回転する。仮に、既存店が前年実績を多少割り込んだとしても、新店売上がそれを埋めて余りあるほどの寄与をしている限り、大きな問題は起こらない。
チェーンストアの経営メカニズムは順調に機能する。
しかし、一度既存店が前年実績を大きく割り込みだすと、新店の売上は既存店売上の穴埋めとしての役割に変わってしまう。もしも既存店の売上減が新店売上によって埋められない規模にまで拡大したら、新たに新店に投資する資金を捻出することもできなくなる。永久機関の破綻である。
チェーンストアが永久機関であり続けるための必要条件は、既存店売上の維持と新店売上の寄与である。
この必要条件が最も強調される、チェーンストアにとって最もよい時期は、既存店の売上規模がまだ小さく、新店売上が既存店売上に対して大きく影響する規模(企業にとっての成長期)である。逆に企業全体が大きくなって新店売上が既存店売上に対して与える影響が小さくなった時、あるいは既存店の前年割れが拡大し、新店売上では穴埋めできなくなった時、チェーンストア本来のメカニズムは機能しなくなる。
このようにチェーンストアは企業の成長期、あるいは経済成長期に適した経営形態である。現状では成熟期から衰退期に対する答えは持っていない。そう考えれば、これからの時代にはあまり適した経営形態とは言えない。

②店舗年齢と商圏の変化
チェーンストアがスケールメリットを発揮できるほど多くの店舗を擁するまでには、長い年月を必要とする。例え毎年10店舗ずつ出店したとしても200店舗の店舗網をつくり上げるには計算上20年もの歳月が必要となる。
現在100店以上の店舗を持つ企業であれば、多かれ少なかれ20年以上経つ店舗を抱えていることだろう。
店舗ができてから20年経つとその店舗を利用する周辺の人達も同じだけ年を重ねる。30~40歳代中心の消費が旺盛な商圏も、いつしか50~60歳代中心の成熟した商圏へと変わってしまう。年を重ねることで消費者のライフステージ(人生の中でもポジション)、世帯構成が大きく変わるため、消費構造は質的・量的に様変わりする。
商圏全体が年を重ね、高齢者が増えると行動範囲は狭まり(特に店舗までの交通手段が重要な意味を持つようになる)、商圏は確実に縮小する(このような状況に対処するにはインターネットなどによる通信販売の併用しか考えられない)。
子供が成人して独立すれば世帯人数は減り、世帯支出は減少する。一般的な住宅街で高齢化が進んだ場合、商圏内の世帯数が変わらなくでも消費は減少する。
「商圏全体が年をとる」という構造がある限り、店舗の売上がいつまでも成長し続けると考えることは難しい。むしろ、売上は減少すると考えるべきだろう。

どんなに新店をつくり続けても、ある程度の店舗数、売上規模を超えてくると新店の売上増加分だけで既存店の業績悪化をカバーすることが難しくなるのがチェーンストアのもう一つの構造である。
GMSなどさまざまな業態で見られる現象であるが、10~20年前に2店舗でつくっていた売上を今では1店舗加えた3店舗でやっとカバーしているエリアがたくさんある。
商圏の成熟に競争の激化が加わることで、新店の役割も売上増加への寄与ではなく、売上減少の穴埋めへと変わる。
既存店が増えれば増えるほど古くなった店舗をケアする仕組み(スクラップ、改装・増床、業態転換など)を持たない企業は立ち行かなくなる。
さまざまな業態について主要企業の業績推移を調べてみると、どの業態でも必ずといってよいほど先駆した企業が衰退している。
多くの既存店を持たない新興企業は、最も競争力が発揮できる形態の店舗を条件のよい立地に次々とつくることができる。一方、既に多くの既存店を持つ企業にはその自由度は残されていない。かくして業界内で順位の入れ替えが起こる。
店舗年齢と商圏の高齢化は、多店舗化を志向する企業のアキレス腱であり、避けては通れない難問である。
多くの店を持つことはできても、たくさんある店舗全体を維持発展させるにはこのメカニズムを克服する必要がある。
そろそろ多くの店舗を擁しないでも成り立つ経営形態を模索する時期に入ったのではないだろうか。

(2)オーバーストア、激しい競争と商圏の縮小
小売業における年間商品販売額は1997年147.7兆円でピークを迎え、その後減少に転じて2002年には135.1兆円にまで低下している。商品販売額が低下する一方で売場面積は逆に増加し、1997年128.1百万㎡から2002年には140.6百万㎡へと増えている。経済産業省経済産業政策局調査統計部産業統計室「商業統計表(産業編総括表)「商業統計速報(卸売・小売業)
売上が1割低下しているのに対し、逆に売場面積は1割増加しているのだから、単純に計算しても単位面積当たりの販売額は8割近くにまで低下していることになる。
また、これまでは大型化することで商圏は拡大すると誰もが信じてきた。しかし、類似する商業施設が林立するようになると、どんなに大きな商業施設をつくってもそれだけで簡単に商圏が拡大することはなくなっている。
既に競争の激しいエリアでは、3万㎡を超えるGMS(総合スーパー)でも第一次商圏が2~3kmとSM(食品スーパー)並みにまで低下している。
『近い』『安い』『大きい=取りあえずの物が揃う』以外の来店理由を持たない店舗、商業施設は生き残ることが難しいだろう。
規模の論理にはNo.1以外、No.2も No.3もない。全ての企業が多大な設備投資を維持できるだけの売上・利益を上げられる時代ではなくなっている。
重要なことは、競争関係にあるさまざまな商業施設が施設、設備、テナントなどさまざまな面で同質化している点である。
真の競争力を持たない大型化は、回収見込みのない無謀な投資と言ってもよいだろう。大型化だけが競争力と信じて無謀な規模拡大を志向し、敗退していく企業は後を絶たない。
先行業態に学べば、少なくとも戦略的選択肢は他にあるはずである。
規模の論理で勝ち残れない企業は、早く違う選択肢を模索する時期に来ている。